Ⅱ 再会
暗闇の中でライトアップされ、木々に囲まれたその城からは、常に沢山の人が出入りしている。まるで、城自体が息をしているかのようだった。
煌びやかドレスと礼服に身を包んだ人々は、みな表情が朗らかだ。同じ通りの上を歩いていても、私ほどの緊張感を纏っている人はどこにもいない。
「相変わらず、金持ちは締まりがねぇな」
私の隣を歩く
私は彼を横目で睨みながら、口を開いた。
「態度が悪い。目立つよ」
「別にいいだろ。ルリオンは、気真面目過ぎんだよ」
ルコンセールは、はあとこれ見よがしに溜息をつく。私はその挑発を無視して、これからの仕事について整理することにした。
視界の中に入っている城で開かれているパーティーに私たちは潜入し、ある大企業社長を暗殺する手筈となっている。このような大人数の場では、主にナイフが獲物のルコンセールが実行する。今夜の私はサポート役だ。
正直に言えば、私はルコンセールのことが苦手だった。組織に育てられた殺し屋の内、実行役は私を含めて4人いるのだが、その中で一番腕が経つという自信をいつも漲らせている。
一方で、ルコンセール自身も、私のことを苦手のようだった。はっきりと言われたわけではないが、杓子定規のつまらない奴だと思っているらしい。
とはいえ、仕事をする上では、個人の感情は関係ない。無言のまま二人で並んで、外の階段を上がり、城の前まで来ても、特に疑われる様子もない。
第一関門は、出入り口の前にいる警備だ。緊張しつつ、私はハンドバックの中から、ルコンセールは懐から偽物の招待状を取り出して見せると、難なく中に入れてもらえた。
人知れずほっとして、城の中へ入っていく。周りに合わせて、今夜の私は淡い桃色のドレスに赤のハイヒールを履き、白いショールを肩周りに巻いていた。
ルコンセールも、黒の燕尾服に革靴を鳴らしながら歩く。普段はぼさぼさとしている赤茶色の髪もしっかり撫でつけられている。
彼が十八歳、私が十五歳のため、周りと浮いてしまうのではないかという懸念も多少あったが、特に気にせずとも良さそうだった。パーティー参加者の年齢は幅広く、十歳未満の子供を連れている女性もいた。
確か、このパーティーは地元の著名人の誕生日だったはずだ。わざわざここまで盛大にしなくてもと、呆れた気持ちになる。
「今時、城を貸し切ってパーティなんて、費用も馬鹿にならないのに、主催者は見栄っ張りね」
「だが、そのお陰で仕事がしやすいだろ」
にやにやと人の悪い笑みを浮かべながら、ルコンセールは言い切る。その意見には賛同できるので、私も頷いた。
ホテルなどの会場と違い、こういう場所は監視カメラが殆ど無い。他にも、広さの割には、警備員が少ないなど、私たちにとっては有利になる点が多い。
城から入った位置にあるホールも広々としていて、重厚な玄関ドアと対面する階段は、駅で見るものよりも幅が広い。二階はVIPルーム、左に曲がればダンスホールがある。
丁度その時、私たちが右耳に付けていた小型インカムに、通信が入った。
『こちら、本部。無事に潜入できたようね』
聞こえてきた女性の声は、
私たちは、髪の毛で隠された耳を叩いて、返答の代わりをする。二回は「了解」の合図だ。
『標的は一番奥のVIPルームにいるわ。ルコンセールはそちら付近で待機。ルリオンは警備の様子を改めて確認してちょうだい』
私たちは、もう一度「了解」と送る。私の胸元の薔薇のコサージュ、ルコンセールの燕尾服のボタンには小型カメラがあり、それを用いて、ルキャプリコルヌはパーティー会場の様子を把握している。
私とルコンセールは、改めて目を合わせた。
「そんじゃ、行ってくるわ」
「ええ。また後で」
ルコンセールの軽快な挨拶を、私は重く受け止めて頷く。彼は、「硬過ぎだろ」と言いたげな表情だったが、そのまま回れ右をして階段の方へ向かった。
私は左側のダンスホールへ入っていく。こちらは玄関ホールよりもずっと天井が高く、シャンデリアが鍾乳洞のようにいくつもぶら下がっている。
舞台上のオーケストラが絶えず流し続けるワルツに合わせて、真ん中では十何組かが手を取り合って踊っていた。それを見ている人々も、壁際の料理を取り分けている人々も、みな和やかな表情をしている。
