5.なんでそうなる!

 アシャスは戸棚とだなの、ササミ味の猫缶に手を触れたまま、動きを止めた。


「……え……?」


「猫缶か。今日はマグロ味の気分だ、急げよ」


 急げ、と言われたところで、思考が追いつかない。アシャスはゆっくりと、首をめぐらせてミツヒデを見た。


「ええと……」


「それではないぞ。切らしているのなら、誠心誠意、こうべれよ。慈悲の心で我慢してやらんでもない」


 ふんぞり返ったミツヒデに、アシャスが、頓狂とんきょうな悲鳴を上げた。


「お、おま……しゃべっ……ええええええっ? おまえ、な、なに……っ?」


「何者と聞いたか? おまえに名乗るのは二回目だ。魔王ワスティスヴェントスだよ。久しいな、勇者」


 ミツヒデが、前足で自分の顔をなでる。黄金色の流し目が、にやりと笑ったようだった。


「おまえたちに滅ぼされてから幾星霜いくせいそう、ようやくまた会えて、嬉しいぞ」


「ま……魔王っ? な、なな、なんで、おまえが……?」


 アシャスは、とりあえずマグロ味の猫缶を取り出し直して、後ずさった。ダイニングキッチンではたかが知れているが、それでもギリギリまで距離を開ける。


 魔王ワスティスヴェントスは前の世界、いや、ヒカロアが<破界の魔槍ザカーティウス>で滅ぼした旧世界で、アシャスが最大の宿敵としていた存在だ。


 四本の角に銀髪、黒檀こくたんの肌と黄金の両眼、見上げるような巨躯きょく真紅しんくの甲冑と翼状つばさじょうのマントで包んだ、魔物の王だ。


 万物を永遠不変に固定、循環じゅんかんさせる百八の浮遊宝玉<流転の宝輪ケルルパイル>を使い、魔物と人間の終わらない殺し合い、世界の閉環へいかんを作り上げていた張本人だ。


 それがすでに終末期を迎え、熱的死ねつてきしに崩壊していく宇宙を維持する唯一の方法だったとしても、アシャスはすべての生命いのちに背中を支えられた勇者として、終わらせることを決断した。


 アシャスはそれで良かった。


 最悪の罪を背負って、終わらせるつもりだった。だがアシャスの願いを受けたヒカロアが、三神器の役割と罪を一身に背負って、アシャスの<創世の聖剣ウィルギニタス>に新しい始まりをたくしたのだ。


「なぜ、か。知れたこと……おまえに復讐するため、転生したのだ」


 ミツヒデが、いや魔王ワスティスヴェントスが、後ろ足で首をかきながらあくびをした。今は室内飼いだが、実家にいた頃からの習慣で続けている、ノミけの赤い首輪がゆれた。


「転生……? ええ? おまえも、か……?」


「うむ。吾輩わがはいもいわば、三神器の使徒として、宇宙の輪廻りんね貢献こうけんした身だ。おまえたちが転生するのなら、吾輩わがはいにも同じ権利がある。そう女神に直談判じかだんぱんしたのだ」


「め、女神さまっ? なにその平等精神? いや、そもそもおまえ、女神さまが出てきた最後、とっくに死んでただろっ?」


「生も死も、たましいの状態の定義にすぎん。離散集合りさんしゅうごうはあれど、真理に到達した吾輩わがはいも神の一柱いっちゅうに近い。気合いでなんとかなった」


「それだけ御託ごたくならべて、気合いかよっ?」


 アシャスの声が、思わず裏返った。愉快そうにミツヒデが目を細める。猫だけに、可愛いのが始末に悪い。


 ついつい猫缶を開けて皿に盛りながら、アシャスはかぶりを振った。


「そ、それにしても……なんで、猫なんかに……? 俺に復讐って……その状態で、どうする気だよ……?」


「殺す殺されるは、前世できた」


 満足そうに、にゃあ、と鳴いて、ミツヒデが差し出された皿のマグロ味にかじりつく。


 まるまると黒い、毛皮のおまんじゅうだ。気を抜くと、なでてしまいそうだった。ぺた、ぺた、と床をはたく尻尾も、求心力がすごい。


 アシャスの惑乱わくらんする表情に、ミツヒデがまた、にゃあ、と勝ち誇ったように鳴く。


「ふふふ。そう、殺しはしない。勇者よ、おまえを生きたまま、下僕げぼくにしてやるのだ。屈辱くつじょくに打ち震えるが良いぞ」


「なに……っ?」


「言われなければわからんか? 気がかんな。次は、猫砂を交換してもらおうか」


「え……? ああ、そうか。汚れてるもんな、悪い……」


「水皿も洗え」


「ちょっと待て、順番に……」


 まだスイーツもお惣菜そうざいもほったらかしのまま、腰を浮かせかけて、アシャスはようやく正気っぽいものを取り戻した。


「違う! なんでそうなる! おまえ、なにをいばり散らして……っ!」


「食後のおやつは、あばんチュールを所望しょもうする」


「た、高いんだぞ、あれ! おいそれと出せるか!」


「そんなやせ我慢が、吾輩わがはいを相手にどこまで続くかニャ?」


「語尾にニャとか、あざといぞ! 大体、なんだその一人称っ? 前はもっと普通だったろ!」


「猫なら吾輩わがはいだ。漱石そうせきも読んでおらんのか、情けない」


「どういうリスペクトだよっ? って言うか、おまえはどうして読んでるんだよっ?」


「電子書籍を購読した」


「な……」


 絶句して、撫子なでしこの記憶を探る。それほどの間もなく、血の気が引いた。


「まさか、タブレットで勝手に?」


 大慌てで、リビングテーブルに出しっぱなしにしていたタブレットを開く。閲覧履歴、買い物履歴ともに、覚えのない情報でスクロールが止まらない。


「ああああっ、おまえ、こんなに……っ! パスワードとかカード番号とか、どうやって……」


吾輩わがはいの前で、何度も入力していただろう。覚えた」


 当然と言えば当然の答えに、アシャスは口をむなしく開閉させた。


「飼い猫だと思って、油断したな。魔王というのは、統治組織の長だぞ。おまえたちのようなした端風情ぱふぜいとは、そもそもの知性が違うのだ」


「野良猫でも犬でも油断するよ! なんだよ、そんなで、えらそうに!」


「真の知性は、たましいに宿るのだ。少し難しいか、下僕げぼく?」


「この……調子に乗って……!」


「まあ、保存データのほとんどが画像と動画なのだから、是非もないな。苦しゅうないぞ。魔物社会は、その方面も奔放ほんぽうだった」


「ほ、方面? 奔放ほんぽう?」


「特に、画像フォルダは興味深かった。シチュエーションの細分化は、なかなかに詳細な分析と、更新にかける情熱が……」


「いや、ちがっ……それはっ! 撫子なでしこの趣味でっ!」


「槍使いも転生しておるだろう。理解が深いのは、良いことだ」


「……っ」


 アシャスの脳内に、めくるめく画像フォルダが再生された。


 撫子なでしこがウェルカムな行きすぎた友情は、実に多種多様な行きすぎ方を秘めている。


 アシャスは撫子なでしこの代わりに、頭からつま先まで沸騰ふっとう、発汗した。

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