7.しなくて良いよっ!

 潤子じゅんこが、満足そうに一口、紅茶を飲んだ。


「聞きたい、と言いましたね、アシャス。お話ししましょう。まあ、茶飲み話として聞いてください。あの星生ほしうみ……宇宙の創世から現在までに、ざっと百三十八億年ほどが経過しています」


「は? はあ……」


「およそ旧世界のあなた方と類似るいじした構成物質、形状、精神性を有する人類が発生、進化するまで、宇宙のあちこちで試行しました」


「はあ」


 茶飲み話としては、アシャスにも撫子なでしこにも、スケールが大きかった。生返事も、アシャスなのか撫子なでしこなのかわからない。


 潤子じゅんこが、少し心外しんがいそうにふんぞり返る。


「苦労したんですよ、ここまで来るの」


「まったくだ。この女神、やることなすこと、大雑把おおざっぱでお粗末そまつでな。カンブリア爆発とか恐竜絶滅とか、ひどいものだった」


 ミツヒデが横から、これまたスケールの大きい茶々を入れる。猫なりに、ため息が重々しい。


「人類史への介入も、滅茶苦茶だ」


「私だけのせいじゃありませんよ。基本的に、アシャスが悪いです」


「お、俺ですか? なんで?」


 急に矛先ほこさきを向けられて、アシャスがうろたえる。潤子じゅんこが、こほんと咳払せきばらいをした。


「実のところ、転生はこれが初めてではありません。平和な世界でげる……せつなる願いをかなえるため、めぐりい、結ばれるために、あなた方はこの星に何度でも生まれ変わる、運命の二人なのです」


「なんですか、そのキャッチフレーズっ? 願いごとが混ざってます! 二人の合意みたいに言わないでくださいよっ!」


「イケるッ! それ、白飯三杯しろめしさんばいはイケるわッ! ちょっと、もー、素敵じゃないの! オトメの浪漫ろまんに、オトコ×オトコの浪漫ろまんをどんぶり勘定かんじょうよねッ!」


撫子なでしこ、うるさいっ! どんぶり勘定かんじょうの使い方も間違ってるよっ!」


「……あれ? 何度でも? それじゃあ、今まではどうだったのよ、あんたたち?」


 撫子なでしこの疑問符に、潤子じゅんこが苦いものをつぶした顔になる。


「ぶっちゃけて、失敗続きだったのです。アシャスの愛が足りません。せっかく女神演出の、運命の二人ですのに、出会う前に死んだり、かれ合わなかったり、他の人と……」


「お、男同士だったんだから、当たり前でしょう!」


「なに言ってんの! その当たり前を、愛で踏み外すからとおといんじゃない! あんた、昔っからヘナチョコだったのねえ、あはははは!」


「おまえだって、ファースト黒歴史三連星くろれきしさんれんせいにフラフラしただろ!」


「ぎゃーっ! それ言うな!」


 客観的には腹話術でケンカするアシャスと撫子なでしこに、ミツヒデがやれやれと、あくびをする。


「とにかく、やっと記憶を戻す最終段階にまでこぎつけた、ということだ。推測するに、今生こんじょうで形成されていた人格と、記憶が形成した人格が、同一のたましい重複ちょうふくしてしまったようだが……まあ、どちらも自分自身に変わりはあるまい。仲良くやるが良い」


「こんな複雑な状況で、無責任にあおるなよ! 大体、なんで今さら、俺たちの記憶を戻したりなんか……」


「愚問ですよ、アシャス。あなた方の人格が願いの成就じょうじゅを実感しなければ、意味がないでしょう。さりとて、生まれた瞬間から記憶があっても、それこそ結婚なんかしないでしょうし……難しかったのです」


「そ、それわかってて、やってたんですかっ?」


深謀遠慮しんぼうえんりょだな。吾輩わがはいの仕掛けた罠に落ちて、封印されていた頃に比べれば、成長したものだ」


 からかうようなミツヒデの声に、潤子じゅんこが口をへの字に曲げる。


 直近で体感している撫子なでしこの記憶と違って、アシャスの、いわゆる前々々……前世の記憶は、意識的に思い出さないと共有されないようだ。女神の潤子じゅんこと言い、魔王のミツヒデと言い、撫子なでしこはもう興味津々きょうみしんしんらしかった。


