Ⅵ 反旗
ルキャプリコルヌが手元のボタンを押すと、いくつかのモニター上で白い煙が満ち、次々と中にいたスタッフたちが倒れていった。昨晩、スタッフが帰った後に私たちが設置した、睡眠ガス発生装置によるものだった。
気を失ったように、眠っている四つの部屋のスタッフたち。これで、十名が無力化されたのだが、喜びよりも拍子抜けした気持ちが勝ってしまう。
「随分あっさりしているのね」
「平和的に解決できるのが一番よ」
「とはいえ、まだ課題は残っているから、油断するなよ」
私の本音に、ルキャプリコルヌは自慢げに言い切る。対して、ハッカー係の男・ルトロは一つに束ねた青い髪を横に振った。彼の茶色い瞳は、とあるモニターに注がれている。
それは、武器庫の前を映していた。二人の守衛が、そこに立っている。この場所の扉は、監視部屋から操作できず、彼らの持つカードキーが必要だった。
それを認めたレポソワンは、大きく腕を回しながら言った。
「よし、行ってくる」
「頼んだわよ」
ルキャプリコルヌの叱責を受けて、私たちは監視室から出た。
「……『手術』の時間は、いつになるのかしら?」
「分かんねぇ。先生が動いていないのを見ると、まだ先のようだが」
上も下も白一色の廊下を歩きながら、そんなことを二人で話す。
出来るだけ早く、ベースからの脱出を狙っていたが、逃走ルートの確保などに時間がかかり、地下室の少女が手術を受ける当日に計画を実行することになった。
だが、肝心の地下室の出入り口は、まだ見つかっていない。ルトロが組織のシステムに侵入して探し回っているが、暗号が難解で三日間苦戦している。
最終手段として、先生を脅して聞き出すことを視野に入れている。そのため、現在個室で一人パソコンを操作している先生だけは、睡眠ガスを浴びていなかった。勝手に外へ出ないよう、ルキャプリコルヌがドアを開けられないようにしているので、そこに押し入るのは最後と決めていた。
廊下を左に曲がった行き止まりが、その武器庫だった。
そこの前に立つ二人の男は、急に現れた私たちを見て、目を丸くした。腰に下げた銃に手を伸ばすほどではないが、戸惑っている。
「どうした? 今日、仕事はないはずだが」
「急遽入ったんだ。カードキーを貸してくれ」
右側の男が話しかけたので、レポワソンは彼に歩み寄りながら手を出した。相手は怪しむことなく、言われた通りにカードキーを取り出したが、もう一人の男が「ちょっと待て」と制した。
「念のため、一度確認した方が、」
しかし、彼は最後まで言い終わることが出来なかった。
左側の男の背後に回ったレポワソンの腕が、彼の首に巻き付き、蛇のように締め上げた。「グッ」と苦しそうな声を上げて、男はレポワソンの腕を掴もうとするが、力が抜けていく。
「テメェ!」
右側の男はカードキーを落ちして、銃を抜いたが、標準が定まるよりもレポワソンが動く方が速かった。
後ろ向きのまま、レポワソンは壁を一気に駆け上がる。あっという間に二人の男よりも高い位置まで到達すると、壁を蹴って、その両足を右側の男に振り落とした。レポワソンの足が頭部に命中したその男は、床に叩き付けられる。
「相変わらず、化け物じみているわね」
私の呟きも、気を失った二人も無視して、レポワソンは床に落ちていたカードキーを拾い上げた。それを武器庫の入り口の横のセンサーに翳して、ドアを開ける。
その中は、狭いなりに武器でぎっしりに詰まっていた。私は、いつも使っているリボルバーと他の銃やその弾などと、麻酔銃を二丁見つけて、手に取った。そのうちの一丁は、腰にホルダーとオートマチックを吊ったレポワソンに渡す。
必要以上の殺しはせずに、スタッフたちは麻酔銃で眠らせていくというのが、私たちの作戦の一つだった。
「それでも、ボスと先生は殺すことになるだろうな」というのは、レポワソンの言葉だった。私もそれには賛同している。頭を潰さなければ、組織は壊滅出来ない。
武器庫を出て、ドアが閉まった後、レポワソンは持っていたカードキーをぽきりと折り曲げた。カードキーは一枚しかないので、これで他のスタッフたちがここを使うことは出来なくなった。
