第2章 貞子
ジョックスについては後で触れることにして、まずは女生徒たちの王である「チア」について説明しておこう。
ここでいう「チア」とは、チアリーダー部の部長のことである(チアリーダー部の部員たちは普通に「貴族」と呼ばれている)
チアは貞子(さだこ)という女だった。
貞子の外見を一言でたとえるなら、般若(はんにゃ)の顔に横綱の体をくっつけたものである。
身長237cm、体重257kgという超ヘビー級の巨体だが、肥満ではない。その体の肉はほとんど筋肉であり、脂肪の量は平均的な女子とさほど変わらない。
超肥満体な見た目に反して、これら超強力な筋肉により、すさまじい運動性能を誇っている。
100メートルを9秒台で走り抜け、垂直ジャンプは127cm、走り幅跳びは7mを越え、握力は計測不可能(握力だけで石を粉砕したという噂がある)
体は柔らかく、平衡感覚も強く、新体操部も真っ青の宙返りを披露できる。
腕力もすさまじく、貞子のビンタを一撃でも顔面に食らうと、二度と元の顔には戻れないという恐怖のうわさがある。
チアリーダー部の部長なので、当然運動部の応援などではチアリーダーの中心になる。
この見た目のため、最初はすさまじいクレームが来るのだった。
しかしチアリーダーたちのダンスが始まるや否や、貞子のすさまじくしなやかで、すばやく完成されたその演技に、観客は魅了される。
この巨体がやすやすと宙返りをするのを見て、観客たちは思わず拍手を送ってしまうのである。それほどまでに完成された運動力を持っていた。
さらに貞子は過去のチアたちと違い、頭脳も明晰であった。
成績に関しては学年1位は当然であり、さらに品位も高く、淑女としての礼儀作法を完璧なまでに習得していた。
貞子には「麗(うるわ)しの淑女」という二つ名があった。これは学校中、誰もが知っていた。
「麗しの淑女と呼ばれている、貞子様」
貞子こそ、まさに理想の「お嬢様」といえよう。見た目をのぞいては。
さて、これほど完璧さを備えた貞子にも、ただ一つだけ重大な欠点があった。
ある日のこと、地区内の隣の高校、独尊(どくそん)高校の空手部員たちが天上高校のチア部室に来訪したことがあった。
独尊高校は男子校で、ここにも厳しいカーストがあるのだが、ラグビー部が存在しないために、空手部の部長が実質のジョックスであった。
空手部の来訪の目的は「唯我(ゆいが)地区の警備について」だった。
このあたりの地区では、カツアゲ(強盗)やリンチ(いじめ)などの犯罪を未然に防ぐため、高校生たちが自ら自治団を結成し、治安に当たっていた。
これら治安を維持するのも、ジョックスやチアを含む貴族たちの仕事である。
各高校の部活動には、それぞれ設定された縄張りがある。これらの縄張りを警備するのだが、縄張りの大きさや治安の悪さによって報酬が決まるようになっている。
通常、縄張りが大きければ大きいほど、治安が悪ければ悪いほど報酬額は大きくなる。
この日、独尊高校の空手部が交渉に来たのは、自分たちの縄張り範囲を増やすためだった。
当然、独尊高校の縄張り範囲が増えるということは、天上高校の縄張りは減るということになる。
天上高校は天上地区、独尊高校は独尊地区にあり、自分の地区は自分たちで維持するのが当然である。
この天上地区と独尊地区の地理的な中間位置に、唯我という地区があった。この唯我地区には高校がないため、天上高校と独尊高校がそれぞれ半々ずつ程度に縄張りを決めて警備していた。
この唯我地区の警備をすべて独尊高校が仕切るという決まりを作るのが、今回の独尊空手部の交渉の目的だった。
独尊高校の空手部部長は邦夫(くにお)という男子だった。邦夫の側近は力(りき)という男だった。
その他空手部部員は、合計20人いた。彼らがぞろぞろと天上高校のチア部室に入り込んでいくのは、異様な光景だった。
こちらの主な交渉役は、貞子とその側近の伽耶子(かやこ)であった。
貞子「どうぞ、お座りになって」
邦夫と力は部室に迎えられ、いすに座った。ほかの空手部員たちは入り口付近の壁際に直立して立っていた。
ちなみに貞子は声が鬼婆のようにしゃがれているので、実際には
貞子「どぶぞ、おずヴァりにだっで」
という感じに聞こえる。
力「ずいぶんと貧相なお出迎えですねぇ…」
邦夫「…」
力はそこにいるチア部員を数えた。
力「…たったの5人でお出迎えですか?せっかく邦夫様がわざわざ足を運んでくださったというのに?」
力は態度は紳士的だが、ネチネチと嫌味をいうタイプの男だった。
伽耶子「大会前の練習で忙しくて…ほかの部員たちはまだ練習中なんです」
力「やれやれ…そんなにお忙しいのでは、とても唯我地区の警備はお任せできませんなぁ?邦夫様?」
邦夫「…」
邦夫は寡黙な男だった。今は。
貞子「わたくしたち、唯我地区の警備は万全にこなしておりますわ。それはそちらの生徒達に聞いてみればお分かりになるはず…」