「ねえねえ、ミツヒデ。それじゃあさ、あんたは今、どういう立場なのよ? もしかして、ヘナチョコに最後に振られる、ライバル枠?」


「悪くないな。いずれ槍使いにも、そう挨拶あいさつするとしよう」


「冗談やめろよ! おまえ今、猫だろう! ヒカロアにめ殺されるぞ!」


「ほう? 吾輩わがはい生命いのちを心配するか。下僕根性げぼくこんじょうが身についてきたようで、感心だ」


「おお、鬼畜攻きちくせめね! 敬語攻けいごせめのヒカっちと、好対照こうたいしょうでイイわー! ちょっと気合い入れて、美形の魔王さまモードとかできないの? お約束の寸止めまでなら、許可しなくもないかもよ?」


「努力しよう」


「しなくて良いよっ! 撫子なでしこ、おまえ、もうホント黙ってろよ! ミツヒデもっ!」


「そんな指図さしずは受けんぞ、勇者。吾輩わがはいはそれこそ、百三十八億年も転生を待たされたのだ。おまえたちが、ぐだぐだ結婚できないせいでな」


「か、関係ないだろっ?」


「大ありです」


 ずい、と潤子じゅんこが、ソファに座ったまま身を乗り出す。応接セットの向かい側で、アシャスが思わず、のけぞった。


「この一大の達成目標は、あなた方の結婚とそれに付随ふずいする幸せです。図々しい魔王なんて、ついでのついで、達成目標の後におまけで考えてあげましょう、程度だったのです」


「おかげで延々と、この粗忽者そこつものな女神の運命干渉うんめいかんしょうを見学させられてな。いい加減、二人そろって忍耐を切らして、現場監督にしゃしゃり出てきたというわけだ」


 ミツヒデの黄金色の目が、にやりと細くなる。


「まあ、こうして復讐がてらの自由を前倒しで手に入れた以上、もう吾輩わがはいの知ったことではない。結婚だろうが、相変わらずの失敗だろうが、好きにするのだな、勇者よ」


「それでは困ります」


 潤子じゅんこがまた、口をへの字に曲げる。


「前倒しというのは債務さいむです。協力の義務とか、監督責任とか、あなたもっているのですよ?」


「認識が甘いな。義務も責任も、猫には、もっとも縁遠い言葉だぞ」


 ミツヒデが、するりとソファを降りて、窓に寄る。前足で器用に、鍵と小窓を開けた。


「あ、おい! 高層階じゃないけど、気をつけろ! マンションまでも結構あるぞ、ちゃんと帰れるのか?」


 ほとんど反射的に出たアシャスの言葉に、去り際のミツヒデばかりか、撫子なでしこの意識までが悪い顔で笑った。ような気がした。


 潤子じゅんこはへの字口のまま、紅茶の最後の一口を飲んで、立ち上がる。


就業中しゅうぎょうちゅうに、お手間を取らせましたね。本日のところは、私もこれで失礼致します。アシャス、撫子なでしこちゃんも、すぐにまたお会いしましょう」


 こほん、と咳払せきばらいをして、微笑ほほえんだ。清楚せいそでたおやかな、年齢不詳の、あのみだ。


駄目猫だめねこはともかくとして……の、です。協力を惜しみませんよ」


「あー、まあ、いろいろに落ちたわ。理事長先生が学生の頃から、あたしにあれこれ構ってきたの、こういうことだったのね」


 撫子なでしこのあきれ声に、潤子じゅんこが、子供のように小首こくびをかしげる。


「気を悪くされましたか?」


「別に。ちゃんとわかったわけじゃないけど、あたしはあたしで、ヘナチョコもあたしなんでしょ? それでいろいろ手伝ってくれるんなら、まあ、ありがたいわ。課長もさっきなんか言ってたし、これからもよろしくお願いします、ってことでさ」


 撫子なでしこ大雑把おおざっぱなまとめ方に、ミツヒデいわく、同じく大雑把おおざっぱな女神の潤子じゅんこが、嬉しそうにまた微笑ほほえんだ。


 まともな感覚では、そうはいかない。何度も繰り返した転生とか、運命とか百三十八億年とか、ってわいた情報量が多すぎる。


 嵐のような来客対応が終わって、アシャスはもう、なにを言う気力もなくしていた。

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