25.全力でかばうものですから!

 明日の土曜は、二人で新居を見に行く予定だった。


 それ以外にも、毎週のようにウェディングプランナーとの打合せや、ホテルとの詳細確認が入っている。自然と、金曜の夜に二人の意見をすり合わせて、土曜に用事を済ませ、日曜はできる限りそれぞれ自宅で休む、という長期対応シフトができていた。


 アシャス一人が、金曜のお泊まりを納得していないようだったが、それはまあ、些細ささいなことだった。


「合鍵は持っているでしょう。先に行って、待っていれば良いですよ」


 ヒカロアが、こともなげに言う。慎一郎しんいちろううなずいた。


「そうですね。なにか簡単に温められるものを、買っていきましょうか」


 それほど遅い時間ではない。道すがらの商店街で、お惣菜そうざいと野菜スープの材料くらいは買える。そんなことを考えながら、慎一郎しんいちろうは駅を出た。


 野菜は使い切りの分量でないと、撫子なでしこは腐らせる。慎一郎しんいちろうも人並み程度だが、仕事で都内に宿泊することも多かった潤子じゅんこに代わって、昔から家事も炊事すいじもこなしていた。


 実家が資産家でも、慎一郎しんいちろうがそれに頼らないよう育てたのは、潤子じゅんこの教育者らしい理念と言えた。


「あの女神が、そんな立派なことを考えますかね? 自分の設定を忘れていただけかも知れませんよ」


「ええ、まあ。母さんもあれで、とぼけたところがありましたし。撫子なでしこちゃんも言っていたみたいですが、こうなってみると、いろいろ納得できます」


 放任主義と過保護が、ざっくり混ざったような潤子じゅんこの、いや女神の性格に、慎一郎しんいちろうが苦笑する。ヒカロアも、内心で一緒に苦笑した。


 慎一郎しんいちろうは商店街で、焼き鳥とコロッケ、小包しょうほうの固形コンソメ、ミニトマト、小分けの玉ねぎとカリフラワーを買った。野菜はなべでまとめてスープにして、一食分ずつ小さなタッパーで冷凍すれば日持ちする。余った固形コンソメは、慎一郎しんいちろうが持ち帰れば良い。


慎一郎しんいちろう。その料理に、時間はかかりますか?」


「いえ。電子レンジも使えば、すぐですよ」


「では、最初に少し時間をください。ちょうど良い機会です。撫子なでしこの部屋に、アシャス抜きで話をつけたかった相手がいます」


「え……? ああ、そうですね」


 ヒカロアの持って回った言いように、慎一郎しんちろうが、ほんの少し考えてから、また苦笑する。


 転生組てんせいぐみの人間関係で、とりわけややこしい立ち位置の一人、いや一匹が、撫子なでしこの部屋で今頃は多分、のんびりとくつろいでいるはずだった。



********************



 買ってきた荷物をダイニングキッチンに置いて、ヒカロアがミツヒデをにらんだ。リビングテーブルに香箱座こうばこずわりをした、黄金色の目の黒猫は、なんともすずしい顔だった。


今生こんじょうで会うのは初めてだな、槍使い」


「それはもう、優しいアシャスが、全力でかばうものですから! 見逃してあげていたのですよ」


 ヒカロアがカリフラワーと玉ねぎを、包丁で、これ見よがしに切り刻む。慎一郎しんいちろうの感覚的に、スープの具にしては小さすぎたが、なにも言わなかった。


 八つ当たりするものがなくなって、ヒカロアが渋面じゅうめんで、包丁の先をミツヒデに向けた。


「飼い主の撫子なでしこには申しわけありませんが……魔王ワスティスヴェントス。正直、あなたがアシャスと同じ空間で息をしているなどと、考えるだけで殺意があふれます。自分でも、よく今まで我慢したと感心していますよ」


「猫一匹に、うつわの小さいことだ」


 ミツヒデが、にやりと笑う。


「もちろん新婚家庭にもついていくつもりだが、それでは先が思いやられるな。身がたんぞ」


「率直に問います。あなたの真意がわかりません」


「悲しいな。おまえが一番、吾輩わがはいを理解してくれると思っていたが」


「あなたを殺した私が、ですか?」


「くだらないことを言う。おまえを殺したのも、勇者だろう」


 ヒカロアが言葉につまる。我が意を得たりと、ミツヒデが鼻を鳴らした。


なげきも怒りも、前世で語り尽くした。その上で、吾輩わがはいたちは共に神器の使徒として、全力で世界への役割をまっとうした身だ。このに及んで、怨讐おんしゅうなど持ち越しておらんよ」


「アシャスに復讐している、と聞いていますが」


「前世では、途中からおまえに割り込まれたからな。せっかく生涯の宿敵とおもい定め合った仲だというのに、充分な交流ではなかった。それだけが心残りと、言えば言える」


 ヒカロアの目尻が引きつるのを、ミツヒデが愉快そうに、流し目で見た。


「あれをからかうのは、とてもおもしろい。長生きしてやろうという気になる」


 ミツヒデが、大きく身体を伸ばして、あくびをした。


「転生してスローライフを志向するのは、昨今さっこん、珍しいことではないらしいぞ。ついでに、愛すべき我らが勇者に、きょうの一つもえてもらおうというだけだ。魔王とまで呼ばれた存在の望みにしては、奥ゆかしいと自賛じさんしているのだがな」


 あくびついでに、するりと床に降りて、ミツヒデがダイニングキッチンに入る。前足で、戸棚とだなを軽く叩いた。


「今日はササミ味の気分だ。食後のあばんチュールは、まあ、遠慮してやろう。太ると、長生きが難しくなるからな」


 足元から堂々と見上げる黒猫の姿に、ヒカロアも、大きくため息をついた。


「なんとも、まあ……アシャスの愛され気質きしつも極まれり、ですね。一人勝ちして浮かれていたら、まさか、こんなライバルが現れるとは」


「たかが猫だ。こう見えて、おまえにも気をつかったのだぞ」


「だったら、そのまま放浪の旅にでも出てください。幸運を祈って差し上げますよ」


「悪くないな。あれが吾輩わがはいを探して右往左往するのは、さぞかし見ものだろう」


「今すぐ死にますか」


「次は、なにに転生するかな。若夫婦の子供というのも一案だ」


「……寝室は立入禁止ですよ、駄猫だねこ


「キャットタワーと、Mamazonのばこで手を打とう」


 アシャス本人のいないところで、アシャスをめぐる紳士同盟が結ばれた。争いを回避したのだから、アシャスも本望だろう。


 ヒカロアは、切り刻んだ野菜をなべに放り入れてから、戸棚とだなの猫缶を適当に引っぱり出した。運が良いのか悪いのか、ミツヒデのリクエスト通りの、ササミ味だった。


「面倒をかけましたね、慎一郎しんいちろう。私の用事は済みました、ありがとうございます」


 ヒカロアの声に、慎一郎しんいちろうは、すぐには答えなかった。

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