第三章 おひまさま

第十四話

「懐かしいものがあるよ、カイナ」

『手書き原稿ですね!』

 直弘が机の上に置いたのは原稿用紙の束だった。分厚さが尋常じゃない。伊織は目を瞠る。

「これ、全部カイナさんが?」

『そうだよ。いやぁ、昔はすごいことをしてたなぁ。もうパソコンなしじゃやってられないよ』

 カイナの現代人さながらの言葉に伊織は苦笑した。


 八月も中頃に入った。

 久しぶりの掃除だ。というのも七月下旬から八月上旬にかけてカイナが仕事に追われ、掃除に手が付けられなかったのだ。今日はお家の棚の整理をしている。

 伊織は直弘とカイナをちらりと見る。

 この間の真の言葉を思い出す。森の中で消えた五人。皆、直弘の知り合い。

 二人が理由なく人を消すだなんて考えられない。彼ら自身も否定していた。だが、彼らは怪異だ。人間と同じ理屈で動いているか分からない。今更ながらに思った。

 だが、二人との生活は特に変わったところはなく、穏やかに進んでいる。

 たとえ、二人が五人を消していたとしても――。

 直弘とカイナ、彼らを恐れる己の心を無視してでも、この生活を手放したくなかった。

 

 朝から掃除を始めたというのに、時刻は午後三時を回っている。

 伊織は棚に手を伸ばす。

 お家の棚は、離れや蔵と違い、比較的新しいものが出てくる。携帯電話、壊れたパソコン、本やもう使えないだろう文具類。ほとんどはカイナのもののようだ。

『捨てられないんだよ……』

 カイナが気まずそうに手首を逸らして言葉にする。直弘が机の上に並べられたそれらを見つめ、伊織に言う。

「伊織ちゃん、使えないものを選んでみて」

「私がですか?」

「うん。僕にはどれも不用品に見えるから」

『酷い!』

 伊織は恐る恐るそれらを仕分けしていく。思い出の品だろうもの、もう使えないもの、売れそうなもの。

 伊織は本や電子機器をまとめる。

「ここら辺は売れるんじゃないでしょうか」

『本は、また読み返すかも……』

「読み返してるの見たことないよ」

 直弘がにこりと笑う。掃除に関してだけ、直弘はカイナに甘くない。

 カイナがもそもそと文字を打ち込むが、その度に直弘に言葉を返され、やがて諦めたように項垂れた。

『売ります……』

「じゃあ、伊織ちゃん。売るものを段ボールにまとめてくれるかい?」

 伊織は頷いた。

 お家の棚は一台じゃない。だが、今日のところは一台が限界だろう。

 カイナは相当捨てられない質らしい。小物がわんさかと出てくる。一つ一つカイナの言い分を聞いているうちに日は暮れていく。

 伊織は棚の奥に手を伸ばす。小さな木箱が出てきた。大きさはない。厚さも一センチくらいだ。

 伊織は箱を開けようとして気付く。中で何かが蠢いている。その動きはだんだん大きくなっていく。そして、漂う嫌なにおい。

「伊織ちゃん、貸して」

 直弘の穏やかな声。伊織は開きそうになる蓋を必死に押さえ、直弘にそれを手渡す。直弘とカイナはその箱をしっかりと押さえ込むと、お家を降り、靴を履いて裏口に向かう。

 がたがたと建付けの悪い扉を肘で開け、そして、箱ごとそれを外に投げた。

「ひっ」

 お家から覗いていた伊織は悲鳴を上げる。

 箱から出てきたのは黒い艶のある泥。腐った怪異、化物だった。それは地面に落ちると、体をもたげ、恐ろしい速さで母屋に向かってくる。

 直弘が言った。

「おひまではありません」

 そして、扉を閉めると静かになった。二人がお家に戻ってくる。

『伊織ちゃん、無事?』

「だ、大丈夫です」

 カイナの言葉に伊織は頷く。声は上ずってしまうが、怪我はしていない。

 直弘が棚を覗き込む。

「湿気で腐っちゃったんだね」

『除湿シートでもいれましょうか』

 伊織は唖然とした。本当に怪異は湿気で腐るのだ。

『直弘さんも手袋をした方がいいんじゃないでしょうか?』

「そうかもね」

 二人の会話に伊織は首をかしげる。

「手袋ですか?」

「ああ。怪異はね、腐った怪異に触れると腐ってしまうんだ」

「え」

 伊織は短く声を漏らす。カイナが指を鳴らす。

『腐ったみかんの隣にあるみかんも腐るでしょ?それと一緒だよ』

 そんな軽々しく腐られては困る。

「腐らないでくださいね……」

 伊織は弱々しく漏らす。カイナが親指を立て、直弘が微笑んだ。

「勿論だよ」

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