14.お邪魔したことあるんです。

 撫子なでしこの実家は近郊きんこうで、都心の通勤圏からは少し外れるが、在来線の乗り継ぎもない。


 よく晴れた週末の朝、撫子なでしこ慎一郎しんいちろう最寄もよえきに降りて、住宅街まで歩いた。同じ高校に通っていたので、慎一郎しんいちろうにしても地元に近い。


撫子なでしこちゃんの家、高校の頃に一度だけ、お邪魔したことあるんです。だからこの辺の道も、なんとなく覚えてますね」


「なるほど。その時の記憶は……ああ、確かに。残念ながら、まだ恋人同士ではなかったのですね」


「部活動のみんなと一緒に、撫子なでしこちゃんたちの学年の、引退パーティーをしたんです。それはそれで、とても楽しかったんですよ」


 のんきな慎一郎しんいちろうとヒカロアの会話に、だいぶ遅れて、撫子なでしこがぐだぐだ歩いていた。


「おい、撫子なでしこ。実家に着いたら、おまえ、ちゃんとしろよ」


「うっさい、ヘナチョコ」


 なんとかまっすぐ歩きながら、アシャスが撫子なでしこに説教する。撫子なでしこはもう、今日だけで何度も、出たり引っ込んだりしていた。


「自分の家族だろう。慎一郎しんいちろうくんが挨拶あいさつするんだから、おまえが出てなくちゃ駄目だ。この前みたいに、丸投げなんてさせないからな」


「わかるけどさー、うー」


 肩肘かたひじを張るアシャスに、撫子なでしこがうなる。


「そりゃ、電話で知らせた時も、喜んでくれたわよ。でも、ほら、大学の時に出戻って、就職したらまた出て、それっきりでさ……あんただって、あたしの記憶で、ウチの家族のことわかるでしょうに」


「明るい、良い家族じゃないか。なにが不安なんだよ?」


「いや……なんて言うか、反応の程度が怖いな、って……」


「大丈夫だよ、撫子なでしこちゃん。ぼくもがんばるから、安心してね」


「うん、まあ、シンイチローがどうこうって心配は、してないけどさ」


「私たちも、しっかりサポートをしましょうね、アシャス」


「俺たちが出しゃばったら最悪だぞ! 余計なことするなよ、絶対!」


 二人の腹話術じみた会話に、時々すれ違う人が、首をかしげている。


 慎一郎しんいちろうはダークグレーのスーツにネクタイ、それに合わせて撫子なでしこも、紺色こんいろのワンピースだ。フォーマルな装いに、芸人の即興劇そっきょうげきのような取り合わせが、確かに奇天烈きてれつだった。


 そうこうしているうちに、撫子なでしこの実家に着いた。


 住宅街のはしの、赤紫あかむらさきの屋根が小綺麗な二階建てだ。撫子なでしこが呼び鈴を押して、大げさに深呼吸してから、玄関扉を開けた。


 撫子なでしこの両親が、ちょうど廊下に、スライディング正座で三つ指をついた瞬間だった。


「本日はっ!」


「お日柄も良くっ!」


 口上こうじょうも、夫婦そろって着込んだ礼服も、ショートトラック何周分かフライングしていた。撫子なでしこが、無言で口をぱくぱくさせた。


撫子なでしこの父、杏介きょうすけです!」


「母の、花菜はなです!」


 ちょっと白髪の混じった、五十代も後半の二人が、きっちり最後に声を合わせる。


「冗談抜きでふつつか者ですが! どうか末長く!」


 慎一郎しんいちろうは、まだ玄関に入ってもいない。撫子なでしこの後ろから肩越しに、なんとか笑って会釈えしゃくした。


 撫子なでしこが我に返る。


「ちょ、ちょっとやめてよ、お父さん、お母さん! まだ靴も脱いでないのに、段取りもなにも滅茶苦茶でしょ! それから、その台詞せりふ、本人以外が言ったら悪口だからねっ? 冗談抜き、とかつけるな!」


