23.今は違うぞ!

 夕食の時間には、少し早い。通り沿いのファミリーレストランは、まだ客の入りがまばらだった。


 撫子なでしこは、いやアシャスは、のぞむと向かい合わせに席に着いて、背もたれに身体をめり込ませた。


 撫子本人なでしこほんにん悪感情あくかんじょうが、身体の生理反応的な拒絶感になって、アシャスにフィードバックされている。どうしようもない。


 きれいさっぱり無感情、とはいかないのだから、撫子なでしこの心の傷もそれなりに深い。アシャスは最大限の好意的に考えて、仕方がない、この状況に対応する覚悟を決めた。


 ドリンクバーだけを二つ注文して、のぞむが立ち上がる。


「コーヒー、ホットで良いよね? 撫子なでしこ、夏でも身体が冷えるの、嫌がってたし」


「自分でやる。余計なことするな」


 思わず、声も口調も固くなる。


 過剰反応と受け取られるのもしゃくにさわるが、アシャスとしては、不愉快な記憶がよみがえる。


 旧世界の旅の途中、親切をよそおった、いや、まあ、魔王に叛逆はんぎゃくする吸血鬼の貴族としては当然の、打算的な親切でもてなされた晩餐会ばんさんかいで、むしろそれ以上の好感情こうかんじょうから一服盛られた。百三十八億年後まで笑われるハメにおちいったのだから、警戒しないわけにはいかなかった。


 アシャスは立ち上がって、のぞむを追い越し、ずかずかとドリンクコーナーに歩いた。自分の分だけホットコーヒーを入れて、飲む気もないので、ブラックのまま席に持ち帰る。


 のぞむは、悠々と何種類かの炭酸飲料を混ぜて、変な色になったグラスを持って戻ってきた。


「懐かしいよね。一緒に暮らしてた頃も……」


「余計なことするな。二回目だぞ」


 アシャスが、のぞむをにらんだ。


「中身のない話なら、これで終わりだ。次に顔を見たら警察に……」


「嘘だよ」


 望が、グラスの中の氷を、ストローでくるくると回した。


「見たらすぐわかったって言ったの、嘘だよ。撫子なでしこ、綺麗になった。一緒に暮らしてた頃も、こうやって顔を見てたけどさ。大人になるとやっぱり違うね。お化粧も上手じょうずになって、見違えたよ」


 氷以上にくるくると回る口に、アシャスが唖然とした。


 背筋が寒くなるより早く、汗が出る。慌てて、飲む気のなかったコーヒーを一口飲んだ。


「おまえ、いいかげんに……!」


「ごめんね。あやまりたいって言ったの、こっちは嘘じゃないよ」


 のぞむが、頭を下げた。器用にグラスとストローを持ちながら、ひたいをテーブルにつける勢いだ。


「あの時は、驚かせちゃって悪かったね。撫子なでしこにも、ちゃんと説明しておけば良かったって、反省してるよ」


「い、いや……脱法ハーブなんて、説明されても困るけどさ」


 少し違和感のある内容に、アシャスは律儀りちぎに、訂正を入れた。顔を上げて、のぞむも同じように、訂正を返した。


「そんな表現は、なんて言うか、作為的さくいてきだよ。あれは自然な植物オンリーだし、規制されているようなものじゃないんだ。今でもそうだよ」


「法律が追いついてないからって、身体におかしな影響があるのは、変わらないだろう」


 アシャスの声に、力が入った。


「自分の身体と、未来に無責任だ。恋人だって……二人で、一緒に生きていこうっていう約束じゃないか。そういうのは、相手への裏切りだ」


 アシャスは言葉にしながら、そうか、と納得した。


 アシャスは、守れない約束ができなかった。姫と一緒に生きていくこと、未来を共にすることはできないとわかっていたから、恋人になることもできなかった。それがアシャスのひとりよがりでも、だ。


 魔王を倒せたとしても、魔王より強い力を持ってしまった個人は、次の魔王になる可能性でしかない。平和な世界を実現しても、そこに居場所がないのは、明らかだった。


 そして、それもできなかった。どうせ未来などなかったのなら、一緒にいられた時間だけでも、恋人でいれば良かったのか。世界と一緒に消える時、姫はアシャスをどうおもっていたのか。


 考えても、わかるわけがない。なにもかも遅かった。


 それでも、ヒカロアが言ってくれた。最後の瞬間に辿たどり着いたアシャス自身が、みんなのおもいの結果だと、それを誰にも、アシャス自身にも否定させないと言ってくれた。だから今を、新しい世界を願うことができた。


「なんだか、昔より口調がはっきりしたね」


「え? あ、いや……」


 つい、自分自身に向いていた意識を、引き戻された。アシャスは、また慌てて、コーヒーを飲み干した。


 のぞむも、変な色のジュースを飲みながら、少し表情を改めた。


「嬉しいよ。俺とのこと、そこまで真剣に、考えてくれていたんだね」

 

「い、今は違うぞ! もうすぐ、その……結婚、するんだし……」


「聞いたよ。おめでとうが遅くなって、これもやっぱり、ごめんね。俺も、ほら……一応は自主退学の形だったけど、あの頃の友達に、連絡しにくくってさ」


 肩をすくめたのぞむに、アシャスは気まずく沈黙した。


 撫子なでしこにとっても、だいぶ後になって、人づてに聞いた話だった。誰も撫子なでしこに話そうとしなかったし、そんな友人たちの配慮に感謝して、撫子なでしこも積極的に聞こうとはしなかった。


 撫子なでしこが誤送信した写真は、当然ながら学生課から大学事務局の全体に広がって、大きな問題になった。


 合法か違法か、写っているものが本当はどんな物質なのか、そんなことは関係なかった。他人が、社会がどう受け止めるかが最重要だ。


 公共というものは、学生や未成年者が考えるほど、軽くない。仮にそれを変えようとするならば、まず他人と社会を理解し、理性と知性、時間と努力とひたむきさが必要になる。最初の手順から無視しておいて、なにを言っても通らない。


 のぞむは退学処分になった。自主、がついたのは、大学側の最大限の配慮だった。


 それはそれとして、だ。


 知ったからには、大学側の処置は適切だ。明確な違法でなくとも、怪しげな薬物使用を擁護する筋合いはない。一瞬で情報拡散したのだから、放置もできなかっただろう。


 適切かどうかを疑うとすれば、初撃しょげきに最大火力で、全ての選択肢を焼き払った苛烈かれつさだ。


「あれは……やりすぎだったって、思ってるよ。こっちからも、ごめん」


 アシャスは、好悪こうおの感情とは切り離して、撫子なでしこなら絶対に言わないことを言った。


 死ぬか殺すか、二つに一つの戦いは、最後の手段だ。


 最初から強制するのは、悪手あくしゅだ。最終段階で、他にどうしようもなく選択するものだ。


 すでに、そこに固定されていた旧世界で、勇者として戦い続けたアシャスの気持ちが、言わせた謝罪だった。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る