第80話 2歳編⑭

 『ワージッポ博士』

 ドアに書かれた名前を確認すると、ゴーダンはためらいもせず扉を開けた。

 「ノックは?」

 アンナの指摘に

 「ここのじじいにはいらねぇ。」

 と、一言。無造作にドアを開ける。


 「相変わらず失礼なガキじゃ。」

 ドアを開けると、きれいに整った応接セットの奥のデスクにチョコンと座る小柄な人物。好々爺というには、ちょっとばかり目が鋭い光を湛えすぎてるかな?

 そう思った次の瞬間、ゴーダンに抱かれる僕の目の前に、そのおじいさんの顔が!

 さっきまでは、あのでっかい机の前にいたのに。僕はびっくりして目を見開いたんだと思う。僕に顔を近づけるおじいさんの頭を、僕を抱いていない方の手で、グイッと、ゴーダンは押しのけた。

 「怖がってるだろうが。」

 「怖がっとりゃせんわ。儂の早業にビックリしてるんじゃ。のう、坊。」

 僕を見て、おじいさんは言った。なんか、キラリン!と鋭い目が光った気がして、僕は、ちょっと警戒したんだけど・・・


 「ほっほっほっ・・・いいのぉ。2歳じゃったか。うんうん、いいのぉ。」

 まさか僕を食べようという魔人、じゃないよね、なんて思っちゃうぐらい、ちょっと、食べられそうな気になる。ゴーダンが平然としているから、そんなことはないんだろうけど。

 「とりあえず、座れ。」

 見ると、大きな応接セットのテーブルには、いつの間にか、人数分の紅茶みたいなのが用意されている。

 3人掛け、2人掛けに、オットマンみたいな椅子。6人が座って、僕はママの膝の上。おじいさんは、またいつの間にかデスクの向こうの社長椅子みたいなのに座っている。

 ゴーダンとおじいさんが何も言わずにお茶を飲む。他のみんなは互いに顔を見合わせつつ、お茶を口にした。まぁ、僕には小さなコップに入った何かのジュース、だったんだけどね。


 しばらく無言でお茶を飲む。

 なんだ、これ。

 僕は、ちらちらゴーダンを見るけど、そしらぬ顔。さすがに沈黙が苦しいよ。

 そんな風に思ったときだった。

 「ゴーダンのガキよ。また、エライみつぎものじゃのぉ。」

 みつぎもの?

 「フン。てめえにやるわけなかろうが。」

 「じゃが、預けたいのじゃろう?」

 「・・・・」

 おじいさん、明らかに僕を見てるよね。何?いったい何の話?

 「坊よ。おまえさんがアレクサンダーじゃな?」

 ?

 そういや、どっかでアレクサンダーって聞いたな?

 「この子はダーだ。」

 「本名、アレキサンダー・ナッタジ、と言ったところか?」

 ?本名って何?

 「なんで知ってるの?」

 ママが言った。

 え?ええ~?

 「ダーが産まれる前、アン、アンナが教えてくれたの。私の本当の名前はミミじゃなくてミミセリアだって。ミミセリアは奴隷になって名前が短くなったんだって。奴隷じゃなくなったら、ミミはミミセリアに戻るから、生まれてくる赤ちゃんにも本当の名前、考えようって。」

 ・・・そういうの初耳だ。ママは、奴隷じゃない時のこと覚えてないって言ってたけど、覚えてる限りアンナといて、全部アンナに教えてもらったって言ってたから、ママにとっては、アンナはママなんだ。だから、そんなアンナに奴隷じゃなくなったら、なんて言われて想像したのかもしれない。奴隷じゃない自分を。

 そういや、アンナが、ママは知の精霊のご加護があると、教え続けていたから、僕のこと、というか「お師様」のことをすんなり受け入れたんだと思うし。その知の精霊云々は、ママが産まれた時に、ちょっぴり予言能力のあったママのママが言ったって、聞いたことがあったけど・・・

