アウト・サイダーズ

夢月七海

Ⅰ 邂逅


 町は今日も賑やかだ。


 石畳の路地を歩きながら、そんなことを思う。四角くて背の高い建物が両側に立ち並び、昼間の太陽は白く輝いている。

 道行く人たちと、すれ違ったり、追い抜いたりしながら、彼らの顔を盗み見る。肩を寄せ合うカップル、子供と手を繋ぐ親、聞いている音楽に体を揺らす若者……人通りは少なくても、そんな通行人たちが目に映る。


 彼らは皆、こんな毎日が当たり前のように続いているのだと、信じて疑わない。

 そう思い至った瞬間、私は酷く自分が場違いな所にいるような気持ちになった。寒々しい風が吹く。


 角を一つ曲がると、途端に辺りは暗くなる。誰からも忘れ去られたような場所で、ゴミ捨て場を荒らす猫が、私に気付き、さっと逃げていった。

 こういう所の方が、大通りよりも安心する。自分の根元まで染みつく寂れた価値観に呆れながら、無意味に足音を響かせる。


 屋根と屋根に挟まれた空は狭い。大きな雲が立ち込めてきたのだろうか、路地はさらに暗さを増した。

 どこからか、数人の男たちが喋っているのが聞こえてきた。ぼそぼそと、当たり障りのない会話を交わしている。漂ってきた煙草の匂いを辿りながら、彼らのいる方向へ向かう。


 迷路のような家々の合間を縫うように歩き、しばらくして目的の場所へ着いた。そこには、四人の着崩したスーツの男たちがいた。

 壁に寄り掛かり、煙草を吹かしていた彼らは会話を止め、私の方を見ている。一方私は、彼らの一人一人の顔を確認し、足元に空の注射器がいくつか落ちているのを眺めて、ここで間違いないと確信する。


 私が現れたことに驚いて押し黙った彼らだったが、顔を見合わせて苦笑していた。困惑よりも、私を小馬鹿にするような空気が流れる。

 それはそうだろうと、冷静に彼らを見上げて思う。私は、黄緑色の髪をハーフアップにして、琥珀色の瞳があどけない、十三歳の少女なのだから。おまけに、来ている服は三段のフリルがついた白いワンピースに、臙脂色のカーディガンだ。


 ただ、油断してもらった方がこちらもやりやすい。

 私は、「なあ」と口を開いた、右側の手前の青い髪色の男に狙いを定めた。


「お嬢さん、迷子か? それとも、クスリを買いに」


 話しかけている途中、人は非常に気が緩んでいる。これ以上の好機はない。

 ワンピースのベルトの、後ろ側に付けたホルダーから、小型のリボルバーを抜く。最低限の動きで、安全装置を外し、銀色の銃口が男の額を捉えた一瞬、引き金を引いた。


 小さな銃声、崩れ落ちた青い髪の男を見て、男たちはざわめき始めた。状況を飲み込み、自分たちの危機に気付いたが、まだ反応は遅い。

 反対側に立つ、茶髪に金色のメッシュが入った男が、自身の銃を懐から抜いたが、それよりも早く、私はその額を撃ち抜いた。


 だが、すでにこの時点で、他の男たちも銃を抜いてる。ここからは、コンマ一秒で命を懸け合う世界だ。

 二つの銃口が、私の頭部を狙っていることを把握して、一番効率の良い避け方を計算する。結果、私は両足を大きく開き、上半身を深く沈めた。


 銃声が二回響き、弾が二つ、頭上のギリギリを交差する。どちらかが分からないが、息を呑む音がする。

 この間、メッシュの男の後ろのスキンヘッドの男の額に、銃口を向けたまま、微動だにしない。あとは、右手の人差し指を動かすだけだった。


「ジッド!」


 最後に残ったオレンジ色の髪の男が、額の穴から血を噴き出しているスキンヘッドの男の名を叫ぶ。

 ああ、最期の瞬間に名前を呼んでもらえるなんて、羨ましいな。そんな思いが、脳内を掠める。


 屈んだ状態から、右足を頭上高く上げる。予想外の動きに驚いた男の隙を衝き、構えた銃を掴んだ両手を回し蹴りでずらす。

 右足と同じ軌道を描いたリボルバーが、男の顔を捉える。恐怖に引き攣った彼の眉間を撃った。


 最後の一人が倒れて、路地裏は静かになった。この四人は、三分前まで、自分たちが殺されるとは思いもしなかっただろう。

 先程まで、彼らが生きていた痕跡として、火がついたままの煙草が転がっている。それも、一人が流した赤い血によって、消えてしまった。


「ねえ」


 その時、背後から、突然話しかけられた。


「ちょっと、話を聞いてもいい」


 反射的に、私は振り返りながら、銃を撃っていた。

 かろうじて見えた、男のものらしきシルエットの額に、銃弾が当たり、彼は仰向けに倒れた。


 ……私は、動かなくなった彼の姿を見下ろしながら、肩で息をしていた。四人を相手にした時よりも、心が疲れている。

 彼は、偶然ここに来てしまっただけなのに、死んでしまった。目撃者を殺した後は、やるせなさを感じる。


 目撃者は、黒いスーツと黒いネクタイを締めた中肉中背の、二十代後半の男だった。顔立ちに特徴はないが、少々垂れ目気味で、右頬にほくろが二つ縦に並んでいる。それから、この辺りでは珍しい、黒い髪と瞳をしていた。

 そんな彼に背を向けて、私は銃をしまい、カーディガンのポケットから携帯電話を取り出した。組織の人たちに連絡して、この場の死体と血を片付けてもらうためだ。


 画面を押そうとした時、はたと気が付いた。彼は、いつの間に、私の背後に忍び寄ったのだろうか? 足音も、気配も、全く感じなかった。

 それに、どうして私に話しかけていたのだろうか? この状況を説明して欲しかった? 死体が4つも転がっているのに、悲鳴もあげずに?


