第九話
岩森家の母屋には裏口がある。客間側の土間とお家側の土間。客間側には玄関があり、お家側には裏口がある。
こちらも例にもれず、セキュリティに問題しかないようなガラスがはめ込まれた木の扉。建付けが悪く、ガタガタと音をたてて開けるのが常らしい。
裏口を出て数メートルもたたないうちに蔵はある。
赤土の壁に屋根は瓦。全盛期は立派なものだったろうが、今は壁にひびが入り、随分と古びた印象を受ける。
木製の引き戸を開けるとむっとしたにおいが噴き出てきた。古いもの特有のあのにおい。
「これはすごいな」
「そうですね」
真が漏らした声に伊織は深く同意した。
中は恐ろしいほど雑然としていた。
広さはさほどない。四畳くらいか。木製の頼りない階段があることから、二階の存在も確認できる。
だが、とにかく一階だ。
段ボール箱は勿論、括られた新聞紙、綱、割れたガラス、使いようのない木材など。きっと、不要物を無理矢理押し込めたのだろう。
直弘が天井に垂れ下がった心もとない電球のスイッチを入れる。ショートしないかはらはらするが、とりあえず今は大丈夫なようだ。明かりに照らされ、宙を舞う埃が目に映る。
直弘が辺りを見渡し、困ったような表情でカイナを見た。
「何から手を付けよう?」
『とりあえず手当たり次第にいくしかないんじゃないでしょうか』
カイナの答え。確かに段取りを付けて片付けをしていくのさえ難しそうだ。ひたすらに事を進めていくしかなかろう。
伊織は白手袋をしっかりとはめて、段ボール箱に手を伸ばす。もう二度と、怪異を腐らせてはならない。
伊織は一つ目の箱に手を伸ばした。
掃除は難航を極めていた。
まだ使えそうな食器、ゴミ袋にも入らないような大きな不要物、用途不明の必要か不必要かも分からない何か。
真が奥から木製の大きな枠組みを取り出す。
「これ、なに?」
「農機具の残骸かな?」
「じゃあ、もういいか」
直弘の言葉を聞くと、真はそれを遠慮なくへし折り、細かい破片にしてゴミ袋に放り込んだ。
カイナがスマホに細々と文字を打ち込み、こっそり伊織に見せる。
『残骸でも私にとっては思い出の品なんだ……。あのおっさん嫌い』
そう言ったカイナの冷たい腕を伊織は布越しに撫でる。カイナが気落ちしているのは明らかだ。はやく掃除を終わらせた方がいいかもしれない。
伊織は気合を入れて、壁に立てかけてあったベニヤ板を持ち上げた。ぎょっとする。そこには腰丈以上の大きさの銃が無造作に置かれていた。
「ああ、猟銃だな」
真が伊織の後ろからひょいとそれを持ち出す。
「直弘、免許持ってたっけ?」
「持ってないよ。たぶん、祖父のだろうね」
「なるほど」
そう言うと、真はそれをまじまじと観察する。
「こりゃいい銃だな。倉庫に置いとくにはもったいない」
「使う?」
「あー、ちょっと考える」
伊織がぽかんとしていると直弘が笑う。
「真はね、狩猟免許を持ってるんだ」
「狩猟免許」
「そうそう。ここら辺、害獣多いから狩るんだよ。ほら、鹿とか」
真の言葉に伊織は思い返す。そういえばこの家に来る際、鹿を見た。
「すごいですね」
素直に言うと、真が照れるように頭に手をやる。
「あはは。まあ、ここら辺じゃあ、持ってる奴も多いんだけどな」
「田舎だからね」
さらりと直弘の言葉。やはり田舎は未知の世界だ。伊織はただただ感心する他なかった。
そして、直弘がぽつりと言う。
「康樹君にはお世話になったな」
真の動きが止まった。そして、震える声で言った。
「……ああ、そうだな」
その話はそこで終わった。
物だらけの蔵。人間二人と怪異二人。皆で動き回ると中々に窮屈だ。
「じゃあ、僕達は二階に行くね」
伊織は頷く。
とりあえず一階の大きな物の処理は終わった。あとは小箱類だ。伊織はそれらの分別を任された。直弘とカイナ、そして真は、更に混沌を極めるという二階に向かった。
三人が二階に上がると木で出来た天井がきしむ。落ちてこないだろうか。若干不安だ。そう思いながらも片付けは続く。
上から直弘と真のたわいない会話と笑い声が聞こえてくる。虫を踏んだとかなんだとか。
カイナはさぞかし機嫌を損ねているに違いない。りんごジュースで持ち直してくれたらいいが。
伊織は小さな箱を開けては、使えるものと使えないものを選別していく。使えないと判断したものは後でカイナと直弘に尋ねてからゴミとしよう。
蔵には食器類が多い。伊織はそれらの箱をひとつずつ上から片付けていく。汗を拭い一息つく伊織の目に深い緑が止まる。
伊織はそれに積んである荷物を下ろしていく。そして、出てきたのは――。
「わあ」
伊織は感嘆の声を漏らす。それは鞄だった。
直弘が初日に着ていた着物の深い緑、あれに似ている。四角くしっかりとした骨組みがあり、手持ちの部分は皮で出来ている。
埃はついているが拭けばまだ使えそうだ。着物姿の直弘が持てば、さぞ粋だろう。その姿はカイナを喜ばせるに違いない。まあ、直弘が出かけることはないと思うが。
伊織は少しだけ心を躍らせ、鞄に手を伸ばし、持ち上げた。
「うわっ⁉」
鞄にもっていかれそうになった重心。伊織は何とか踏ん張り、鞄を持ち上げる。
この鞄、やけに重い。何が入っているのだろう。
伊織は床にそれを置き、金属でできた留め具を外す。ぱちんぱちん、と小気味よい音をたててそれは開いた。
伊織は絶句した。
腕だ。中には腕が入っていたのだ。
それは男性の左腕。浅黒く焼けて健康そうな肘から下の――。
その腕は血が通っているかのように生々しく、今にでも動き出しそうだ。鞄の中は真っ赤に染まっていた。血も腕と同様生々しい。
伊織は言葉を発することができなかった。
頭に浮かぶは直弘の左腕。今はカイナが住むその場所。では、正しくあったものは、直弘の左腕は何処へ。それは、もしかして。
足元がゆらりと波打った。
「え」
伊織は声を上げる。
腕の入った鞄の下から床が崩れていく。まるで蟻地獄のようにずぶずぶと鞄が沈み、それは伊織の足元にまで広がってくる。
「ま、待って!」
蟻地獄は伊織の左足を飲み込み、やがて、右足を飲み込んでいく。伊織は必死になってもがくが、もがけばもがくほど、足は取られていく。
「助け――」
伊織がその言葉を紡ぐより先に、頭は地面に呑まれていった。
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