10. ワタシと私

 少女はとある研究者の娘として生まれました。

 父親は早くに亡くなってしまい、残念ながら、ほとんど顔も覚えていないほど。

母親は仕事で家を空けることも多く、少女は幼い頃から、ひとりで過ごす事も

よくありました。


 彼女が、自分は周りの子供たちと少し違うようだということに気がついたのは、

小学校に上がってからでした。

 図書館や児童館で時間を潰すことも多かった少女は、カバンの教科書や、適当に目についた

本を読みあさる事を覚えました。

 同年代の子供たちには、たまに混ざる程度。人見知りする性格も手伝っていたでしょう。

 そうやって、本を読みあさり、教科書の内容も割と早いうちに覚えてしまいました。


 はじめに気がついたのは、担任の先生でした。続いて、少女の母親。

 九九も割り算も、つまずきがちな部分も難なくクリアし、明らかに年齢にしては

高い思考力と記憶力を見せ始めました。


 そして、それは、人見知りでコミュニケーションがそれほど得意ではなかった少女の、

孤立を決定的にしたのでした。

 学校で、積極的に話しかける人はいなくなり、少女の話し相手は段々と、

周囲にいた大人たちばかりとなりました。


 少女は孤独を抱えたまま数年を過ごしました。学校は通信制で早々に単位を取っていき、

そろそろ中高の勉強は終わるという頃の事。


 少女の母親が倒れました。

 そして、ほとんど言葉を交わすまもなく、あっさりと旅立ってしまいました。



 ――少女はそうして、本当にひとりになったのでした。



                ◆ ◇ ◆



「おはよう、ユウカ」

「あら、ミサト様、おはようございます」

 朝の支度をしていると、ミサト様が2階から降りてきました。眠たそうに目を

擦っていますが、そもそも、いつもより1時間ぐらいは早いお目覚めです。

「今日は早いですね。どうかしましたか?」

「うん、夢見が悪かったというか……、目が覚めてしまった」

 ミサト様はパジャマのまま、ミサト様は食卓に座って、かわいくあくびをひとつ。

「少し待っていてください。お茶を用意しますね」

「うん、頼む」

 すぐに準備を始めます。ミサト様は、まだだいぶぼんやりとしているようなので

温かい緑茶にしておきましょう。

 緑茶に使うお湯は紅茶と違って少し温度が低いものが良いと言われています。

なので、一度沸騰したお湯を少し冷まして……。

 ほどよい温度になったら、茶葉を入れた急須に注いで1分程度。抽出が終わったら

湯飲みに注ぎます。そして、用意ができたら食卓へ。

「お待たせしました」

 ミサト様は湯飲みを受け取ると、お茶を少し飲んで、「ふう」と息をつきました。


「ミサト様」

「どうかしたか?」

 このまま、朝食の準備に戻ろうかとも思ったのですが……。

「昨日、お父さんに、会ったんです」

 私は少し逡巡してから、そうミサト様に伝えることにしました。

「そうか」

 ミサト様の静かな吐息。私は、ミサト様の対面の席に座ってミサト様の反応を伺います。

 何分かそうした後、ミサト様は口を開きました。


「ワタシの母はアンドロイド向けのAIの研究をしていたんだ。母とスズカケ氏は、

 同じ職場で働いていて、その頃からの縁で今も面倒を見てもらっているよ」

 『スズカケ』、私の元々の名字でもあります。

「それもあって、最近は彼の職場の手伝いをしていた」

「いつもの作業は、それだったんですね」

 ミサト様はうなずきました。

「彼の娘は少し変わり者だったというか……。父親の研究に協力して、AIの学習対象として

 自分の行動を普段からモニタリングさせて、データ提供していたらしい」

 私も軽くうなずいて、先を促します。

「ある日、見つけたんだ。彼女を学習したデータを」

「それが、私?」

「ああ。スズカケ氏に掛け合ったんだ、彼女にきちんとしたカラダを与えてみたいと。

 はじめは結構渋い顔をされたよ」

 ミサト様は、苦笑しました。


「AIの発展の礎の一人、母とも言える少女がいたことは聞いたことがあって、

 純粋に興味を持ったのもある。あと、彼女も片親だったというのに、どことなく親近感が

 わいたのもあったかな」

「そう、でしたか」


 確かに、私の過去の記憶は曖昧な部分が多いように感じます。特に幼い頃については、

情報としては頭の中に存在していても、具体的な思い出として思い浮かびません。

 今まで、気に止めていませんでしたが……。

 この家で最初に目覚めた時に、「問題が出ないように調整しておいた」と言っていたのは、

そういうことも含まれているのかもしれません。


 ミサト様はいつの間にか空になった湯飲みを少しくるくると弄んだ後

顔を上げて、いつもよりまっすぐに私を見ました。

「ユウカは、父親と暮らしたいと思ったりするか?」

 私はミサト様の問いに少し考えて。

「ちょっと、フクザツな気持ちです」

 そう答えます。


 そして、一呼吸置いてから、私はミサト様に笑顔を返しました。

「でも、今の私の家族は、ミサト様とポチさんですよ」

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