20.無色で無味無臭です。

 都内でも、伝統のある大学はそれなりに敷地が広く、常時開放されているサークル棟などもある。


 コンクリートとアスファルトが多い街中では、春から夏に向かう季節、夜も、少しずつ蓄熱ちくねつ放散ほうさんで暑くなる。古めかしい建物なら、なおさらだ。


 とある大学の、密閉されたサークル棟一階の共用広間で、怪しげな集会が行われていた。


「……世界平和……」


「……環境保護……」


「……お米革命……」


 薄暗く蒸し暑い空間に、ぎっしりまった男女が、ぼそぼそと不明瞭な声を上げている。


 広間の各所で、紫色の煙を吐くこうかれて、汗ばんだ湿気にみつを溶かしたような匂いが充満していた。心臓の鼓動に似た、低音の音楽も流れている。


 広間の隣の別室から、蕩然とうぜんとした、それでもどこか冷ややかな目がのぞいていた。


「いやあ、ここの連中も、だいぶでき上がってきましたよ! 四天王の皆さんのおかげで、こうの材料も潤沢じゅんたくです! 本当にありがとうございました!」


「さ、さすがに今日は、疲れたニャ……おまえ、だんだん遠慮がなくなってきたニャ……!」


 別室と、そこにつながる廊下には、数え切れないプランターの植物が密林のようにならべられていた。


 蒸し暑い中、相変わらずダークグリーンのスプリングコートに、コートのフードを目深にかぶったカイチョーが、軽薄に笑う。後ろで、同じ格好をした男女が、黙々と収穫作業をしていた。


「お疲れは重々承知、感謝感激でございます! ささ、こちらに! あばんチュールと、お犬さま用のおーとくチュール、スペシャルなフルーツグラノーラも御用意しておりますれば、どうぞごゆっくり!」


「ニャ、ニャははははは! 良い心がけだぞ、カイチョー! たんまりとみつぐが良いぞ、ニャははははは!」


「あ、お姉さま……! わ、私の分も、残しておいてください……!」


「む。野生の身には、得難えがたい高カロリー食料だ。いただこう」


「労働の後は、しみるでござるなあ」


 三毛猫のブライストラ、サバトラ猫のガロウィーナ、ハトのランスタンスとハスキー犬のディノディアロが、大量に盛られたおやつ、いやみつものをわさわさと囲む。


 カイチョーも床にあぐらをかいて、手作りの紙巻かみま煙草たばこのようなものに火をつけ、煙を吐いた。


「あちこち合わせて、五百人ってところですかね。普段は自分の意思で行動しているように見えても、ほら、こんなふうに匂いをがせて命令すれば、言いなりですよ」


「おまえは、自分で吸って大丈夫なのかニャ?」


「もちろん。実を言いますと、こうには乾燥した葉だけじゃなくて、こいつも配合しています」


 カイチョーが、スプリングコートのポケットから、透明な小瓶を取り出した。


「ここまで精製、成分抽出せいぶんちゅうしゅつすると、無色で無味無臭です。文字通り味気あじけないですが、飲んだり注射したり、肌や衣服に染み込ませたりすれば、効果てきめんでして」


「近くにいなくても、言うことを聞かせられるというわけかニャ?」


「お察しが良い! 小さな匂い袋なんかにして、持たせるんですよ。催眠術と似たようなもので、命令の仕方にもコツがあります。誰にでも上書きできるわけじゃありませんから、安心です」


 フードの隙間すきまからこぼれた、色あせたような赤茶色の髪が、細いあごの周りでゆれた。


「売り上げも上々、そのすじの人たちと交渉を進めていて、これから販売ルートも大きく広がります! もちろん、本当の効果は隠してまして。兵隊が勝手に兵隊を増やす、命令の中継も仕込んでおけば、ある日、突然……これもう世界征服ですよ! いや、誰も逆らわないんだから、世界平和ですよね! 魔王さまバンザイ!」


 カイチョーが自分で、調子良く拍手はくしゅする。笑いながら、フードの奥の目が、鋭くなった。


「ですから、そろそろいかがです? にっくき勇者、奈々美ななみ撫子なでしこを退治なされては?」


 四天王が、さすがにみつものをむさぼる口を止めた。二匹一羽一頭が目を見合わせる。


「……駄目ニャ。勇者と槍使い、奈々美ななみ撫子なでしこ冴木さえき慎一郎しんいちろうに手を出すのは、魔王さまに説明して御許可をもらってからニャ」


「まだ、なにも説明されていないのですか?」


「う、うるさいニャ! こういうことは、タイミングが大事なのニャ! もっと準備万端に整えてから、サプライズなのニャ!」


 三毛猫のブライストラの、どことなく言いわけがましい台詞せりふに、シバトラ猫とハトとハスキー犬がため息をついた。


 カイチョーも、紙巻かみま煙草たばこもどきを吸いながら、肩をすくめた。


「申しわけありません、良くわかっていないのですが……皆さまがそこまで警戒される勇者というのは、どのような脅威きょういになり得るので? 転生した今は、普通の人間でしょうに」


 四天王が、見合わせた目を、今度は力なくせた。


「正確には、勇者と槍使いがセットになっているのがまずいのニャ……」

 

「わ、私たち、ほとんど全員、あの槍使いの人に殺されたようなものですし」


「む。敵ながら天晴あっぱれな使い手だ。かなうことならもう一度、生死をかけた再戦を挑みたいものだ」


「一回でも引き分けに持ち込めたのは、ランスタンスだけでござったな」


「違うニャ! みんな、本気を出す前にやられただけニャ! そんなことじゃなくて、神器の本質の問題ニャ!」


 三毛猫のブライストラが、毛を逆立てた。


万象輪廻ばんしょうりんねの三神器は、神の御業みわざを代行する、世界より先に存在していた伝説のアイテムニャ。もちろん、最高の力を秘めた武器でもあるニャ。けれど一番の脅威きょういは、それぞれが調和、創造、破壊のことわりをつかさどっていることニャ」


「へえ。なんだか、インドとかの神話っぽいですね」


 しかつめらしい説明に、カイチョーがフードの奥で、鼻を鳴らした。茶々を入れた格好だが、三毛猫のブライストラは気づかず、大きくうなだれた。


「想像力なんて、どこの神さまも大差ないニャ……それはともかく、神器の本質で言えば、魔王さまの方が世界を救っていたニャ。魔王さまの<流転の宝輪ケルルパイル>は、本来なら世界に永遠不変の調和をもたらして、魔王さまこそが救世主とあがめられるはずだったのニャ!」


 サバトラ猫のガロウィーナ、ハトのランスタンス、ハスキー犬のディノディアロも、動物なりに、苦いものをつぶした顔になった。

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