12.その意気です。

 翌朝のアシャスの目覚めは、予想できたことだが、一人で大騒ぎだった。


 潤子じゅんこが帰った後、のうのうと出てきた撫子なでしこと交代して、すぐに意識を切った。人間、必要にせまられるとやれるものだ。そこまでは良かった。


 最近はすっかり寝坊癖ねぼうぐせがついた撫子なでしこの代わりに、起きた瞬間、アシャスも昨夜の撫子なでしこの記憶を共有した。身体が体験したことなのだから、どうしようもない。


 ダブルベッドの隣では満ち足りた表情のヒカロアが、撫子なでしこの、いやアシャスの、ヘーゼルナッツブラウンの髪をなでていた。


 やっぱり、絞め殺されるにわとりのような声を出して、ベッドからころちた。ホテルブランドのナイトウェアを着ていて、外国映画みたいなぱだかでないだけ、まだましだった。


「お、おお、おまえっ! 先に起きたんなら、離れてろよ! こ、心の準備とか、そういうのが全然できてないんだよ! ショック死してやるぞ、気持ち的にっ!」


「気をつけます」


 風に舞う羽根のように軽い返事に、アシャスは追加の文句を飲み込んだ。顔が林檎飴りんごあめになっているのが、自分でもわかった。


 着替えて、化粧をして、朝食のビュッフェに降りる頃には撫子なでしこも起きた。山盛りに食べて、またそれを慎一郎しんいちろうが、デザートを持ってきたりコーヒーをれたり、世話を焼いて甘やかす。


「おまえ、結婚したら際限なく太るぞ」


「うっさい、ヘナチョコ! いくらあたしでも、普段からこんなぜんぜんさせないわよ! デートは非日常なの!」


「結婚してからもデートをたくさんしようね、撫子なでしこちゃん」


「その意気です。慎一郎しんいちろう


 慎一郎しんいちろうとヒカロアは、似たような太平楽たいへいらくだった。


 部屋のチェックアウトを済ませて式場に行くと、貸し衣装の試着は、他にもたくさんの参加者がいた。


 大広間にウェディングドレスや白無垢しろむく、お色直し用のカラードレス、色打掛いろうちかけ振袖ふりそでが、ところせましとけられている。新郎の服は、新婦に合わせれば良いだけなので、大した量はない。


 隣接の小部屋で着つけスタッフが対応し、広間の奥は姿見を並べた、撮影可のスペースだ。みんな思い思いの衣装を着て、華やいでいた。


 撫子なでしこも、すぐにその中の一人になる。


「ドレスって一口に言っても、いろいろあるんだな……。姫さまは、なんか、いっつも同じようなの着てたけど」


「そう思っていたのは、あなただけですよ。口をすべらさないで、本当に良かったです」


 昨日、撫子なでしこに指摘されたそばから、また雑な扱いを白状するアシャスに、ヒカロアが保護者っぽい声をもらしたりもした。


 対して、さっそく純白のウェディングドレスに着替えた撫子なでしこを、こっちはもうお手本のように、慎一郎しんいちろうが笑顔で迎えた。


「すごく綺麗だよ! 撫子なでしこちゃん背が高いから、広がりのあるデザインが、やっぱり似合ってるね」


「でしょでしょ! あたし、こういう好みにひねりがないのよ! スラっとしたのも素敵だけどさ!」


 撫子なでしこが、さすがにゆっくりとターンする。


 プリンセスラインのスカートが大きな花のようで、オフショルダーのビスチェとトレーンも精緻せいち花模様はなもようのレースに飾られて、きらきら輝いていた。


「すいませーん、とりあえずこれ仮予約して、あとあっちのショップさんのと、それからマーメイドとエンパイアも持って来てくださーい!」


 ウェディングプランナーと会場スタッフが、また小間使いのようにまめまめしい。撫子なでしこは、もうアクセル全開だ。


「好みじゃないのも試すのか? なんでそんな、意味のないこと……」


「意味ないって思う方が謎だわ。本番は一生一度なんだし、この機会に片っぱしから全部、試してみたいくらいよ!」


「まあ、見てるだけのこっちは、楽だけどな」


「甘いわよ! ほら、ヒカっちも! スマホ撮影だからって、気を抜かない! モデルをめたたえて、調子に乗せなさいよ!」


「そうですね。とても綺麗ですよ、アシャス」


「そ、そこは俺じゃないだろう!」


「おお! さすがの一言ね、それはそれでもだえるわー!」


 慌てるアシャスと、はやし立てる撫子なでしこが、忙しく入れ替わる。それこそ、どっちも微笑ほほえましくながめる風のヒカロアに、慎一郎しんいちろうも穏やかに笑った。


「ヒカロアさんって、本当にブレないですよね」


「アシャスは昔からこうでしたよ。純情で優しくて、素直じゃなくて……そういうところを愛したのですから、今さら、私がゆらぐことなんてあり得ません」


「おまえそれ、良い台詞せりふっぽくまとめてるけど、今ならストーカー認定されるレベルだぞ」


 ウェディングドレス姿のまま、アシャスがじとりと目を細める。ヒカロアの笑顔は、いっそくずれそうな甘さだった。


「それはもう、どんな決定的なシーンを見せつけられても、ゆらぎませんとも。こんな愛され気質きしつのくせに、鈍感で無用心なんですから。男色家の吸血鬼に押し倒されて、お尻をかじられていた時など……」


「わああああああッ! それ言うな、バカぁああッ!」


「あはははははは! ガチでヘナチョコじゃない、あんた! ヒカっちネトラレ? かわいそー!」


「うるさいッ! 寝ても取られてもいないよッ! 忘れろぉぉおおおッ!」


「あはははは! お尻! お尻って! かじられ……あははははははは!」


 絶叫と大爆笑を繰り返す撫子なでしこに、大広間の視線が少しだけ集まった。


 それでも、すぐにまた、自分たちの幸せに没頭する。人類の、そういう部分集合だ。


 撫子なでしこたちも一しきり騒いで、憤懣ふんまんやるかたないアシャスを放置したり、なだめたり、からかい直したりしながら、時間の許す限り試着のファッションショーを楽しんだ。



********************



 薄暗い実験室に、電子機器の稼働音が低く響いていた。


 明滅するインジケーターの光が、複雑に配置された器具と、机の上にずらりとならんだ、無色透明な液体の入った小瓶こびんに、わずかに反射していた。


 その机に足を投げ出して、男が一人、紙巻かみま煙草たばこのようなものを吸っていた。


 背の高いせぎすの身体に、ブラックジーンズとダークグリーンのスプリングコートを着ている。コートのフードを目深にかぶって、隙間すきまからこぼれた髪が、色あせたような赤茶色だった。


撫子なでしこかあ……なつかしいなあ。こうしてると、思い出すなあ」


 男が、蕩然とうぜんとつぶやく。


 男の周囲、実験室の床という床に、園芸用のプランターが置いてあった。たけの高い、大ぶりで先端のとがった葉っぱの植物が、青々としげっていた。


 そして葉の影に隠れるように、女が二人、眠っていた。素裸すはだかで、汗ばんだ手足を投げ出している。乳房が、呼吸でわずかに上下していた。


 かたわらに脱ぎ散らかした衣服と、から小瓶こびんが転がっていた。

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