力「だそうですよ。唯我地区に住んでる皆さんどうです?」
力は振り向いて後ろの空手部員たちに問いかけた。
独尊高校には一部、唯我地区に住んでいる者もいる。
空手部員A「いいや、ぜんぜんだめだね」
空手部員B「天上高校のチア部は何も仕事をしていません」
空手部員C「唯我地区の治安は悪くなるばかりだ」
力「だそうですよ、チア部さん」
伽耶子「そんな!私たちはちゃんと仕事をしています!」
力「でもほら、彼らはこういってます」
伽耶子「あ、あんたたち…口裏を合わせて私たちを貶めようっていうのね!この…卑怯者!」
伽耶子は前のめりになったが、それを貞子が制止した。
貞子「落ち着いて伽耶子さん。それは淑女の振る舞いではなくってよ」
伽耶子「で、でも…」
くどいようだが、貞子の声だと
貞子「ぼぢづいでガやござん。ぞればジュグジョのぶるまいではヴァぐってヴォ」
みたいに聞こえる。
貞子「邦夫様、わたくしたちは仕事を万全にこなしておりますわ。わたくしは自分の部員たちがいかに誠実に任務をこなしているかを知っています。その交渉には応じかねます」
突然、邦夫が大声を張り上げた。
邦夫「カッコつけてんじゃねぇぞボゲェ!」
伽耶子「ひっ!」
邦夫は普段は寡黙だが、しゃべると非常に凶暴な口調になる男だった。
伽耶子だけでなく、ほかのチア部員たちも恐怖で震え上がっていた。
邦夫「てめぇらじゃ物足りねぇっていってんだろうがァ!デカい図体しやがってよォ!役に立たねぇデクノボウがァ!」
貞子「…」
伽耶子「貞子様!…あ、あんたいい加減に!」
しかしそれでも貞子は伽耶子を止めた。
貞子「伽耶子さん!わたくしたちは淑女なのよ、その誇りを持って。忘れてはだめ!」
伽耶子「うっ…」
邦夫はさらに強気になる。
邦夫「なにが淑女じゃアァ!?カッコばっかつけやがってよォ!」
伽耶子「…」
貞子「邦夫様、今日のところはお引取り願いますわ。わたくしたち、これ以上の交渉は望めませんので」
邦夫「ふざけんやないぞゴラァ!んならてめぇが自分で唯我の警備すりゃええやろがァ!凶暴そうなツラしやがってよォ!」
貞子「凶…暴…?」
伽耶子「あっ…」
一瞬、部室の空気が凍りついたことに、邦夫たちは気がつかなかった。
邦夫は得意になって自分の演説に酔っていた。
邦夫「ああそうよ!てめぇみてぇな凶暴なツラしたバケモンがうろついてりゃあよォ!唯我地区も永久に平和になるってモンよォ!ギャハハ!!」
グシャッ
異様な音がした。
瞬間、貞子のパンチが邦夫の頬にめり込んでいた。
あまりに速いパンチだったので、邦夫は何が起きたかを理解しなかった。
邦夫は吹き飛び、壁にたたきつけられ、そのまま気を失った。
貞子「何ッ様のッ、つもりだァ!!このッ、わたくしがッ!『凶暴』だとォ!!」
貞子はいすから立ち上がり、その2mを越す巨体で力たちに詰め寄った。
貞子「ぶっ…無礼なッ!このッ!麗しくッ!可憐でッ!知的でCOOLなLADYであるッ、このわたくしがッ!『凶暴』だとォ!!」
貞子は力に向かって猛烈に突進してきた。
力はとっさに空手でいう「防御の構え」をとったが無駄だった。
貞子はそのまま力に激突、力はそのまま引きずられ、貞子は力ごと部室の壁に激突した。
壁は半壊。貞子と壁のサンドイッチになった力は、そのまま気を失った。
貞子「ガァァーーーッッ!!」
貞子のただ一つの欠点、それは「キレやすいこと」だった。
そしていったんキレると、もはや誰にも止めることができない。貞子が周囲のすべてを破壊しつくし、怒りが収まるのをただただ待つしかないのだ。
しかもその、貞子の「キレる点」というのがよくわからなかった。
機嫌の悪いときは何気ない一言が引き金になりうるし、かといって機嫌のいいときでも、たとえば「凶暴」のようなNGワードを口走ってしまうと、一気に貞子の怒りは沸点を突き抜けるのである。
実は貞子自身、自分は淑女でありたいと思って、常日頃からそうあるように努力しているのである。
だがそれ以上に、「淑女でない」ところを突かれると猛烈に激怒して、収拾がつかなくなくなってしまうのであった。
空手部員たちは果敢にも貞子に立ち向かったが、まったくの無力であった。
貞子はある空手部員の頭部を片手でわしづかみにし、そのまま力任せに放り投げた。
貞子はこれでも護身術として「合気道」を習っていたのだが、残念ながらこうなってしまっては技もクソもない。
ただただ、力任せの暴力。
この日、チア部室は吹き飛んだ。
すべてが破壊しつくされ、やがて貞子の怒りが収まると、がれきの山の下から邦夫がはいずって出てきた。
邦夫は最初の貞子のパンチで気絶したため、重症にならずにすんだのだった。
貞子「…」
邦夫は貞子の前まではいずってくると、貞子の上履きに口付けをしてこういった。
邦夫「あなたに…永遠の忠誠を誓います」
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます