第三章 成人編

第12話 真実、最後の宿


 あれから一年。レイシーは十六歳になった。


 琥珀石の煌めきを彷彿とさせる美しい金髪は腰のあたりまで伸び、すらりとした肢体と、それに不釣り合いなくらいの豊満な胸が女らしさをこれでもかと主張してくる。

 ここまでくると、いくら育ての親な気分でいるつもりでもさすがに意識せざるを得なくなってくる。

 なに俺は、毎晩のようにその娘に夜這いをかけられているのだから。


「ねぇ、お師匠様? いつまでそうしているんです? こっち向いて?」


 ぐいぐいと、頭にすっぽり被った布団を引き剥がそうとするレイシー。


「ねぇ~え? このままだと私寒いなぁ? お布団、入れて? 昔みたいに、添い寝させてくださいよぉ」


「ヤだよ。自分の部屋で寝ろ。何の為に、毎回別で宿に泊まってると思ってる?」


「ふふ。それって、私のことを女として意識してくれてるってことですか?」


「うるさいな……」


「否定しないんだ?」


 そう言って、布団の上からぎゅうぎゅうと抱きついてくる。

 羽毛越しでもわかる胸。 圧がやべぇな。

 布団の隙間から脚をそろりと入れてきて、隙あらば俺の脚の間に滑り込ませようとする。


「一緒に寝てよ、お師匠様♡」


「いやだ」


「そんなこと言って、結局最後は入れてくれるくせに。素直じゃないなぁ♡」


 いつからだろうか。

 弟子の語尾にこんなにハートが付くようになったのは。


「ほら! 朝だ~! 起きろ~!」


 ガバッ!


「なっ、やめ――!」


 布団を奪い返そうと起き上がると――


 ちゅう♡


(……!!)


「おはよう、お師匠様♡」


「お……は、よう……」


 結局、今日も逃げきれなかった。


 いつからだろうか。

 こんな、朝っぱらからキスかましてくるような女になってしまったのは。


(半年前? 一年前? それとも、やたら積極的になったのは二年前だったか? なんか、最近記憶が曖昧なんだよな……)


 さも当然といわんばかりに上に乗るレイシーをどかして、もそもそとベッドから起き上がる。


「レイシー、今日は……何日だ?」


「今日は、四月の二十七日。火曜日ですよ?」


「そうか……」


 いつからだろうか。

 日付を確認するのが、怖くなったのは。


(レイシーが初めてウチに来てから、もう六年か。早かったな……)


 そろそろ、俺の本当の目的について話さねばならないだろう。

 そうして、レイシーを俺から解放してやらなければならない。

 それが少し名残惜しい。


(だが、俺にはあまり時間が残されていない……なんとなくだが、そう思う)


 ここのところ、長いこと意識が飛ぶようになった。

 元からたまに記憶が無くなることはあったのだが、大抵酒に酔った時とか、体調がよくなかったとき、寝不足気味だったり、前日に魔法を使い過ぎた時などだったと思う。

 ひどいときは、半月以上記憶が飛んでいることもあった。

 いくら俺が魔力不足と貧血が併発すると寝込む性質タチだったとしても、限度ってものがあるだろう。


 正直、記憶が飛ぶ前後のことはよく覚えていないので全てレイシーに聞いた話だが……レイシーは、変だとは思わないのだろうか?


「そうだ、レイシー。昨日頼んだ、この街の魔族による被害状況の調査はどうなっている? 討伐の依頼が来ていたものは全て片付けたが、街の入り口を守る防壁や魔物避けが壊れているなら修理を――」


「それが、なんにも壊れてなかったんですよ。農作物を荒らしたとか、食糧庫が襲われたとか、そういう被害も無いんです」


「は? じゃあ、魔族は一体なんの目的で……」


「人を襲うこと、みたいですよ? 昨日討伐したデーモンビーストは、ある日空からやってきて、食料とかには目もくれずに街の人々を蹂躙したらしいの。最近はそういうのが多いんですって。魔族が隊を組んでやってきて……確か、魔族の頭領はリリスとかなんとか」


 なんだろう。その名前、聞いたことがあるような……


「おい。それじゃあまるで、八年前に魔王が台頭していたときと同じじゃないか? 国王軍は何をしている?」


「それも聞きました。実際にこの街の国王軍駐屯基地にも行きましたし。でも、中には怪我をした兵士しか残ってなくて、援軍が来る見込みも無し。要請はしてるみたいですけど……」


