第4章 頼子

頼子(よりこ)はいわゆる帰宅部の、さえない女子生徒だった。

地味なショートカットに黒ぶちのメガネ、前髪が長すぎてあまり表情が見えず、陰湿な印象だった。


いわゆる典型的な、カースト最下級の生徒。運動も勉強もダメ、もちろん容姿もダメ。



あるとき、頼子は学校の廊下を歩いていたのだが、手を滑らせて自分の筆記用具を落としてしまった。

鉛筆が丸型のものだったので、よく転がった。それがたまたま近くを歩いていた貞子の上履きに、コツンと当たってしまったのである。

貞子のすぐそばにいた伽耶子が頼子に向かって叫んだ。


伽耶子「な…何をしているお前!謝れ!さあ、土下座して貞子様に謝るんだ!」

頼子「あ…あ…」


頼子はあまりの恐怖で腰が抜けてしまい、その場に座り込んでしまった。

恐怖のあまり声も出ず、頭が真っ白になってしまい、何を言っていいのかわからなくなってしまった。


だが貞子は冷静で寛大だった。


貞子「いいのよ伽耶子さん。これくらいで怒るなんて淑女らしくはなくってよ」

伽耶子「で、でも…」

貞子「鉛筆を渡してあげなさい」

伽耶子「は、はいっ!」


伽耶子は頼子に、落ちた鉛筆を渡した。

伽耶子は小声で頼子に言った。


伽耶子「バカ!気をつけろ…貞子様がご機嫌だからいいものの、機嫌の悪い日だったらお前、二度と人前に出られない顔になってるぞ!」

頼子「…(こくこく)」


頼子は必死でうなずいた。幸い、この事件は何事もなく、無事に終わった。



と、頼子はこんな生徒だった。


だがこんな頼子にも、理恵(りえ)と千鶴(ちづる)という親友がおり、この2人も帰宅部の地味な女子だったが、仲がよかった。

頼子たちは3人いつも固まって行動しており、いつも仲がよく、目立たないが平穏な日々をすごしていた。


頼子自身はこんな日々が3年間ずっと続くと思っていたのだが、3年生の秋の運動会に起こったある事件をきっかけに、頼子の運命は激変することとなる。


運動会ではフォークダンスという種目があり、校内生徒が全員強制参加、男女ペアで踊ることになる。

選ばれた相手と30秒程度踊り、また別のペアと30秒程度…を何度か繰り返して終了する。


ダンスの相手は全校生徒が完全ランダムで決まる。その日に決まるため、事前に誰と踊ることになるかはまったくわからない。

また学校行事のため、校内カーストの介入ができない。運しだいではジョックスの男とダンスできる可能性もあり、校内の女子生徒たちは色めき立っていた。


頼子はそんな望みとは無縁な地味女子だったのだが、あろうことかたまたま、ジョックスの男と鉢合わせた。

頼子は意外な展開に舞い上がってしまった。ジョックスは始終、紳士的な態度を崩さず、やさしくダンスに導いてくれた。

だが頼子はあまりに緊張してしまっており、その30秒は何が起きたかよく覚えていなかった。

無我夢中でダンスし、何がなんだかわからないまま終了してしまった。


だが事件はその後におきた。


運動会が終了してからしばらくたってから、頼子のところへ同級生のクラスの女子がやってきた。

相手はしゃべったこともない生徒だった。


女子生徒「浦島さん。あ、あの、あの…こ、これ…渡すように頼まれて…」


それは手紙のようだった。

女子生徒の表情は、何かにおびえているような、恐怖の表情だった。

女子生徒は手紙を頼子に渡すと、何もいわずにすぐさま一目散に向こうへ行ってしまった。


頼子は彼女が何を恐れていたのか気になったが、手紙を読んでみてその理由を理解した。

手紙にはシンプルに、こう書いてあった。



浦島頼子さんへ

運動会でダンスしてくださってありがとう。僕はあなたのことが好きになりました。

今日の16時ちょうど、校舎裏まで来てください。お待ちしています。

ラグビー部主将 佐藤武



佐藤武(さとう たけし)はラグビー部の主将、つまりジョックスである。


頼子はまず、何が書いてあるのかわからなかった。

やがてジョックスからのラブレターだとわかると、これはジョックスを騙(かた)る何者かのいたずらだろうと考えた。

しかしそれでは、なぜ自分がジョックスと運動会でダンスしたことを知っているのだろうか?その者が見ていて、こんないたずらをしたのだろうか?