 「旦那様は、自分の本当の跡継ぎには、男ならアレクサンダー、女ならヒミコと名乗らせたい、と常々言ってたからね、それを思い出して、ミミに言ったことがあったねぇ。」

 アンナは、思い出すように、目を細めて言った。

 アレクサンダーかヒミコって、ひいじいさん、以外とおバカ?そういうふざけたところが、今まで見てきたひいじいさん秘話からは、微妙に納得はいくネーミングセンスだけどね。

 「ダーは男の子だったからアレクサンダーにしようと。でも奴隷は2文字までの名前しかだめだって言うから、最後をとってダーにしたの、ねぇ、アンナ。」

 クスクス、と笑うママ。

 僕の名前の由来、はじめて知って、感動すべきか、微妙、ではあるけど。

 そっか。アレクサンダーのダーか。うん、ダーだけの方が僕らしいや。さすがにアレクサンダーとか名乗るのは恥ずかしい。どこの王様だよ。


 ホッホッホッ


 そんなママ達のやりとりを見ていたおじいさんは、楽しそうに笑った。

 「エッセルもよろこんどるじゃろ。なんせ、理想通りの跡継ぎじゃ。」

 「やっぱり、そうなのか。」

 食い気味にゴーダンが言った。

 「なんじゃい。そう思ったから、鍵集め、しとるんじゃろが。」

 「それはそうなんだが・・・」

 「ホッホッホッ。まぁよい。なあ、坊よ。儂と取引をせんか?」

 唐突に2歳児に言うかな?

 「儂は、おそらくエッセルのことをこの世で一番知っている。むろん前世を含めての。奴は、儂のことをこう呼んでおった『さとりのばけもん』とな。」

 「さとり?」

 て、あの妖怪の?

 「そうそう。妖怪のさとり、じゃ。少なくともこの妖怪、なるものを理解できているのは、ここでは、坊とこのじじいだけじゃよ。」

 「おじいさんはさとり、なの?」

 「ホッホッホッ、そう見える、ようじゃのぉ。まぁ、能力は、近いもんを持ってるよ。そういう魔導師、とでも思えばいいじゃろう。」

 さとり、というのは、確か、人の思うことが手に取るように分かるという妖怪、だったよね。つまり、このおじいさんは、ものすっごいテレパシストってことかな?そう思って、おじいさんを見る。

 「その認識で正しいよ。」

 おじいさんは、嬉しそうに頷いていた。口に出してないのに、全部分かったの?

 「表層の考えなぞ、息をするように分かるぞ。儂はな、おまえさんたちの前世の世界をもっともっと知りたいのじゃ。そのために協力してくれないか。協力してくれたら、おまえさんの知りたいことや魔法を教えよう。悪くない条件、とは思わんか?」

 キラリ、とまた目が光った。

 ちょっと、怖い、かも。

 でも・・・

 知りたいことって、玉、とか?それともひいじいさんのことを言ってるのかな?

 「両方、じゃよ。」

 「え?」

 「玉のこともエッセルのことも教えてやろう。協力できることはなんでもしてやる。交換条件は、おまえさんの前世の記憶。どうじゃ、悪くないだろう。」

 「でも、僕、ちゃんと覚えてないよ。」

 「それは、儂の力でどうともなるわい。」

 僕は、みんなを見る。

 みんな戸惑っているみたい。


 僕はママを見上げた。

 ママは首を傾げて言った。

 「ダーはどうしたい?ママはどっちでもいいよ。あのおじいさんは、悪い人じゃないと思うから、ダーがあのおじいさんに魔法を教えてもらいたいなら、行っておいで。」

 おや?ママの中では、僕があのおじいさんに魔法を習う話になってるの?

 「ほぉ。違う意味で、本質を見抜くか。ホッホッホッ。さすがにエッセルの孫じゃな。おまえさんも、教えてやっても良いかもな。」

 「ううん、私はいらない。」

 あら?ママはおじいさんの魔法に興味がない?

