第46話


《和泉》


 日常を壊すのは難しい。体に染みついた癖はちょっとのことでは抜けない。

 好きなことを表に出さないように、真顔をキープすること。

 声のトーンが変化しないように、自分の声にそばたてること。

 もう、必要ない。

 してはいけない。

 好きでいては、いけない。




 家まで送ってくれた直己と別れて、家の中にはいると、玄関に要の靴を見つけた。

 階段まで五歩もないのに、リビングから漏れる光に足がすくんだ。見つかりたくない。顔を、合わせたくない。

 意を決して足を踏みこむと、床が軋んだ。すこし歩いたところで、やっぱり要に見つかった。


「おかえり、和泉」

「た、ただいま」


 名前を呼ばれて、足が止まった。返事はできても、顔は向けられない。

 この日常が、私にはもう重い。


「直己とデート?」


 逸る心臓の音が、耳まで届く。


「そう」


 息を吐くような、か細い声でしか返せなかった。


「食事はどうする?」

「ごめん、やることあるから」


 母の声に返して、駆け足で階段を上り、そのまま部屋に飛び込んだ。

 ベッドに腰かける。

 気持ちが沈んで、なにも見えなくなって、なにも聞こえなくなった。体から力が抜けて、倒れこむように横になる。枕に顔を埋めると、泣きそうになった。

 歯を食いしばる。泣きたくない。まだ、泣きたくないのに。

 扉が叩かれて、はっとした。


「要くん、もう帰ったわよ」


 母の言葉に、外を見た。風景みたいに馴染んだ要の部屋の窓に、明かりが灯っている。空もいつの間にか、星が輝くほど暗くなっていた。

 部屋を出ると、母はまだそこにいて、私の顔をみて微笑んだ。


「新しいカレシ、良い人なのね」


 その言葉に、直ちゃんの顔を思い出す。


「うん、そうだね」


 今はまだ、笑って返せないけど。

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