 ……かさりと、後ろから布が擦れる音がした。一瞬、生死の駆け引きをしているような緊張感が、路地裏を支配した。

 再び、銃を構えて後ろを向く。……先程死んだはずの男が、やけに緩慢な動きで、身を起こそうとしていた。


「いきなり殺されるとは思わなかったよ。いや、急に話掛けてきた僕の方が悪いけれどね」


 立ち上がった男は、幼児に悪戯されてしまった後のような苦笑を浮かべていた。

 彼の額には、開いていたはずの穴は無かった。鼻で分岐させられた血の川だけが、私の銃弾が当たったことの証拠として残っている。


 ……銃を構えながら、把握できたのは、そのくらいだけだった。スラックスから白いハンカチを取り出して、自身の血を拭き取っている男からは、人ならざる雰囲気が漂っている。

 それは、彼が生き返った瞬間を見たからと言う訳ではない。妙に、馴染み深さを感じる冷たさという、矛盾した感情を沸き上がらせる。


 乾ききった口を開いて、私は、男に当然の疑問をぶつけた。


「あなたは、一体、何?」


 ハンカチをポケットに戻した男は、左足に重心を掛けるように立っていた。

 そして、真っ黒い目を細めて、口元を吊り上げた。


「僕は、死神だよ」






   ◐






 死神。文字通り、死を司る神。

 人の寿命が尽きる瞬間に現れ、そこに佇んでいるだけでその死を実行し、魂がどこへ行ったのかを記録するのが主な仕事。普段は幽霊のように姿が見えないが、自分の意志で生きているものの前に現れることができるという。


「今回は、君がどうして殺し屋をしているのか気になって、話しかけてみたんだ」


 男、もとい死神は、にこやかにそう説明した。

 まるで、道を教えているかのように、緊張感のない話し方で、私の方が拍子抜けしてしまう。


「……私のこと、怖くない?」


 自分では落ち着いたと思っていたが、私は場違いな質問を返していた。

 死神は、首を捻りながら、人懐っこい瞳で私を眺めていた。


「こう見えて、僕は三千年くらい、人間の生き死にを見てきたからね。これくらい、何ともないよ。ただ、昔、殺し屋と一対一で話したことがあって、それからちょっと興味を持っているってくらいかな」

「そうなの」


 私は間抜けな声で返答して、パチパチと瞬きを繰り返した。

 目の前の青年は三千年生きている。生きていると表現するのは違うのかもしれないが、ともかく、三千年という長い時間を彼は見続けた。


 それなら、何の話をしても、彼は別に驚かないだろう。それに、相手が人間ではないのなら、特に大きな影響もないのかもしれない。

 肝が据わってきた私は、自分の半生について、簡単に説明した。


 ……とある、組織があった。それは、裏社会に所属しながらも、この国の政治や経済に大きな影響を与えるほど、巨大な権力を持っていた。

 この組織は、ある時思い至った。孤児や殺害された標的の子供を一から教育していけば、絶対に裏切らない最強の殺し屋を作ることができるのではないか? と。


「なかなかの発想だね。それで、君はどちらの方だったの?」

「後者」


 私は、五歳まで、普通の家族の中にいた。父と母と兄の四人暮らしで、強いて言うならば、父親が政治家だったのが変わっている点だった。

 ある晩、目出し帽をした組織の男たちに、家族は殺された。そして、私は彼らに誘拐された。


「つまり、君にとってその組織は家族の仇なんだよね? それなのに、どうして、その組織の命令に従っているの?」


 私は、死神のもっともな疑問に頷き、自分の髪の毛をかき分けて、「これを見て」と、前頭部を見せた。

 そこには、半円状の傷とつぎはぎがあった。


「何か、手術痕みたいなのがあるね」

「そう、手術されたの」


 髪型を直して、私は死神を見上げた。


「頭を開けて、脳を直接いじくって、人を殺すのに必要のない感情や組織への反抗心を取り除いたのよ」

「なるほど」


 このことを誰かに話すのは初めてだったが、全く動揺はなかった。手術されているからかもしれないが、相手が死神であること、そして、このことに驚いたり憤ったりしたりせず、平然と受け止めているからかもしれない。

 死神は、顎に手を当てながら考え込み、「君は……」と言いかけて、はたと気付いたような顔をした。


「そういえば、君の名前は聞いていなかったね」

「ルリオン」

しし座ルリオン……コードネームなのかな?」


 無言で首肯する。本名は忘れかけているが、話すつもりなどなかった。死神も、本名を訊いてくるようなこともしない。

 丁度その時、私がカーディガンのポケットの携帯電話が鳴りだした。画面を見ると、組織からの連絡だった。


「どうしたの?」

「組織から。随分と時間がかかっているから、不審に思ったのかもしれない」

「そっか。じゃあ、僕は行くね」


 顔を上げると、その一言を残して、死神の姿は影も形も無くなっていた。見えなくなったのか、本当にどこかへ消えてしまったのかは分からない。

 電話を取ると、やはり組織からで、仕事の様子を尋ねられた。それに淡々と答えながら、死神と出会うなんて、殺し屋を長くしていると、変なことが起きるのだなと頭の隅で思った。





































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