第四話

 一四時に作業は再開した。

 太陽は登り切り、強い日差しが大地を焦がす。だが、離れは外よりも幾分も涼しかった。山の中だからだろう。窓から通る風は涼やかだ。長袖長ズボンでもなんとかやっていける。

 午前中に段ボール箱は九割方片付けた。

「あとは行李だね」

「こうり?」

 直弘が口にした聞きなれない言葉に伊織は首をかしげる。カイナがスマホに文字を打ち込んでいる。そして、伊織に見せた。

『行李・こうり 竹や柳で編んだ箱形の物入れ。旅行の際に荷物を運搬するのに用いたが、今日では衣類の保管などに使用。「柳―」出典:デジタル大辞泉』

 どうやらネットで検索したようだ。成人男性に付属する青白い女の腕。怪異だ。なのに、大変俗っぽい。

「ありがとうございます」

 伊織はカイナにお礼を言い、行李に向かい合う。縦幅は一メートル、横幅は六十センチほどだろうか。子ども一人は入れそうな柳で編まれた箱。

「伊織ちゃん、開けるの手伝ってくれる?」

「はい」

 直弘と伊織は箱の左右の短辺を片側ずつ持ち、少しずつずらすように蓋を開けた。中には薄い紙に包まれた柔らかそうなものが入っている。紙に封をするように、紐が結び付けられている。