 「ホッホッホッ即答かの。儂に師事したい人間を敵にまわしそうじゃのう。まぁ、それも正しいか。お嬢ちゃんには、儂の教えは必要なさそうじゃしのお。」

 「ん。」

 なんか、ママとおじいさんが通じ合ってるよ。


 「あの、口を挟んで申し訳ありません。ひょっとして、あなた様は大魔導師ワージッポ・グラノフ様ではありませんか。」

 ヨシュ兄が口を挟む。

 誰、それ?

 僕ははてなが飛んだけど、ミラ姉とセイ兄が、「えっ?」と目を見開いていた。有名人なの?

 「大魔導師ワージッポ・グラノフ様・・・ダー君、断っちゃダメ。すごい人よ。すごい人なの。お弟子はとらないことで有名なのよ。私だったらすべてを差し出しても弟子にしてもらいたいわ。すごい、すごいのよ。」

 な、何ですか・・・初めて見るミラ姉の狂乱・・・

 でも、そういう人、なのね。なんか、よく分かったよ。


 だけど、正直なところ、僕は魔法はどっちでも良い気がしてる。ただでさえ、魔力が多くて苦労してるのに、これ以上強くなっても、ね。そりゃ弱いよりいいけど、この年でたぶんずば抜けてる自覚はあるし・・・年齢と共にこれを磨ければ、ママを守って、力負けしない人生を送れる気がするし。うん、こんなすごい、らしい人に教えられた、なんて肩書き追加はむしろ重い、よね?

 ただ、玉の情報とひいじいさんの話とかは聞きたいかな。僕の記憶なんて、ひいじいさんに比べたらしょぼそうだし、悪用しないならいくらでもどうぞ、てとこだよね?

 「魔法はいい・・・」

 「儂の弟子になればダダ漏れの魔力の制御も教えられるがのぉ。」

 僕の(です)に被せて、大魔導師殿はそう言った。

 「弟子になら喜んで鍵の情報を与えるのにのぉ。」

 あざとい感じで、僕をちらちら見る大魔導師殿。まったくかわいくないんですけど。

 ゴーダンはクックッと喉を鳴らしている。

 アンナは天井を仰いでいる。

 ママは僕の頭を優しく撫でていて、他の3人は、途方に暮れた感じ。

 僕も、途方に暮れている。

 僕としては、魔力の制御は喉から手が出るほど欲しい。もちろん玉も。だけど、頭の隅でずっと〈ワーニング、ワーニング〉と、警戒音が鳴ってる。たぶん、この人の弟子、は、面倒くさいことになりそうって。

 「あの、弟子の話は・・・」

 「弟子にならんと、全部やだ。うん決めた。おまえさんは儂の弟子になる。そうでないなら、出ていきたまえ。一生、鍵は手に入らんと、理解したまえ!」

 ・・・・

 すでに、めんどくさい・・・

 最初と、話、変わってるし・・・

 けど、玉もコントロールも欲しい・・・

 「・・・分かりました。」

 「ひゃほー!聞いたか?ぬしら、聞いたな?アレクサンダーはこれから儂の弟子じゃ。この子は儂の最後の弟子じゃ!さぁそうと決まれば、まずはその記憶じゃな。大丈夫。儂に任せりゃ問題ない。あ、おまえたちは、もう帰ってええぞい。」

 「おい、じじい!ダーはおまえにやったわけじゃないぞ。」

 「わかっとる、わかっとる。10日じゃ。10日、この子を儂に預けなさい。なぁに悪いようにはせんよ。」

 ハッハッハッ、と笑いながら、僕をおじいさんは抱き上げた。

 ママが、すんなり引き渡したから、きっと、悪いことじゃないんだろう・・・と、信じたい。


 ゴーダンは、

 「しゃあねえな。10日後にまた来るわ。」

と、言いながら、みんなを促して出ていった。

 ママは楽しそうに「バイバイ」と手をふり、アンナは僕の頭を撫でて、3人組は心配げに振り返りつつ、みんな僕を放置して帰って行った。


 僕、大丈夫、なんだろうか?

 楽しそうに僕を高い高いする大魔導師のおじいさんに、ちょっぴり不安を覚える僕は、心配性ではないと思うんだ。 

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