私はダンスホールを半周しながら、警備員の立ち位置を確認していた。事前に聞いていた場所に、きちんと人数もその通りにいて、手薄だという印象はここに来ても変わらなかった。
舞台の隣の壁は四角く括り抜かれて、どこかへ続いている様子だった。確かここは、トイレだったなと思いつつ、そちらへと足を踏み入れた。
ホールと比べると、人の数はぐっと減るが、トイレの出入りはひっきりなしだった。そちらの方に背を向けて、壁をじっと見つめている人物が、なぜだか目を引いた。
黒いスーツとネクタイ、黒い髪と瞳、左足に重心をかけるような立ち方……カラフルな衣装が目が眩むような城の中で、影のような彼を見て、あっと声が出そうになった。いつの日か、仕事の後に出会った死神だった。
一瞬、彼のことが自分にしか見えないのかと思ったが、トイレから出てきた人が怪訝そうな目を向けているので、そういう訳ではないだろう。ショールで、胸のコサージュを隠してから、彼に近付いてみた。しかし、数センチの距離になっても、こちらに気付かない。
「久しぶりね」
そう声をかけた時、やっと彼がこちらに顔を向けた。
虚を衝かれたような彼の顔が、「おや」というように眉を上げた。
「君かぁ。最初、誰だか分らなかったよ」
「あれからもう、二年も経つからね」
途端に相好を崩した死神に、私は淡々と事実を述べる。
こうして、今一度彼の隣に立つと、自分の身長が伸びたことが分かる。一方、彼の方は当然のように、外見はあの時と一切変わっていなかった。
私はちらりと、彼が眺めていた壁の方を見た。
壁には、一枚の絵がかかっていた。三日月の浮かんだ砂浜を描いた油絵を、彼は微動だにせず眺めていたらしい。
「いや、まさかこんなところで会えるとは思わなかったよ」
「今日はあなたも仕事でしょ? 私がいるってことは知らなかったの?」
死神がいるということは、人死にが出るということだ。それは私たちの手によるものなので理解できるが、死神はそのことを全て把握しているのだと思っていた。
すると、死神はいやいやと緩やかに首を振った。
「僕らが仕事の時渡されるリストには、亡くなる人の名前とか基本的な情報とか、殺人とかの場合は実行者の姿くらいしか載っていないんだよね」
「ああ、だからなのね。今日の私は、実行者じゃないから」
『ちょっと、ルリオン、カメラが映らなくなってるよ。直してちょうだい』
納得して頷いていると、本部から連絡が入った。
死神の姿が映らないようにしていたので、振り返りながらショールをコサージュの上から外す。
『標的がルームから出てきたわ。今、ルコンセールが追いかけている。五分以内には玄関ホールに来て』
私は「了解」と合図をして、首だけで振り返り、死神に軽く手を挙げて、歩き出した。
数歩進んでから、背後で足音がするのに気が付いた。
「……なんでついてくるの」
「僕もこっちだから」
後ろの死神を睨むと、平然と私が行こうとしていた先を指さして言われた。
確かに、ルコンセールが標的を殺す瞬間に、死神も居合わせていなければならない。振り払う理由も無くなったので、仕方なく、二人並んでダンスホールを歩き始めたが、こういう煌びやかな場所で真っ黒なビジネススーツの彼は目立ってしまう。
「……服装」
「ん?」
「それ以外にはなかったの?」
指摘されて、彼は困惑したようにスーツを上から撫でた。
「しょうがないよ、これが制服みたいなものだから。着替えられないという訳じゃないけれど、クロエスキーの絵を見るのに、霊体のままだと失礼になるから、予定にない実体化することになっちゃって」
「ふーん」
相槌を打ちながら、死神の真剣な横顔を思い出す。
じっと絵に見入っている死神だけが、パーティー会場ではなく、まるで美術館にいるかのようだった。
「絵、好きなんだね。人間に関する物事は、全て見下しているもんだと思っていた」
「極端だなぁ」
死神は、困惑したような笑い声を零す。
こういう一瞬だけを見たら、彼が人間ではないとは思えないだろう。
「誰だって、自分に無いものには、憧れるものだよ」
「それもそうね」
俗世間とはかけ離れた生活をしている私にも、そう言う感覚には覚えがあった。