次に私は、イヤホンとマイクが付いた無線用のインカムを付けた。ベース内全体は、携帯の電波を使えないようにしているため、これを用いて監視室と連絡を取り合う。レポワソンも、同じようにインカムを付けた時、『お疲れさま』とルキャプリコルヌの声が聞こえた。
『あと、外には七人のスタッフがいるわ。まだ、ベース内の異変に気付いていないみたい』
「分かったわ」
「ボスと先生の様子はどうだ?」
『どちらも動きは無し。ボスの方は、様子が分からないけれど、自室から出てはいないわ』
「あんがと。気をつけるよ」
ルキャプリコルヌによると、この武器庫以外には、ボスの部屋と手術室が外から操作が出来ないという。ボスの動向については、監視部屋の二人に任せて、私たちは他のスタッフから制圧する。
「よし、作戦通りに、ここからは二手に分かれよう」
「ええ。ラヴィエルジュのこと、お願いね」
「おう」
この武器庫から出発して、私は右回り、レポワソンは左回りにベース内を巡る予定になっている。レポワソンはその途中にある、訓練中の少女・ラヴィエルジュの部屋に入り、彼女を保護する予定だった。
その後に、ベースの中心にある監視部屋で落ち合い、ルキャプリコルヌたちにラヴィエルジュを保護してもらう。この時の状況次第で、手術室から地下室へ行くか、先生を脅すかが決まる。
『その角を先、出入り口にスタッフが二人。自動ドアが開かないことを、不信がっている』
ルキャプリコルヌからの簡潔な説明で、今の状況を把握することが出来た。
声を出せないので、いつものようにインカムを二回叩いて、了解の合図を出す。ここからは慎重に、足音を忍ばせて進む。
「……駄目だ。携帯も県外だ」
「どうなってるの? あの部屋も開かなかったし」
困り切った様子の男と女の声が聞こえてきた。私は角から躍り出て、二人に麻酔銃を向けた。
「動かないで」
鉄製のドアの前に立ち往生していた男女は、驚いてこちらを見ると、すぐに両手を挙げた。どちらも携帯電話を持ったままだが、この状況下では使えない。
二人に向かって、ゆっくりと近付いてみる。男が、苦々しい顔をして口を開いた。
「ルリオン、一体どうしたんだ。こんなことをするなんて……」
「理由は勘づいているんじゃない?」
皮肉めいた笑みを浮かべて、私は麻酔銃の引き金を引いた。
男の腹部に小さな針が刺さると、彼はとろんとした目つきになって、足元から崩れ落ちた。
だが、この後の二発目を撃つためのタイムロスを、女の方は見逃さない。腰の後ろから拳銃を引き抜き、私に向けた。
しかし、この行為は想定内だ。私は左手で先にリボルバーを抜き、彼女の拳銃だけを撃った。武器が宙を舞い、絶望しきっている相手に向かって、二発目の麻酔銃の針を撃ち込む。
『左側からスタッフが接近』
ルキャプリコルヌの無線を聞いて、私は麻酔銃を構えながら後ろを向いた。
視線の先、銃を構えた女のスタッフが立っていた。私が屈み込んで前回りをすると、頭上を銃弾が掠めていった。
女が二発目を装填している間に、その足に麻酔銃を撃つ。短い悲鳴の後、彼女も倒れた。
無線からの指示が来ないので、他に近付いているスタッフはいないようだと、私はほっとする。そして、彼女が持っていた銃に目を向けた。
武器庫の守衛もそうだが、スタッフたちは、容赦なく私たちを撃ってくる。こちらは麻酔銃を使用していても関係ない。
悲しいという気持ちすら沸かなかった。やっぱり、そんな風に見ていたんだなという納得感があり、こちらも彼らのパーソナリティーはさほど知らないので、これでイーブンだとも思う。
『ルリオン、朗報よ。レポソワンがラヴィエルジュを助け出したわ』
「本当?」
『しかも、ついでに残りのスタッフも倒しちゃったみたい』
嘘ではないと分かっていても、一瞬信じられなかった。彼と別れてから十分足らずで、四人のスタッフを制圧し、ラヴィエルジュも救出したなんて。
自称最強だったルコンセールには悪いが、この結果を鑑みると、メンバーの中で一番腕が立つのはレポワソンのようだ。彼がそのようなことを自慢しない性格だから、隠れていただけで。
『そのまま、監視部屋に来てちょうだい』
「分かったわ」
駆け足で、監視室へと向かう。
開いたドアをくぐると、先程まで一緒にいた三人に、もう一人小さな人影があり、その子がさっとレポワソンの背後に隠れた。
