第43話


《和泉》


 彼が必要としてくれるなら、それに答えていたかった。答え続けて、いたかった。

 ただ、それだけだったのに。今でも、その思いは変わらないのに。

 彼に必要とされた喜びを。応える幸せを。

 私は、手放さなければならない、なんて。




「和泉、歴史の教科書貸して!」


 廊下で手だけで謝る要を、私はどれだけ見てきたんだろう。見慣れた姿が、なぜか寂しさを煽る。


「ごめん、持ってない」

「おき勉、してないの?」


 慌てる要に、私はごめんと謝るほかなかった。 


「間違って、持って帰ったの。この前」

「マジか!」


 要は声をあげて、ただ驚いていた。どうしようか頭を掻いて考える要に、私はなにも言えなかった。

 苦しい言い訳だったと思う。私のおき勉癖を知られてしまっているから、尚更。でも、要は私の不安にも、強く腕を握る手にも気づかない。


「要くん、よかったら私の貸そうか?」


 横から割り込んできた女子に、要は目を見開いて驚いた。そして今さら、平静を装おうとしている。


「え? あー、良いの?」

「うん! 是非、使って!」

「ありがと」


 準備の良い女子から教科書を受け取って、要は頭を掻きながら教室に戻っていく。喜ぶ女子は、満足げに教室に戻っていった。その背を、私は追えずに立ち竦む。

 授業が始まるまでに、まだ時間がある。

 私はこのまま、どこかへ走りだしたい。


「和泉」


 顔を上げると、要が消えた場所に、直ちゃんの姿があった。


「今日、歴史ないの?」

「あるよ」


 笑うのが辛い。まだ心に残った思いを知られそうで、怖い。


「なら、俺が貸すよ」


 私の目をみずに、直ちゃんは呟いた。直ちゃんを俯かせてしまったことに、私はまだ、なにも感じないのに。




 約束通り借りた教科書は、どこか冷たく感じた。先生に言われたページを開こうとページをめくる。その途中で、教科書を落としてしまいそうになった。

 勝手に見開かれたページには、ノートの切れ端が挟まっていた。

 その手紙を開いて、奥歯を噛み締める。


 ありがとう。


 ロッカーには、歴史の教科書があった。

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