いたずらではなく、もし本当に相手がジョックスだったら?


やがて授業が終わり、16時になると、頼子は恐る恐る校舎裏へ向かった。

そこには確かに、あのダンスで一緒になったジョックスがいた。


頼子はおずおずとジョックスの前に現れた。ジョックスはいった。


ジョックス「浦島さん、あの手紙、読んでくれた?」

頼子「あ、あの、あの…」


頼子はあたりをきょろきょろしている。


ジョックス「あれはいたずらなんかじゃないんだ。僕は本当にキミのことが好きなんだ。頼む、僕と付き合ってくれないか?」

頼子「…」


あまりの衝撃的な出来事に、頼子は言葉が思い浮かばなかった。

しばらくして、突然頼子はわっと泣き出し、その場にしゃがみこんだ。


ジョックス「浦島さん…僕のこと、嫌いなの?」


頼子はふるふると首を横に振った。


ジョックス「じゃあ…好き?」


頼子はなんとか首を縦に振った。


ジョックス「…なんで泣いてるの?」

頼子「…」


しばらくして、ようやく頼子は落ち着いてきた。そして振り絞るようにして声を出した。


頼子「あなたには…貞子様が…」


しかしジョックスはひるまなかった。


ジョックス「僕はキミのことが好きなんだ!ほかの女の子は関係ない。僕はキミと付き合いたい!」

頼子「だめ…」

ジョックス「どうして?どこの部活動にも所属していないことを気にしているの?」

頼子「私みたいなのが学校一のあなたと結ばれるなんて…許されるはずがないわ。あまりに釣り合わないもの」

ジョックス「そんなことは気にしなくていい!」

頼子「貞子様こそあなたにふさわしいお方なのに…」

ジョックス「貞子さんは確かに…頭脳明晰、スポーツ万能、品行方正、すべてが完璧に備わった女性だ。だが貞子さんにはない魅力が、キミにはあるんだよ!」

頼子「そんなもの…あるわけない」

ジョックス「あるよ。それは…美しさだ!」


身も蓋もない答えである。


貞子もそれなりに努力はしているのだ。ファンデーションを上質なものにしてみたり、口紅の色を変えてみたり、さまざまな努力をしてきた。

しかし元が元なだけに、いかに努力しようとも、せいぜい雄トカゲが雌トカゲになったくらいの変化しか期待できないのだった。


それに頼子は、見た目は地味だが顔立ちや目鼻立ちだけ見れば非常に美人だった。

あまりにおめかしが下手なために目立たないのだが、しっかりやれば「化ける」タイプの美少女だった。

美しさだけでいえば、校内上位は堅い。


ジョックス「もし周りが許さないというのなら…僕と一緒にこの学校を出よう!」

頼子「ええっ!?」

ジョックス「こんな縛りはもうたくさんだ!ラグビーも、もういい。僕は本当に好きなキミと一緒にいたい。ただそれだけだ!」

頼子「ああ…」


学校を辞める、というのは簡単なことではない。

しばらく考えたが、頼子の考えた答えは


頼子「しばらく考えさせて…お願い…」

ジョックス「…わかった。でも一つだけ聞かせてくれ。浦島…いや頼子さん、キミは僕のことをどう思ってるの?」


頼子は恥ずかしがったが、何とか声を振り絞っていった。


頼子「す…き…」

ジョックス「わかった。じゃあ頼子さん、返事待ってるよ…」


頼子はその場を去った。



この場を偶然、盗み見ていた者がいた。伽耶子だった。

伽耶子は校舎の柱の影からこっそりこのやり取りを、すべて目撃していた。


伽耶子「大変なことになった…こんなことを貞子様が知ったら…」


伽耶子は青ざめた。伽耶子はその明晰な頭脳で、これから何が起こるのか、どうしたらいいのかをすばやく計算した。

だがどうやっても楽観的な答えは出てこない。


伽耶子「下手すれば…死人が出る」

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