18.少々お待ちください。

 日榁学院大学ひむろがくいんだいがくは、都心の外れに本校舎を持つ私立大学だ。


 一、二年生までの教養課程、人文学部、経済学部などが本校舎にあり、理数学部や工学部、薬学部、体育学部などはそれぞれ、さらに二駅は外れた専門校舎にある。学生の間では、島流しと自虐じぎゃくのネタにされているらしい。


 週が明けた平日の夜、かえでは、本校舎の正門横に車を停めた。一見して派手なシルバーのスポーツタイプに、正門の守衛しゅえいが、不審そうな顔をする。


「ああ、失礼します。警察の者でして……あ、これはプライベートの名刺です。警察手帳はこっちね」


 車から降りるが早いか、かえでが、子猫の頃のミツヒデが印刷された名刺を差し出した。受け取った守衛しゅえいが、ゆるんだような、余計に不審がるような、わかりにくい表情になる。


 スリーピースのふところに警察手帳を戻しつつ、かえでが笑いかけた。


「実は、ですね。ちょっとお願いがありまして……理由は秘密ですし、令状とかも全然ないんですけど、少しだけ、特別に、中に入れてもらうわけにはいきませんかね?」


「はあ……? いや、それでは、ちょっと……」


 守衛しゅえいが困惑する。


 もちろん、一般人には警察に協力する義務がある。それでも昼間ならともかく、もう施錠せじょうする夜だ。これほど説明がぼんやりしていれば、対応が難しいのも仕方がない。


 かえでも、すぐに退いた。


「やっぱり無理ですか。いや、御迷惑をおかけして申しわけありません。こうなったら御迷惑ついでに重ねて申しわけありませんが、その名刺、理事長さんにお渡ししてもらうことは……」


「はい、なんでしょう? 私が、理事長の枯井澤かれいざわです」


 正門のすぐ内側から、声がした。


 門灯もんとうに照らされて、淡いライムグリーンのスカートスーツの、清楚せいそな黒髪美人が立っていた。日榁学院大学ひむろがくいんだいがくの理事長、枯井澤かれいざわ潤子じゅんこだ。


 かえでが、少し呆然とする。


 警視庁で確認した資料には、四十九歳と書かれていた。顔写真がずいぶん若作りだと思っていたが、実際、そんなレベルではない。小柄こがら薄化粧うすげしょう瑞々みずみずしく、三十歳のかえでからも同年代以上には見えなかった。


 無言のかえでに、潤子じゅんこが小首をかしげた。それでやっと、かえでも我に返った。


「……ああ、いや、失礼。写真は拝見はいけんしていましたが、こうしてお会いすると、やっぱり驚きますね。とてもお若く、お綺麗だ」


「ありがとうございます。奈々美ななみ……あら? もしかして、撫子なでしこちゃんの?」


 守衛しゅえいから受け取った名刺に、今度は潤子じゅんこが、軽く驚いた。


 目や口の動きは控えめなのに、表情から受ける印象は華やかだ。かえでは、意識していつもと同じ笑顔を作った。


「兄です。妹がお世話になってまして、恐縮です。まあ、おうかがいしました理由は、ちょっと他にあるのですが」


「確か、先日は息子が御挨拶ごあいさつに……なにか、粗相そそうでもございましたか?」


「いえいえ、とんでもない! むしろ、うちの家族一同が大はしゃぎで、お恥ずかしいくらいでしたよ」


「そうですか、安心しました」


 潤子じゅんこが、口元に手をあてて、恥ずかしそうに笑う。


「親としましては、いつまでも心配なところばかりが目についてしまって。でも、まさか、御挨拶ごあいさつに同席するわけにもいきませんでしょう?」


「それは、まあ、そうですね」


かえでさん、でよろしいでしょうか? 御訪問ごほうもんいただいた理由は、他にあるとおっしゃられましたが……では、警察のかたとしての御用件ごようけん、ということになりますでしょうか」


