11.田舎育ちだからだよ!

 中華料理店を選んだのは、個室が予約しやすいからだ。


 撫子なでしこ慎一郎しんいちろう、いやアシャスとヒカロアは、チェックインした部屋で一休みした後、時間前に中華料理店に入った。


 馥郁ふくいくとした香りのキーマン茶を飲みながら、アシャスはテーブルにひじをついて、頭を抱えた。


「おい。おい、撫子なでしこ……! まったく、本気でこういう挨拶あいさつ、全部こっちに押しつける気か?」


「まあ、良いでしょう。問題ありませんよ」


 慎一郎しんいちろう撫子なでしこと一緒に引っ込んでいるが、ヒカロアはのんきな顔だ。


「いや……そりゃ初対面だし、おかしく思われることもないだろうけどさ。心がけの問題じゃないか。慎一郎しんいちろうくんだって、自分の親が婚約者にけられてるみたいで、かわいそうだ」


「どうしてそう、あなたはお堅いんですかね。慣れてくると、そこがたまらないのですが」


「田舎育ちだからだよ! 村社会は怖いんだぞ、こういうところ!」


「まあ、気にしないで大丈夫ですよ。どちらかと言えば、慎一郎しんいちろうも少し、安心しています」


 ヒカロアもキーマン茶を飲んで、とりなすように笑う。


慎一郎しんいちろうの父親は故人こじんで、母親は、やや特殊な職業にいています。学生の間は誰にも口外こうがいせず、距離を置いていたそうですよ」


「へえ? そう言えば撫子なでしこも、あんまり知らないみたいだな。なにやってる人なんだ?」


 アシャスの何気ない質問に、ヒカロアは、直接は答えなかった。


「つまらない人間からコネを期待されても、確かに面倒だったのでしょうが……今となっては、状況整理はむしろ、私たちの仕事です。撫子なでしこもあなたも、初対面ではありませんよ」


「え?」


「私も昨夜、直接お会いした時は、開いた口がふさがりませんでした」


 肩をすくめるヒカロアの後ろ、屏風びょうぶの向こうの個室の扉が開いて、ウェイターに案内された人物が入ってくる。


 黒髪を丁寧ていねいげた、上品な美人だ。小柄こがらで若々しく、三十代でも通用する。落ち着いたターコイズブルーのフォーマルワンピースに、真珠のネックレスをして、ダークカラーの革のバッグを持っていた。


「お待たせしてすみません。慎一郎しんいちろうの母、冴木さえき潤子じゅんこです」


 ヒカロアの台詞せりふではないが、アシャスも、ぽかんと開けた口がふさがらなかった。潤子じゅんこが、いつもの、年齢不詳の微笑ほほえみをする。


「理事長の仕事で使っている枯井澤かれいざわは、旧姓です」


「え……えええぇぇえ……?」


「さすがに処女懐胎しょじょかいたいは無理でしたが、あなた方にとっては、運命の聖母と受け取ってもらって差し支えないでしょう。がんばったんですよ、私」


「私が言うのもなんですが、そこまでしますか」


 ヒカロアを何段階か上回るすずしい顔で、旧姓の枯井澤かれいざわあらた冴木さえき潤子じゅんこが、テーブルに着く。


 アシャスが呆然としている間に、水餃子すいぎょうざ、海老のチリソース炒め、青椒肉絲チンジャオロースー蟹入かにい炒飯チャーハン、フカヒレのスープ、北京ペキンダックが次々と並んだ。


 中国人が食べるのは中国料理で、中華料理は、日本人向けに日本でアレンジされた料理体系だ。食欲を刺激する匂いに、キーマン茶で一応、乾杯の格好をする。


「よろしくお願いします、女神です」


「知ってますよ」


 アシャスとヒカロアが、同時に突っ込んだ。


「ホント、どこまでやっちゃってんですか、これ……現場監督どころか、がっちり当事者ですよね。大丈夫なんですか? その、ルール的な、世界のことわりみたいな……?」


「問題ありません。私がことわりです」


「神らしい台詞せりふですね。やってることは、まあ、ともかくとして」


 アシャスとヒカロアのあきれ果てた視線に、潤子じゅんこはどこ吹く風だ。いそいそと水餃子すいぎょうざほおばって、舌鼓したづつみを打つ。


「捕食は生命のかせですが、料理は文化のすいですね。素晴らしいです」


「自分が贅沢三昧ぜいたくざんまいをするために、転生先に資産家を選んだのですか?」


「心外です。後々までの影響力を考慮してですね……まあ、せっかくですので、家柄と財産と容姿を、自分特典で全部盛りしました」


慎一郎しんいちろうくんの家、お金持ちだったのか? あ、それでヒカロアが貴族だって話の時、そんな感じだって……」


 私立大学の理事長ともなれば、各方面への伝手つてや資産運用の技術が必要だ。


 撫子なでしこの記憶を思い返せば、推薦枠すいせんわくで学費が一部免除だったり、学内奨学金があったり、潤子じゅんこ日榁学院大学ひむろがくいんだいがくは私立ながら費用が国立とあまり変わらず、それが進学先選択の一助いちじょになった。


 それだけでも充分に金持ちの道楽っぽいが、撫子なでしこは在学していた頃から、当時は理由がわからなくても、潤子じゅんこといろいろ話す機会が多かった。撫子なでしこが三年生になった時、慎一郎しんいちろうも入学している。


「結構な仕込みですよね、まったく……あ、あれ? じゃあ、亡くなったお父さんも、まさか計画の邪魔になったから、とか……」


「重ねて心外です。私をどんな目で見ているのですか」


 潤子じゅんこが、蟹入かにい炒飯チャーハンに海老のチリソース炒めをからめて食べながら、口をへの字に曲げる。このに及んでどんな目もないものだが、それでも、こほんと咳払せきばらいをする。


「相手は正直、どなたでも良かったのです。候補者の中から、遺伝する才能をそれなりにお持ちで、計画進行の邪魔にならない、適当に早死にしそうな方を選んだだけですよ」


慎一郎しんいちろうが、よくまともに育ったものです。したわれているのですね」


「女神ですから。あなた方も、もっと感謝してくれて良いのですよ?」


 ヒカロアの皮肉に、ふん、と鼻息を吹いて、潤子じゅんこが胸を張る。アシャスが、ヒカロアの巻いてくれた北京ペキンダックを片手に、肩を落とした。


「いやもう、魔王や四天王もそうでしたけど……そんな便利に選べるんなら、俺たちの時にも言って下さいよ……」


「あなた方の転生を、何度も繰り返す中で身につけた技術です。継続は力ですね」


「神らしくない台詞せりふですね。どことなく」


 青椒肉絲チンジャオロースーをつついて、ヒカロアがため息をつく。さすがにもう、言うことに切れがない。


「とにかく、ここまでこぎつけられたのは、ようやくなのです。運命のとして、新郎の母、新婦の恩師として、私も感慨無量です。百三十八億年の悲願達成に向けて、あなた方も気合いを入れ直して下さいね」


 恩師という自称には微妙だが、アシャスはなにも言わなかった。そんなのは、本当にもう些細ささいなことだ。


 フカヒレのかたまりに豪快にかじりつく潤子じゅんこの顔は、すでにやり遂げた感のある、子供のような満面の笑みだった。

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