「ラヴィエルジュ、何ともなくて良かったわ」
私が声をかけると、ひょこっと顔を出したラヴィエルジュが、小さく頷く。この子とは何度か顔を合わせたことがあるが、声をあまり聞いたことがない。元々大人しいのか、組織のせいでこうなったのかは分からない。
レポワソンは、自分の背後で腰に掴まっているラヴィエルジュの頭をガシガシと少々乱暴に撫でた。彼の顔は、安堵したようで綻んでいる。
「一先ず、第一関門はクリアだ」
「あとは地下室の開閉だけど……」
私が入ってきてからも、ずっとパソコンに向き合っていたルトロは、そのままの恰好で首を横に振った。
「まだ駄目だ。あと一パーセントだが、そこが難関で、手間取っている」
「でも、いつまでも待っていられないわ」
苦い顔をしたルキャプリコルヌが見つめるモニターの中では、先生が何度もドアを叩いている様子が見えた。
「先生が、異変に気付いたみたい」
「俺達が行ってこよう」
「お願い」
名残惜しそうにしているラヴィエルジュとハッカーの二人を残して、私たちは再び監視室を出発した。今度は脅すことが目的なので、麻酔銃と彼ら用の銃も置いていく。
進みながら、レポワソンは大きくため息をついた。
「地下室の子を助けたら、今度はボスか」
「そうね」
ボスがこのまま、自室から出なければ、最終的に手榴弾で扉をこじ開けて、入っていく予定だった。ただ、この作戦は音と爆風が酷くて非常に目立ち、地下室にも影響が出る可能性もあるので、制圧と救出の後だと決めていた。
「……五歳の頃にここへ連れてこられてから二十年、自由になるチャンスが来るなんて、予想だにしなかった」
「……私たち、馬鹿みたいに組織の言うことを信じていたからね」
「外へ出たら、あの子はルリオンと一緒に暮らすことになるんだよな」
私は無言で頷く。
両親を失ったあの子にも親戚などがいるはずだが、組織の追手が来ることを考えると、そちらに頼むことも難しかった。
「あの子、エニーって言うんだ」
「確か母親が、最期にそう呼んでいたのね?」
「ああ。俺と母親の分も、彼女のことを頼んだ」
「気が早いわよ」
珍しく弱気なレポワソンにそう返した時、私たちは先生のいる個室の前に辿り着いた。鉄製の両開きのドアから、ドン、ドンと一定のリズムで音が聞こえている。
私たちは、お互いの銃を抜いて、安全装置を外した。
『準備はいい? 自動ドアをオンにするわ』
ルキャプリコルヌの一言に頷いた瞬間、ドアがスムーズに開いた。
ずっとドアを叩いていた先生は、前につんのめったのを立て直した。しかし、目の前にあるのは二丁の銃口で、先生の顔は青褪める。
「君たち、何を、」
「先生、俺たちは手術の秘密を知ってるんだ」
冷酷な声で、レポワソンが告げる。
その指が、引き金に掛かったのを見て、先生は間髪入れずに両手を挙げた。
「反乱か? 他のスタッフたちはどうした?」
「みんな眠っているわ」
おろおろと取り乱す先生を見て、軽蔑する気持ちが出てくる。これまで、逆らうことができないから、銃の撃ち方や人体の急所を叩きこまれて、死体や内臓への耐性を付けさせられた。あの時感じていた恐怖が、嘘みたいだ。
死神が、ライオンの絵を見た時に話していた内容を思い出す。小さい頃から「恐ろしいもの」だと思い込まされてきただけで、彼も結局は、ただの人間だ。
「何が目的だ? 組織の乗っ取りか?」
「自由になりたいだけよ」
「さあ、地下室の開閉方法を教えてもらおうか」
レポワソンが一歩踏み出し、先生の頬に銃口を当てる。しかし、先生は奥歯を喰い縛りながら、質問にはだんまりを決め込んでいる。
理由は分からないが、ここまで来ても話すつもりはないらしい。
「レポワソン、尋問は諦めて、ルトロのハッキングを待った方が」
『二人とも! 地下室の行き方が分かったよ!』
その時、ルトロからの無線が入って、私たちはそちらの方に気を取られた。
レポワソンの銃口が離れた隙を衝いて、先生は正面突破で部屋の外へ出た。
「待て!」
瘦せ細った手足を振り乱すように走る先生の後を、私たちも追いかける。レポワソンは怒りに満ちた顔をしていた。
先生は、一つのへの前に辿り着くと、そこのドアに自分のカードを翳して、開けた。そこは、手術室だった。
まさか、地下室の子を人質にするのでは?