「ええ。ですが、立ち話もなんですので、日を改めます。お時間を取らせて申しわけありませんでした」


「あら」


 潤子じゅんこが、悪戯いたずらっぽい目になった。


「ドラマなんかでは、らいついたら離さない、みたいなかたばかりお見受けしますよ。そんなに紳士的で、よろしいのですか?」


「最近は、市民に寄りう警察、が全署一斉のスローガンでして。女性のプライベートな時間となれば、慎重しんちょうにもなります。公務なら二人一組で透明性を確保するもので、正直に言いますと、名刺だけ預けるつもりだったんです」


「では、プライベート同士と言うことで、これからお食事などいかがでしょう。ちょうど私も、どなたかから、先日のお話をいろいろうかがいたいと思っておりました」


 潤子じゅんこが、また口元に手をあてて笑う。主導権を握られた感もあるが、かえでとしては自分から押しかけている以上、ここで断るのは相当に失礼だ。


 門の横の車をちらと見て、潤子じゅんこがスマートフォンを取り出した。


「少々お待ちください。呼んでいたタクシーをキャンセルします。贔屓ひいきの中華料理店を予約していますので、よろしかったら案内させてください」


「……アールグレイは、ありますかね?」


「元になる、キーマン茶葉ならございますよ。ベルガモットの代わりに、柚子ゆずを浮かべてもらいましょう」


 潤子じゅんこの駄目押しに、かえで両掌りょうてのひらを、顔の横に上げて見せた。賛意さんいを示したつもりだ。


 そして内心、評価を改めた。なるほど、短い駆け引きだが、この手練手管てれんてくだは若い女性のそれではない。


 奇妙な小気味良さを味わいながら、かえでは車を正門前、助手席のドアを開けやすい位置に移動させた。



********************



・プロポーズ(済!)

・両家に事前連絡、式場/挙式の日程を決める(済)

・新郎家族に挨拶あいさつ(済)

・ドレス試着/仮予約(済)

・新婦家族に挨拶あいさつ(済)

・両家顔合わせ

・挙式


 結納ゆいのうとなると、正式な手順は物々ものものしい。


 近年はもっぱら略式の略式で、両家の顔合わせ食事会とする場合が多く、撫子なでしこ慎一郎しんいちろうもそれにならっていた。


 結婚式場を持つホテル側も心得こころえたもので、ウェディングプランナーのまとめた一括いっかつプランで、ホテル内の日本料理店にとこつきのお座敷が用意された。


 吉日きちじつの週末、奈々美家ななみけ撫子なでしこ撫子なでしこの父の杏介きょうすけ、母の花菜はな、兄のかえでが、冴木家さえきけ慎一郎しんいちろう慎一郎しんいちろうの母の潤子じゅんこが、立派な黒檀こくたんのテーブルの両側に着く。


 撫子なでしこ浅葱色あさぎいろ花柄はながら振袖ふりそで花菜はなはソフトベージュのフォーマルワンピースで、杏介きょうすけかえで濃淡のうたんのグレーのスーツ姿だ。


 慎一郎しんいちろうもシンプルな紺色こんいろのスーツで、潤子じゅんこ亜麻色あまいろ亀甲柄きっこうがら色留袖いろとめそでというよそおいだった。


 昼の日射しが、中庭の玉砂利たまじゃりに明るく反射していた。


 とこに婚約指輪と結納金ゆいのうきん結納返ゆいのうがえしの腕時計が置かれ、簡単な挨拶あいさつを交換した後、会席料理かいせきりょうりが運ばれてきた。


 前菜、吸物、造り、多喜物たきもの家喜物やきもの、と上品で華やかな料理が進む。


 宣言通り、お手洗い以外で移動するな、と撫子なでしこが念入りにくぎを刺した成果で、撫子両親なでしこりょうしんも一応は常識的な雰囲気だ。


 潤子じゅんこはもちろん如才じょさいなく、撫子なでしこ慎一郎しんいちろうも、なごやかな会話と食事を楽しんでいた。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る