9. 私のこと

 今日もいつもの買い出しに向かいます。家を出て駅の方向へ向けて繁華街方面へ。

今日は消耗品の補充が目的です。

 近頃は、出かけるときは私服に着替えています。さすがに仕事服(メイド服)で

外出することもなくなりました。やっぱり、少々周りからは浮いてしまいますし……。

 ただ、なんだかんだで愛着がわいたというか、正直慣れてきてしまった部分もあって、

家ではメイド服も着ていたりします。


「こんにちは、お嬢さん」

 大きめの交差点を渡って少し、もう少しというところで、白髪の男の方に声を

かけられました。

「私でしょうか?」

「ええ。こんにちは」

 男性は、かぶっていたクリーム色のベレー帽を右手に取り、お辞儀をします。

「あ、はい、こんにちは」

 私も釣られてお辞儀をしてしまいました。


「何かご用でしょうか」

「もし、お時間があれば、少し歩きませんか?」

 私が尋ねると、彼は少々大仰な調子で言いました。

「なんだか、ナンパの誘い文句みたいですね」

「おっと、確かに。これはお恥ずかしい」

 今度は、帽子のつばを右で直して。わざとらしい仕草に、ちょっとおかしくなって

しまいました。

「ふふふ、わかりました、いいですよ」

 男性は柔和な笑顔を浮かべます。

「ありがとうございます。近くの公園まで、いかがでしょうか」

「ええ、行きましょうか」

 私も笑顔で応じて、男性に並びました。


 駅とは逆の方向、住宅街を抜けて、少々のんびりした速度で歩いていきます。

目的地はこの先、先日ミサト様とお散歩に行った公園でしょう。

「ミサトさんは、お元気ですか?」

「ミサト様のお知り合いだったんですね」

 「ええ」と男性はうなずきます。

「彼女の母親とは、同じ職場で働いていていまして。その縁で、今でも時々、

 彼女の様子を見に行っているんですよ」

「ああ、そういうことでしたか」

 私も納得して、うなずきました。


 夏の日差し、油蝉の鳴き声。まだ午前中ですが、十分な暑さです。

少し隣を注意を向けながら歩くことにします。

「私にも、一人娘がいたんですよ。だから、どうしても気になってしまって」

「そう、だったんですね」

「ええ」

 男性の額にも汗が浮かんでいましたが、こちらの視線に気がついたのか、

取り出したハンカチで軽く拭ったあと、また柔和な顔を浮かべました。

「ウチも……、あの娘も片親でね。でも、何も言わずに家の事をやってくれたりしていて、

 私も甘えてしまっていました。きっと、苦労をかけていたと思います」

「いえ、そんなことは」

 私は否定しましたが、男性は小さく首を振ります。

「それに、私も仕事を理由に家を空けてばかりで、寂しい思いを

 させてしまいました」

 そして、自分自身も寂しそう顔をします。


「あなたとミサトさんは、どうですか? 寂しい思いは、していないでしょうか?」

 男性は私の目を見て、そう尋ねます。


 私は、少しだけ考えて。

「そうですね……、寂しい思いは、させないようにしたいと、思います」

 そう、答えました。


 しばらく、無言のまま歩きます。

 太陽は少し高くなりましたが、公園に入って日陰が増えたことで、多少は涼しく

感じるようになったかもしれません。


「そういえば」

 ためらいもありましたが、聞いてみることにしました。

「娘さんは、今はどうされているんでしょうか?」

 男性は、少し考えるように目を細めます。

「もう何年も前に、亡くなりました。学校帰りに、事故に遭って」

「……」

「私が、病院に駆けつけたときには、もう……。普段だってひとりにしてしまっていたのに、

最期も一緒にいてあげられなかった」

 彼は、目を伏せました。

「すみません、聞かない方が良かったですね」

「いえ、お気遣いありがとうございます」

 それきりまた、無言が続きます。カツカツと、革靴の音。私も歩幅を合わせて

ついて行きます。


 しばらく公園の外周沿いに歩いた後、男性は立ち止まりました。

「今日は、年寄りの散歩に付き合っていただいて、ありがとうございました」

「いえ、こちらこそ」

 また、ベレー帽を脱いで、今度は右手で胸元に。

「今度、ミサトさんにも会いに行ってよろしいでしょうか」

「はい、もちろん。是非いらしてください」

 今度は私からお辞儀をします。努めて笑顔を浮かべるように心がけましたが

うまくできているでしょうか。

「そのときにはミサトさんに連絡しますね」

 彼は「では、また」と挨拶をして去っていきます。私は、それを見送りました。


「はい、おとう、さん」

 私のつぶやくような声は、きっと届いてはいないでしょう。

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