9.そういうもんなんだよ!

 撫子なでしこの言う通り、アシャスは撫子なでしこで、撫子なでしこはアシャスだ。そうとしか感じようがなかった。


 ミツヒデは、いや魔王は、今生こんじょうで形成された人格と、記憶が形成した人格が重複ちょうふくした、と言っていた。


 潤子じゅんこは、いや女神は、アシャスたちの転生が初めてではないと言っていた。アシャスを嫁にしたい、というヒカロアの頓狂とんきょうな願いを考えれば、中間の転生でもアシャスは女だったはずだ。


 つまり今となっては、最初のアシャスの記憶だけが、無駄に男の意識を残しているということか。


「なんか、泣きたくなってきたな……」


「それこそ、ヒカっちの胸で泣きなさいよ。シリアスなシーンなら、あたしも観葉植物になって、静かに見てるからさ!」


「だから、観葉植物は見られる方だって。大きなお世話だよ、まったく」


 アシャスは、昨日から何度目かもわからなくなったため息をついて、バスルームを出た。せいぜい嫌がらせのつもりで、洗面台の鏡を使って、身体を前から後ろから観察する。


「二の腕と、下腹したばらが少したるんでるな。運動した方が良いぞ」


「うっさい! あんたがやれ」


「記憶の中と違いすぎて、悲しくなりそうだなあ。自分で言うけど、すごかったんだぞ、俺」


 ちょっとだけやり込めながら、寝巻きを着て、髪をタオルでまとめる。手早く化粧水と乳液を顔につけて、ドライヤーを片手に、ダイニングキッチンに戻る。


 リビングテーブルに冷たい飲み物なんかを用意して、だらだら髪を乾かすのが、これで結構なリラックスタイムだ。


 そう言えば騒がしい連中もいたな、と、アシャスがげんなりして見回すと、相変わらず居座っていたのは、黒と三毛とサバトラの三匹の猫だけだった。


「なんか減ってるな」


「は、はい。ええと……ランスタンスは、せまいところは落ち着かないと、飛んで行きました」


「せまくて悪かったな」


 おずおずと話すサバトラ猫、水のガロウィーナに適当に言い返して、冷蔵庫のアセロラジュースをコップに注ぐ。


 撫子なでしこを見習うわけではないが、こうなったら、もう動じるだけ損だ。


「ディノディアロは、飼い主の老夫婦が心配で帰ったニャ。こう見えて我らにも、都合があるニャ」


 ミツヒデにじゃれつきながら、三毛猫、火のブライストラがゴロゴロとのどを鳴らす。そういうのも、なんとなくむかっとするのだから不思議だ。


「ノミをうつすなよ、野良猫。おまえたちもさっさと出て行け。多頭飼たとうがいしてやる余裕なんてないぞ」


「ふふん、ようやく魔王さまから参集の御許可をいただいて、浮かれてるのニャ! おまえなんかの言うことは聞かないニャ!」


「許可? 俺の記憶待ちだったのか……? 妙なところで律儀りちぎだな」


「事情を知らねば、理解の難しい顔ぶれだからな。これでも気をつかったのだぞ」


「もう少しがんばれよ。あと二十年くらい、黙ってて良かったのに」


 すずしい顔のミツヒデに、アシャスが肩をすくめる。


 クッションに座って、リビングテーブルに着くと、目の前にブライストラが跳び乗った。


「ニャははははは! 甘いのニャ! 二十年もかからず、おまえを精神的に追い詰めてやるから、覚悟するのニャ!」


「あんまり騒ぐと保健所に電話するぞ、野良猫」


「聞いて驚け、恐れおののけ! 我ら火と水の姉妹、ここで魔王さまとの子猫をポコポコ産んでやる計画ニャ! 魔王さまにメロメロのおまえが、愛らしい子猫を次々処分するトラウマに耐えられるかニャ?」


「お、お姉さま! そんなことを大声で……恥ずかしいです!」


「はあ?」


 アシャスの口から、間の抜けた声がでる。思わず、ミツヒデと顔を見合わせた。


「いや、でも、ミツヒデは……」


「おまえたちには言っておらんかったか。吾輩わがはいは手術済みだぞ」


「……」


「……」


「な、なんだよ、この空気! 仕方ないだろ、そういうもんなんだよ!」


「ニャニャニャ、ニャんたる悪虐非道あくぎゃくひどう! 魔物でもそこまでしなかったニャ! とんでもない絶滅主義者ニャ! おいたわしや、魔王さまぁ!」


「魔王さまが、ど、どのようなお身体でも、私たちはいつまでも、おしたい申し上げております!」


「なに、わずらわしい体調変化から解放されて、悪くないぞ。たましいの不変を体現している吾輩わがはいたちだ。この上、肉体の因果いんがまで背負うことはあるまい」


 涙に濡れる野良猫二匹を、ミツヒデが尻尾であやす。唐突な愛の猫劇場で、アシャスはすっかり悪役だ。


「野生動物に、人間さまの常識を説明するのもむなしいけどな……別に、魔王がどうとかは関係ないぞ。そんなこと以前に、飼い主の責任だ」


「おまえなんか魔王さまの下僕げぼくニャ! 飼い主などと、おこがましいにもほどがあるニャ!」


「そ、そうです! 魔王さまは、あなただけの魔王さまではありません!」


「ああ、もう、面倒くさい。って言うか、まさにおまえらみたいな悪い虫がつかないようにするためなんだよ! しっ、しっ!」


「ニャにおうっ!」


「ま、負けません……っ!」


「ずいぶんモテてるな、ミツヒデ。野良猫のまま、放っといてやった方が良かったか。悪かったな」


「そうくさるな。おまえに復讐するのが本道だ、間違えてはおらんよ」


 なんとなくやさぐれるアシャスを、ミツヒデが流し目で見て、にゃあ、と笑う。


「まして、たかが肉体にどう執着しようと、猫の寿命などせいぜいが十数年だ。二十年と言わず、勇者よ、散々こき使って満足したら、先に死んでやるから安心しろ」


「微妙に切ないこと言うなよ! どんな顔して良いか、わからないだろ!」


「ままま魔王さまぁぁああ!」


「生きるも死ぬも、一緒ですぅ!」


「おまえらは別で良いんだぞ。遠慮するなよ。発情期になったらそこらのおすと交尾して、他人の家の軒下で、子猫でもなんでも生んで繁殖しろよ」


「こ、この……的確に尊厳そんげんを踏みにじりおって、極悪勇者ニャ……っ!」


「私……ま、負けません……っ!」


「いやもう、ホント、気が済んだら解散しろよ。明日も会社なんだよ、俺」


 正確には、会社に行くべきは撫子なでしこだが、どうせ自分から会社に行くとは言わないだろう。


 気がついてみれば、すでに寝入っているようだ。耳をすませばいびきが聞こえる、ような気がする。


 アシャスはまた、ため息をついた。慣れてきた。

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