「古いね」

『これはイトのかな』

 直弘とカイナがそれを持ち上げる。話の読めない伊織。顔に出ていたのだろう。カイナが物を下ろし、スマホを握る。

『イトっていうのは直弘さんのお祖母さん、つまり、伊織ちゃんのひいおばあちゃんだよ』

「そうなんですか」

「知らないよね。祖母はもう三十年前に亡くなったから」

 どこか寂し気な、それでいて、慈しむような直弘の表情に伊織は目を逸らした。伊織はこれ以上、話が続かないように声を上げる。

「これ、何ですか?」

『ふふ、何でしょう』

 カイナが楽しそうに紐を解いた。

「わあ」

 伊織は感嘆の声を漏らす。そこには折りたたまれた着物が入っていた。白地に紫の花。

「状態は良さそうだね」

『しかも、朝顔だ。この時期にぴったり』

 直弘が着物を紙から取り出し、広げる。カイナは嬉しそうに肌を赤らめる。

『伊織ちゃん、合わせてみてよ。きっと似合う!ほら立って、立って』

 カイナに促され、伊織は立ち上がる。手渡される着物。袖を通してみる。

『うん、やっぱり似合う』

「身頃も裄もぴったりだね」

『着付けしよう、着付け!』

「帯も出てくるかなぁ。探してみようか」

 とんとん拍子に話を進めていく二人。だが、もっと重要なことがあったはずだ。伊織はおずおずと片手を上げる。

「あの、部屋の片付けは」

「確かに」

 直弘の顔から笑顔が引き、至極真面目な顔で頷いた。カイナはピクリと動きを止めた後、しょんぼりと手首を垂れる。

『そうだね。今日中に部屋片付けないと伊織ちゃん寝られないもんね……』

 『でも』と打った後、カイナは伊織に向けて勢いよくスマホを突き出す。

『出てきた着物で着付け大会するからね。伊織ちゃんファッションショーだよ!』

 お洒落には興味のない伊織である。だが――。

 袖を通した着物を見やる。涼し気な朝顔柄の裏地の付いていない着物。粋というのはこういうものの事なのだろう。少し気分が上がった。

 伊織の顔に笑顔が浮かぶ。

「是非、お願いします」

『やったー!』

 カイナが嬉しそうに掌を広げた。

 着物を包む紙はたとう紙と言うらしい。行李に入っている着物を一着ずつ出していき、たとう紙を開けていく。

「ああ、これは虫に食われてるからもう駄目だね」

『勿体ないですね』

 上品な桃色の着物を二人は残念そうに折り畳む。こうしていると普通の片付けだ。しかし――。

「その、こういうところに怪異がいたりするんですか?」

「そうだよ」

 直弘があっさり答える。

「怪異はどこにでもいる。だから、こうやって片付けて風通しを良くしてやらないといけないんだ」

「風通し?」

 何の関係があるのだろう。

『怪異は湿気と黴で腐っちゃうから』

「ええ⁉」

 伊織は思わず大きな声を上げる。腐った怪異は化物になる。その事実を踏まえると。

「そんな簡単なことで腐るんですか⁉」

「そうなんだよ。あっさり腐っちゃうんだ」

『だから、掃除しないといけないなぁってずっと直弘さんと言ってたんだけど……』

 部屋の惨状。埃をかぶった段ボールに、かなり古そうな着物達。

「いつから掃除してないんですか?」

「僕の代ではしてないね」

「腐った怪異は怖いんですよね⁉」

 直弘とカイナは伊織から視線を逸らした。

 伊織は腐った怪異がどのようなものかは知らない。だが、先ほどから二人は恐ろしいと、人を喰うと伊織を脅している。それなのに湿気と黴を放置している。あまりの危機感のなさに唖然とする。

 直弘と目が合う。

「そんなものだよ」

 にこりと笑った直弘。それでは済まされないのではないか。

 伊織は恐る恐るたとう紙にくるまれた着物を取り出す。腐った怪異が出てくるかもしれない。そう思うと心臓が早鐘を打つ。

 結ばれた細い紐をそっと解く。中から何かが跳ねた。

 それは軽やかに宙を舞い、埃っぽい畳の上をころころころ、と転がった。

 伊織は目を見開く。

 そこには丸い物体がいた。楕円形のふんわりとした白いボディに緑の細長い二つの耳。真っ赤なくりくりとした目がこちらを窺っている。それはまるで、雪で出来た兎。

 直弘が目を見開く。

「これは……。しらうさぎさん、だね」

「しらうさぎさん?」

「うん。僕も初めて見た」 

 そう言うと直弘は伊織の手元のたとう紙を覗き込む。

「ここから出てきたみたいだ」

 そちらに目を向けると、黒い帯。そこには雪の結晶が描かれており、中央が不自然に空白になっている。

 雪兎、いや、しらうさぎは赤い目をぱちくりとさせ、直弘、カイナ、そして、伊織をそれぞれ目に映した。そして、何を思ったかぴょんぴょん、と跳ねながら伊織の方へ寄ってくる。正座をしている伊織の横にぴったりとくっついた。

 可愛らしい。だが、とても奇々怪々なことが起こっている。雪兎は動くものではない。しかも、目の前のそれは口もなければ鼻もない。足もないのに跳ね上がる。

「もしかして、これが怪異ですか?」

 伊織は二人に向かって問う。直弘が頷いた。

「うん、そうだね。この子は怪異だ」

『伊織ちゃん、懐かれたね』

 といわれても素直に嬉しいとは言えない。

「この、その、しらうさぎさん?も、腐ったら化物になるんですか?」

「勿論そうだよ」

 直弘が変わらない笑顔で言う。

 伊織はジーンズに頭をすりすりしているしらうさぎを見やる。この生き物が腐り、化物になり果て、己を喰らうなど想像もつかない。

『素手で触れちゃ駄目だよ』

 カイナの言葉に伊織は頷く。

 不可思議な生き物だが、この愛らしいものが化物になるなんて嫌だ。伊織は白手袋をはめ直す。

 しらうさぎは顔を上げて、伊織の目をじっと見る。顔を上下させ、耳を動かす。何をしているのか。何か言いたいのか。違うのか。分からない。思わずカイナの方を見る。

 カイナは掌をしらうさぎに向け、時々頷くように、手首を前後に動かす。伊織は尋ねる。

「カイナさん、しらうさぎさんは何を言ってるんですか?」

『そうだね』

 意味深な間の後、カイナは文字を打ち込んだ。

『分からないや!』

「分からないんですか!」

 堂々たるカイナの言葉に伊織は返す。しらうさぎはこちらの言葉が分かっているのか、顔を下に向けて悲しそうなそぶりを見せる。だが、再び顔を上げると辺りをキョロキョロとし始めた。

