6.自分で自分を褒めてあげます。

 撫子なでしこの勤務先は、おもに事務用品を取り扱う商社だ。


 企業向けにPCから机、椅子、複合機のリースまで仕切ることもあれば、輸入雑貨っぽい洒落しゃれた家具で店舗てんぽのコーディネートをったりもする。


 女子社員のオフィスウェアもデザインにった選択式で、ストッキングが嫌いな撫子なでしこはパンツスーツ型だった。


「ええと……ここで、こうして……これで、良いんだよな……?」


 撫子なでしこは、いやアシャスは、業務用PCを操作しながら、何度も冷や汗をかいた。


 知識と記憶は撫子なでしこと共有しているが、人格的になじみのない道具をいじるのは、やっぱり気を使う。メールチェックも一苦労だ。


 月曜日の朝、撫子なでしこは起きなかった。


「んー、お願いねー」


 それだけ言って、惰眠だみんをむさぼっている。どうやらここぞとばかり、人生をサボる気でいるようだ。


「仕事を他人に丸投げなんて、神経が太いよ。ホントに」


 正確には他人でもないのだろうが、アシャスにしてみれば、愚痴ぐちくらい言いたくなる。都合良くこき使われて、ミツヒデの台詞せりふではないが、下僕げぼくのようだ。


 撫子なでしこの好きなマンガやアニメには、似たようなシチュエーションが結構あるのも、順応が早い理由だろう。現代日本の特定人種は、メンタリティがフレキシブルだ。


奈々美ななみセンパイ、来客でーす! 応接一号、いてます」


 となりの席で電話対応をしていた女子社員が、元気に、アシャスに声をかける。新人教育から面倒を見ていた後輩で、ピンクグレージュの内巻きボブが可愛らしい。


日榁学院大学ひむろがくいんだいがく枯井澤かれいざわさんですよ! あの理事長センセー、奈々美ななみセンパイのこと、お気に入りですよね。注文の打合せとか、営業さん飛び越えて、いっつも御指名ですし」


 言われて、撫子なでしこの記憶から母校、私立大学の理事長を思い出す。


 黒髪をいつも丁寧ていねいげて、スーツも和服も着こなす上品な美人だ。五十代に手がとどくはずだが、小柄こがらで若々しく、三十代で通用する。


 撫子なでしこの会社では、カジュアルな文房具や小物を大学の購買部におろす仕事もしている。その大口顧客おおぐちこきゃくだが、撫子なでしこの在学時代から、確かにいろいろ話したり、学校行事で一緒になったりする機会が多かった。


「あの人か……わざわざ来るなんて、なんの用だろ?」


「お茶でも飲みに来たんじゃないですか? もうトモダチ感覚で」


「そんなに好かれる覚えも、ないんだけどなあ……」


 個人的に親しければ、不自然をかんづかれる危険も高くなる。アシャスとしては、無駄な緊張だ。


 あからさまにため息をつくと、少し離れた席の、すきのない七三分けにチョイマッチョの課長が、黒縁くろぶちメガネを光らせた。


「覚えがあろうとなかろうと、利用できるものは利用しろ。おまえが寿退社ことぶきたいしゃした後も、引き続き我が社を贔屓ひいきにしてくれるよう、全力でこびを売ってこい! 後任こうにんの好みも聞いておけ!」


奈々美ななみセンパイ、ガンバです! カチョーは、もうちょっとオブラートに包んでくださいよ、もー」


「おまえ、若いくせにオブラートなんて知ってるのか?」


「アレ好きですよ! ほら、きなこのついたモチモチの、なんとかデンチュー! 今度、会社に買ってきてくださいよ!」


 課長と後輩のやりとりを尻目に、アシャスは、げんなりとしてオフィスを出た。


 撫子なでしこたちの会社はオフィスビルの一フロアを使っていて、来客は一階の共用窓口から連絡をもらう。エレベーター前に行くと、なんだか大きなバッグを持った、清楚せいそな和服美人がアシャスを見て会釈えしゃくした。


「お約束もなくうかがって、申しわけありません。ほんの少しだけ、お時間を頂戴ちょうだいしてよろしいでしょうか」


「ああ、はい……こちらこそ、御足労ごそくろういただいて申しわけありません。連絡をいただければ、おうかがいしましたよ」


「いえ、それほどのことではありません。ちょっと撫子なでしこちゃんの顔が、見たくなったのですよ」


 私立、日榁学院大学ひむろがくいんだいがくの理事長、枯井澤かれいざわ潤子じゅんこ悪戯いたずらっぽく笑う。そんな表情をすると、本気で年齢不詳だった。


「は、はあ。では、まあ……こちらにどうぞ」


 アシャスが案内した応接一号は、もちろん、一番上等な応接室だ。角部屋かどべやで二面に大小の窓があり、明るくて見栄えが良い。応接セットのソファも立派なので、たまに社長が寝ていて、社員に怒られる。


 向かい合って座ると、ちょうど頼んでおいた二人分の紅茶を、課長がビシリと並べていった。他人に指示するだけあって、こびの売り方もどうっている。


 紅茶の香りを優雅に楽しみながら、潤子じゅんこがアシャスを、しげしげと見つめた。


 化粧も髪型も、普段の撫子なでしこと変わらないはずだが、アシャスの緊張は高まった。黙っているのもまずい。雑談なら雑談で、それなりに対応しなければ怪しまれる。


「それで、あの」


「確かに、成功しているようですね。ええ、もう、自分で自分をめてあげます。がんばりましたね、私!」


「え……?」


 ふん、と、潤子じゅんこが鼻息を吹く。なんだか得意げな微笑ほほえみと、言葉の意味も不明確で、アシャスは間抜けな顔をした。


 潤子じゅんこ居住いずまいを正して、上品な藤色ふじいろの和服の、胸元に手をあてる。


「あなたにとっては、そうでもないのでしょうけれど……言わせてください。お久しぶりです、勇者アシャス。女神です」


 潤子じゅんこの告白に、ソファに置かれていた大きなバッグが、もぞもぞと動いた。ファスナーが内側から開いて、大柄おおがらで毛並みのつややかな黒猫が顔を出す。


「まだ直接の確認はしていないが、槍使いも記憶を戻している。勇者とも接触済みだ。どちらも今生こんじょうの人格と奇妙に共存しているようだが、おおむね問題ないだろう」


 ミツヒデが魔王っぽく、したり顔で首をめぐらせる。潤子じゅんことミツヒデを見比べて、アシャスはようやく、事態に頭が追いついた。


「え……ええええっ? えええええええええっっ?」


「わっ! なによ、もう、びっくりした! 頭の中で、そんな大声出さないで……」


 アシャスの絶叫で、撫子なでしこの意識が起きた。らしい。


「あれ? 理事長先生に、ミツヒデ? んん? ここ、会社だよね?」 


 撫子なでしこが、もう一度、潤子じゅんことミツヒデを見比べる。顔は変わらず、アシャスと同じ、ぽかんと間抜けなままだった。


「……どういうこと、ヘナチョコ?」


「俺が聞きたいよ……」


 アシャスと撫子なでしこが、自分腹話術の状態で、呆然とし合った。

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