3. ウチのご主人様は天才らしいです
「ミサト様、ミサト様」
二階の私の部屋の隣、ミサト様の自室のドアをノックしますが、
返事はありません。
「入りますねー」
もう一度ノックして、返事がないことを確かめた後、ドアを開いて部屋へ入ります。
暑かったのでしょうか、ミサト様はタオルケットから半分はみ出したまま眠っていました。
「ミサト様、ミサト様、朝ですよ」
肩を揺すってみますが、鈍い反応しかありません。
「ミサト様、そろそろ起きましょう」
もう一度、少し強めに肩を揺すってみたところ、ようやくうっすら目が開きました。
寝ぼけたまま、時計を確認して、また目を閉じてしまいます。
「ん……、まだ10時じゃないか」
「いいえ、もうすぐ10時半ですよ。そろそろ、朝ご飯にしませんか?」
「眠い」
なんとか上半身を起こしてくれましたが、まだ半分目は閉じたままです。
「お着替え、お手伝いしましょうか?」
クローゼットを開けて、適当な服を取り出します。衣装ケースの中は、
ラフで楽な格好が多めな印象です。
「いや、自分で着替える……」
のそのそと動き始めたミサト様の脇に着替えを置いて、代わりに脱ぎ捨てられた
パジャマを回収します。戻るついでに、洗濯機を動かしてしまいましょう。
「先に下に行ってますね」
私は、部屋を出て、一階の洗面所へと向かいました。
「今日のご予定は?」
ミサト様にコーヒーを出しながらお聞きします。
「最近、知り合いから手伝いを頼まれていることがあるんだ」
「三階のお部屋で作業ですか?」
「ああ。用事があれば声をかけるよ」
「はい、わかりました」
朝はパンがいいとの事でしたので、トーストとスクランブルエッグにしてみました。
ミサト様は、パンを小さいお口でかじりながら、脇に置いたタブレットで
ニュースを流し見しています。背が低くい見た目に反して、
なんだか "お父さん" みたいです。
私は、今日はどうしましょうか。
正直、ミサト様一人で住むには広すぎるぐらいの家です。私の部屋以外も
あまり掃除されていない場所ばかり。
順番にチェックしていきたいところですよね。足りないモノも多そうですし……。
「じゃあ、部屋に戻るよ」
いろいろ考えを巡らせているうちに、ミサト様はトーストを食べ終わったみたいです。
「はい」
上階へ向かうミサト様を見送って、とりあえず食後の片付けを始めることにしました。
◆ ◇ ◆
――ピコン♪
午後、そろそろ洗濯物を取り込もうかなと思っていたところ、電子音とともに、
視界の隅にメッセージアプリの通知が表示されました。
はじめはホログラフとか、立体映像的なものなのかと思いましたが、
ミサト様曰く「カメラの視覚データに各種アプリをオーバーレイ表示させて、
使いやすく統合してある」もので、私にしか見えていないみたいです。
「どちらかというと、AR――拡張現実に近い」んだとか。
よくわからない、というのが顔に出ていたようで「頭の中に携帯端末が入ってる」
と説明してくれました。なるほど、便利です。
通知を開くと、ミサト様からのメッセージが届いていました。
『飲み物』
キーボード(ミサト様に使い方を教わっておきました)で返事を入力します。
『何がいいですか?』
『任せる』
『少々お待ちください』
キッチンで紅茶とクッキーを用意して、作業部屋へと向かいます。
「ミサト様、お茶をお持ちしました」
「ああ、ありがとう」
ドアをノックすると、朝とは違ってすぐに返事がありました。
部屋に入ると、ミサト様は画面に向かって何やら難しい顔をしているようです。
「いい時間ですし、休憩にいたしましょう」
「ふぅ……、そうだな……」
ミサト様は、少し椅子を引いて伸びをしました。
少し足を浮かせている様子が、かわいらしいです。
お茶とお菓子をデスクに並べます。前の画面には何やら技術用語らしきものが
並んでいるのが見えました。『アンドロイド用AIにおける学習と成長』?
「気になるか?」
「何か、難しそうな単語ばかりだなと思って」
「うーん、どうかな……」
ミサト様は、少し曖昧で濁したような返事です。なんだか、寂しそうな
目をしているような……?
「すみません、アンドロイドのくせに疎いもので……」
そんなことより、とミサト様にクッキーをすすめます。お皿から一枚手に取り、
ポリポリとかじるミサト様の横顔は、もういつも通りでした。
◆ ◇ ◆
夜、ミサト様がお風呂から上がられたみたいなので、
お部屋に様子を見に行きます。
どうやら、私室ではなく、作業部屋にいるようです。
「ミサト様、ミサト様。入りますね」
声をかけて部屋に入ると、ミサト様はパジャマに着替えてはいるものの、
また画面に向かっていました。
「ミサト様、髪が濡れたままじゃないですか」
「んー?」
何か考え事をしているのか、気のない返事が返ってきます。
「ちゃんと拭かないとダメじゃないですか」
ミサト様は、視線を画面に向けたままです。
「少し待っててください!」
部屋を出て、洗面所からバスタオルとドライヤー、それにブラシを持ってきます。
そして、ミサト様の元へと戻り、そのまま頭にぽふとバスタオルを
被せてしまいました。
「あ、こら! 画面が見えない!」
「ほら、風邪引きますよ!」
「やめろって!」
「はい、じっとしててくださいね」
ジタバタしているミサト様の髪を、少しだけ強引に拭いていきます。
ある程度水分を取ったら、今度はドライヤーで乾かします。
ミサト様もようやく観念したのか、おとなしくなってくれました。
「こういうのちょっと憧れだったんですよ」
ミサト様の腰近くまである長い髪にブラシをかけながら、ドライヤーを当てていきます。
「私、一人っ子だったので。髪をこうやって拭いてあげたりとか、
やってみたかったんです」
「はぁ、仕方ないな……」
やれやれ、とため息をつくミサト様ですが、目は優しげです。
意外と満更でもないのかもしれません。
「ところで、誤解のないように言っておくが」
ミサト様は、くるりと椅子ごと振り返ります。
「はい?」
「ワタシは、小学生じゃないからな」
「……」
目をぱちくり。やっぱりか、とミサト様は少しムッとした顔をしています。
「ええっ!?」
危うくドライヤーを落としそうになりました。
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