嫌な予感がした私の隣で、レポワソンはさらにスピードを上げて、一気にドアの前まで来た。
『待って! そこには何があるのか分からないから、』
ルキャプリコルヌの悲鳴のような叫びが聞こえたのと、レポワソンがドアをこじ開けるのは同時だった。
サブマシンガンの音が聞こえた。いくつもの銃弾を浴びたレポワソンは、力なく体が勝手に後ろに下がってしまう。
「レポワソン!」
すぐ目の前で名前を呼んでも、彼は反応しなかった。見開いたままの瞳が、前方を眺めたまま動かない。
――私は、頭で考えるよりも早く動いていた。レポワソンの後ろに回る。
自分が一瞬間前にいたところに、巨大な銃弾がいくつも通り過ぎる。だが、ほんの僅かな隙間から見えただけでも、先生の位置はしっかりと把握していた。
私が来た方向とは逆側から、リボルバーを差し出し、引き金を引いた。「ぐわっ」という声が聞こえて、やっと銃弾の雨が止んだ。
……私がレポワソンから離れると、彼は仰向けに倒れた。体中から穴が開き、何度も銃弾を受けた顎は取れかかっている。
視線を手術室の中に向けると、先生は胸を撃たれて、苦しそうに呻いていた。それを見つめる私の心は、氷よりも低い温度になっていた。
銃を構えたまま、先生に近付く。だが先生には、持っているサブマシンガンを構える力もないようだった。
私が目の前に来た時、手術室のベッドに背中を預けていた先生は、突如笑い出した。私は、青い炎のような声で尋ねる。
「……何が可笑しいのよ」
「やはり、君たちは私の最高傑作だ」
このまま放っておいても死んでしまうほどの出血量でも、先生は息も絶え絶えに話し出した。
「躊躇なく、仲間の死体を盾にするなんて、普通の人間にはできない芸当だ」
「……あなたたちが、そうしたのよ」
「ああ。そうだよ。だからこそ、最高傑作だと言ったんだ。君たちが自由になったとしても、私からの呪縛からは逃れられない!」
「もう、黙ってて」
嬉しそうに、とてもとても嬉しそうにそう叫ぶ先生の額を、私は撃ち抜いた。筋肉が力を失い、先生は仰向けに倒れて、動かなくなった。
私は、無言でその屍を見ていた。もはや、怒りも抱かない。最期の一言に対しても動揺もなく、私たちのことをそのようにしか見れなかった彼のことが、むしろ憐れだった。
その時、インカムから、すすり泣く声が聞こえることに気が付いた。
『ああ、レポワソン……ごめんなさい、もっと早く注意しておけば……』
『いや、僕があの時声をかけなかったら……』
ルキャプリコルヌとレポワソンの嘆きを聞いて、胸が押し潰されそうになった。私にも、もっと先生の動向に見張っておけばという後悔がある。
私は、そっとその遺体の元に歩み寄る。開いたままの目を閉じさせようと手を伸ばす。
でも、彼のことを「盾」のように扱ってしまった私に、そんな資格はあるのだろうか? ――そんな思いが頭を過り、手が止まってしまった。
「汚れた手でも、やれることはあるはずだ」……その時、レポワソン本人が、かつてそう言っていたのを思い出す。だから私は、彼の瞳を閉じさせることが出来た。
『ルリオン!』
直後、ルトロの叫び声が聞こえて、私は立ち上がった。
『ボスが、外へ逃げだした! 出入り口に向かっている!』
はっとして、ボスの部屋から一番近い方向を向く。
『ここから向かった方が速い。先に行ってくるよ』
「気を付けて」
ルトロにそう声をかけて、私もボスのいる方向へと走り出した。
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