「何か探してるの?」

 伊織が問うと、しらうさぎは体を上下させる。おそらく頷いている。

『この部屋に関係あるのかな?』

 カイナがスマホをしらうさぎに向けるが、しらうさぎは首をかしげる。

『もしや文字が読めないのか。伊織ちゃん、読んであげて』

 カイナに言われた通りに言葉を声にして伝えると、しらうさぎは全体の三分の一くらいの頭を激しく縦に振った。この部屋に何かがあるのは間違いなさそうだ。

『じゃあ、掃除してたら何か出てくるかな?』

「そうですね。続けましょうか」

 伊織は立ち上がる。だが、直弘は立ち上がらない。

『直弘さん?』

「どうしよう。いったん座ると面倒になってきた」

 思いがけず怠惰な理由。カイナが直弘の頬を人差し指ではじいた。直弘は小さく声を上げる。

「いたた。大丈夫、ちゃんとするから怒らないでくれるかい?」

『もう、伊織ちゃんの寝床もかかってるんですからしっかりしてください!』

「そうだったね。すっかり忘れてたよ」

 直弘は頬を撫でながら立ち上がる。

「まだまだ箱はあるね。どんどん開けて行こうか」

 頷く伊織の足元でしらうさぎがぴょんと跳ねた。

 

 行李は全て空け、着物の整理を終えた。まだ使えそうなものは半分にも満たなかった。虫に食われているものが多かったのだ。

『これからはちゃんと掃除します、すいません』

「僕もちょっと反省した」

 二人がしょんぼりとしている所でおやつ休憩に入った。

 お家に戻り、麦茶を用意し、クッキーを開ける。スーパーに売っているごく一般的なお菓子だ。伊織は個包装のビニールを開けてクッキーを口に含む。ふっと疑問が湧いた。

「車、ありませんよね」

「僕、免許持ってないからね」

「買い物どうしてるんですか?」

 その問いにカイナが素早くスマホを見せてくる。スーパーの通販サイトだった。

『日用品も食品も全部ネットショッピング』

 カイナがスマホを持ちながら器用に親指を立てる。どこか誇らしげだ。

 唖然とする。あまりにも現代的すぎる。そこで思い至る。

「え、待ってください。じゃあ、ここまで荷物届ける人がいるってことですか?」

「勿論そうだよ」

 直弘が麦茶に入ったガラスコップを持ち上げ、喉を潤すと答える。

「郵便屋さんが来てくれるんだ」

「あの道を」

 伊織はごくりと息を呑む。薄暗い道。落ちたらただじゃすまなさそうな斜面。

『大丈夫、あのおっさんはベテランだからね』

「そうそう。もう慣れっこだよ」

 世の中にはすごい人がいるものだ。

 ぽかんとしている伊織の手に僅かな重み。視線をやると、しらうさぎが手に握られたクッキーをじっと見ている。

「欲しいの?」

 しらうさぎは伊織の方に顔を向け、体を上下に振る。一応確認しておこう。

「この子、人間のお菓子、食べて大丈夫ですか?」

『私達も食べれるんだし大丈夫じゃない?』

「おそらく怪異は内臓が存在しないから、壊すお腹もないと思うよ」

 内臓が存在しない。とんでもないことを知ってしまった。

 伊織はティッシュを広げ、そこに二枚入りのクッキーの一枚を置く。しらうさぎの顔の下側。口が開いた。

 真っ赤な口内。そして、生えそろった白い歯。見たくなかった。バキッと音を立てクッキーが砕かれる。

 伊織は静かに顔をカイナに向ける。

 カイナにも口があるのだろうか。掌の中央からぱかっと開いたりするのだろうか。怖い。だが、先ほどからクッキーも食べてないし、麦茶も飲んでない。

『伊織ちゃん?』

 伊織は首を横に振る。たぶん口はない。そう思っておこう。きっと知らない方がいいことだ。

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