例えば、私はパソコンの操作が全然身に付かなかったので、ハッキング技術を持っているルキャプリコルヌには憧れている。反対に、彼女からは、「殺し屋になれなかった落ちこぼれだから、あなたが羨ましい」と言われるけれど。
「君には、何か好きなものはないの?」
「好きなもの……」
突然投げかけられた質問よりも、こちらに向けられた、死神の無邪気な瞳に戸惑い、私は目を逸らした。私に、こういう目線を向けられる人は、殆どいない。
組織の中の人も、私たちのような手術を受けたメンバーを、恐れや自信作を見るような顔で眺めている。やはり死神なので、人間に対しては平等に見ているようだった。
「正直、好きなものなんて、ないわよ。多分、手術によって、そういう感情も取り除かれていると思う」
知らず、そんなことを口走っていた。
とはいえ、カヌレに異常な執着を見せるルキャプリコルヌや、人を殺すことに快楽を覚えている節のあるルコンセールなどの例外はいるが、私たちは総じて、喜びの感情に疎い。
「まあ、僕がこの前会った、君と同業者の彼も、無趣味だったし、職業病みたいなものなんじゃないかな?」
急に、死神があたふたとした様子で、私のことを擁護するようなことを言い出して、今度は彼の顔を凝視してしまう。彼は、きょとんとした様子で見つめ返していた。
トイレの前から人込みをかき分けて移動し続けて、ダンスホールと玄関ホールの間にいた。ふと、死神の歩き方に、多少の違和感を抱いた。
「右足」
「ん?」
「怪我してるの? それとも義足?」
「え?」
驚いた死神は、思わず立ち止まっていた。首を捻りながら、自分の右足に触れる。
「何か、変だった?」
「ちょっと、右足の運びがぎくしゃくしていたから」
「そういうことを言われるのは初めてだなぁ」
「いつも人のことを観察しているからね」
三千年間、彼の右足のことを指摘する相手がいなかったことを意外に思いながら、私は、出入り口のすぐそばの壁際へ移動した。ここからなら、階段も含めて、玄関ホールの全体がよく見える。
死神も、当然のように後をついてきた。すでに追い払う理由はないけれど、見られているのは少々気まずいなと思っていたが、彼は私よりも後ろで、壁に背を預けていた。そのままじっと、何も言わず、無表情のまま動かない。
階段の上の廊下に、ルコンセールがいるのを見つけた。彼の目線の先に、今回の標的である社長が、大きな腹をゆすりながら歩いている。
まさかここで、と一瞬思った。流石に目立ってしまう。階段を下りてから実行するのだろうかと眺めていると、標的の右側に、ルコンセールが重なった。
銃声が聞こえた。会場外の時間が、止まってしまったかのようだった。
背筋を、氷のような手でなぞられているような感覚がした。見なくとも、伝わってくる。私の背後には、今、人の姿をした「死」がいる。
……ルコンセールの体が、小さな爆発に吹き飛ばされたかのように跳ねた。口の中が渇いていく私をよそに、ルコンセールは、その背中を手すりにぶつけ、仰け反らせた。
さかさまになったルコンセールの顔が見えた。瞳孔が開き、口から流れ落ちた血が、額へと逆流している。
「ルコン、セール?」
自分の声だけが、信じられないくらいに空虚に聞こえた。
返答のない、動くこともない、彼は死んでしまった。それを受け入れた瞬間、体中の毛穴が開いて、汗が噴き出した。
「……じゃあ、僕は、行くね」
背後から、囁くような死神の声がした。はっと我に返ると、辺りの音が戻ってきた。
悲鳴、怒号、押し合いへし合いする人々――阿鼻叫喚とかした会場の中、どこを探しても、死神の姿は見当たらなかった。
『ルリオン……聞こえる?』
感情を押し殺したようなルキャプリコルヌからの無線が入る。私は、早鐘を打つ心臓を抑えながら、右耳を二回叩いた。
『今は、今はここから逃げることだけを考えてちょうだい』
平静を装っているが、ルキャプリコルヌの声は震えている。だが、彼女の指示は正しい。
私は、もう一度了解の合図を送り、人ごみに紛れて歩き出した。ルコンセールの死体を残して。
……何かが崩れて、壊れ始めたんだ。
動揺する心の内でも、冷酷に、そんなことを考えている部分があった。
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