 両親とも、そんなまともな指摘にひるむテンションではない。撫子母なでしこはは花菜はなが、胸で両手を握り合わせ、撫子なでしことよく似た目をうるませた。


慎一郎しんいちろうくん! 昔、一回だけ遊びに来てくれたよね? おばさん、覚えてるわ……っ!」


「ぼくもだ……! 撫子なでしこがまともな男友達を連れてきたのは、後にも先にもあれっきりで、なんと言って良いのやら……っ!」


 花菜はなの隣で、撫子父なでしこちち杏介きょうすけも、早くも白い絹のハンカチーフで目元をふく。たまりかねて、撫子なでしこ地団駄じだんだを踏んだ。


「お父さんっ! あの時は! 部活の! 集まり! 他のみんなもいたでしょ!」


「本当にもう、このは誰に似たのやら。今まで、見てくればっかりのオトコにホイホイ引っかかって……」


「お母さんっ! 多分、あんた! 人のこと言う前に、昭和アイドルの写真、ちゃんと見えないところに隠したんでしょうねっ?」


「母さんから、あの時の君の隠し撮り写真を見せてもらって、こんな子が撫子なでしこをしっかり支えてくれれば、って、二人で何度ため息をついたことか……」


「そんなもの撮ってたのっ? 失礼だから全部処分してよ! とにかく家に上がらせろ!」


 撫子なでしこの剣幕と、止まらない両親の勢いを見比べて、なるほど、と言わんばかりに慎一郎しんいちろうが、襟元えりもとを正した。まだ、玄関の外で。


「ありがとうございます……ぼくもまだまだ未熟者ですが、これから二人、助け合って幸せな家庭を築きます。撫子なでしこさんと、結婚させてください!」


「シンイチローも! こんなスピード感に合わせなくて良いから!」


 撫子なでしこの絶叫に、アシャスとヒカロアが、内心で目を見合わせた。


「……撫子なでしこの性格がこうなったの、わかった気がするな」


「……ええ。あなたと同じたましいなのに、育ちの影響というのはすごいですね」


 フォローも、余計なことも、あったものではない。騒ぎは、まだしばらく続きそうだった。



********************



 リビングのテーブルには、いくらと錦糸卵きんしたまごのちらし寿司、トマトとアボガドとクリームチーズのサラダ、ホワイトアスパラの生ハム巻き、ローストビーフのマッシュルームソースがけ、タンドリー風味のチキンに魚介ぎょかいのグラタン、カボチャのポタージュスープなんかが、これでもかとならんでいた。


 ならべすぎて、取り皿を置くスペースもない。いくつかの大皿は、お盆を脇に置いてどかした。全員おそろいの座布団は、多分、新品だ。


「どう、慎一郎しんいちろうくん? 美味おいしい? たくさん作ったから、遠慮しないでいっぱい食べてちょうだいね!」


「ありがとうございます。すごく美味おいしいです」


 最初にビールで乾杯をして、後はもう、下にも置かない歓待かんたいぶりだ。慎一郎しんいちろうも礼儀正しく応対して、杏介きょうすけ花菜はなも顔がゆるみっぱなしだった。


 撫子なでしこが、疲れた細目でローストビーフを口に運ぶ。


「まったくもう、出だしっから恥ずかしい暴走して……大体、こんな派手目な料理、お母さんだって普段は全然……ふもがっ!」


「はははは! 気に入ってくれたら、撫子なでしこにもみっちり仕込んでおくから! 期待してくれて良いからね!」


 撫子なでしこの頭を後ろからわしづかみに押さえて、杏介きょうすけが笑う。


 結構な大きさのテーブルで、撫子なでしこと並んだ慎一郎しんいちろうの真向かいに座っていたのに、瞬間移動でもしたような速さだ。口の周りをマッシュルームソースだらけにしながら、撫子なでしこが抗議する。


「お、お父さん、そういう言い方は差別的! 今時、料理が女の仕事って、決まってるわけじゃ……」


「あら、まあ。そんな生意気は、他のことでオトコ心をしっかり捕まえられるようになってから言いなさい。料理が一番、汎用性があって、練習コスパが良いのよ?」


「ふ、ふみません、おはあさま」


 今度は花菜はな両頬りょうほほを引っぱられて、ふがふがと無条件降伏する。ここまで来ると、アシャスも静かに同情した。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る