「まぁ、デーモンビーストレベルになるとその辺の兵士じゃあキツイ相手だろうし、無理もないか……」


「でも、こういうときこそ勇者様が出てくるものなんじゃないんですか? いくら今は王様とはいえ、まだ引退するようなお歳じゃないでしょう?」


「ハッ。あいつがそんなことをすると思うか? 今頃は安全な王城に引き籠って、民からの出動要請の陳情書を破り捨てる毎日だろうさ?」


「なにそれ、サイテ~!」


 むぅ、と頬を膨らませるレイシー。


「勇者様、信じてたのに。勇者様は強くて、優しくて、かっこよくて。いざというときは皆を守ってくれるって……」


「あいつはな、昔からそういう人気戦略プロパガンダだけは巧いんだよ。レイシーは王都出身だから、余計にそういう教育をされてきたんだろう?」


「はい。本当は違うんですか?」


 違う。全然違うんだ。

 でも、そう言っても、あのときは誰も信じてくれなかった。


 言葉を詰まらせていると、レイシーは嫌なことを思い出したように表情を暗くする。


「じゃあ、あの噂も本当なのかな?」


「噂?」


「昨日聞いたんです。なにやら王都では、勇者様の黒い噂が広がってるんだって。魔族による被害のせいで王の威信は揺らぎ、議会でも勇者様の意見が通りづらくなっているんだとか」


「ハンッ、自業自得だ。あいつのせいで街は勇者像やら毒物チョコやらの被害に遭ってたんだ、当たり前だろう。おそらくはそれすらも氷山の一角。人々は魔王を倒した勇者の伝説という夢から覚め始めたってわけだ。なるべくしてなった結果だな?」


「でも……それでここ最近勇者様は、妻である王妃様や側近、自分の息子たちに暴力を振るっているとかなんとか……」


「……DVだと!?」


(アメリア……!)


 思わず掛けていたソファから立ち上がるが、それ以上はぐっと堪える。


(いや、よそう。アメリアとはもう別れたんだ。未練もない。今更……)


 だが、やっぱり少し心配だ。

『どうにでもなれ』と切り捨てるには、思い出が多すぎるから。


(王都か……)


 レイシーは、成人である十六歳を過ぎた。

 今なら、王城の閉ざされた門を開くことができるはずだ。


(全てを打ち明けるときが、来たのか……)


 タイムリミットだ。

 王都に行き、勇者に復讐を果たすにはこれ以上のタイミングはないだろう。


 俺が今こうしてもたもたしている間にも、各地では魔族による被害が広がり、アメリアは勇者によってDVを受けている。

 それに、日を追うごとに身体に蓄積されているこの違和感。

 まるで、自分が自分でないかのような感覚。瞳を通して目に映るものが、まるで鏡の中を覗いているような……そんな心地がしていた。


「レイシー」


「はい?」


 俺は、静かに弟子を見つめた。


「ついてきて欲しいところがある。いいか?」


「……!」


 深くは聞かず、レイシーはただ頷いた。

 本当に聡い子だ。昔から。


      ◇


 元いた街から馬車を乗り継いで数日。国土の北端、今も昔も誰も寄り付かない鬱蒼とした森の奥に、俺達は来ていた。


 旧魔王城跡地。

 七年前に勇者ヒルベルトが魔王を倒してからは国の管轄となり、一般人の立ち入りが禁止されている区域だ。


 激戦の痕を色濃く残したボロボロの城壁はそのままで、天井の壊れた城内は雨曝し。そんな魔王城の前には大きな湖があり、澄んだ湖面から中を覗くと白骨化した遺体に埋め尽くされていた。


「着いたぞ」


 道中、異様な雰囲気を察してか口数の少なかったレイシー。

 今も俯き、震える手で俺の指先をちょこんと摘まんでいる。


「レイシー。重要な話をする。俺がお前を買った目的。そして、お前の出自にも関わるものだ」


「えっ。私の……?」


「話しても、いいか? 覚悟は決まったか? イヤなら日を改める。一番重要なのは、お前の意思だから」


 平静を装ってそう告げる。

 レイシーは、今までの不安そうな顔から一変、決意に満ちた目で俺を見つめた。


「……わかってます。私の覚悟は決まっています。それに、お師匠様の話を聞いた後、私も話さないといけないことがあるんです」


(…………)


 秘密があるのはお互い様だったというわけか。


 だが、レイシーが俺に隠し事なんて……余程のことなのだろう。

 少し緊張する。


 俺はひとつ深呼吸をし、ゆっくりと話し始めた。


「俺や勇者、その他の仲間が戦い、魔王を倒したのがここだ。それは話したな?」


「はい……」


「そして、この湖の骸の中には、お前の父親がいる」


「……!?」


 思わず口をおさえ、レイシーは中を覗き込む。

 そして、震える唇を開いた。


「続けて、ください……」


(…………)


「お前の父親は、王家の三男坊だったフィリップ王子だ」


「フィリップ……知らない……」


「知らないのも無理はない。彼は王位継承者ではあったものの次期国王の座からは程遠く、まだ若くして亡くなったため、王都で彼を覚えている人間はそんなにいないだろうから」


「はい……」


「彼はいわゆる放蕩息子で、かなりの遊び人だった。未成年であるにも関わらず忍んで娼館に入り浸り、結果、お前が生まれた」


「よくありそうな話……」


「……大丈夫か?」


 顔を覗き込もうとすると、レイシーは言葉を遮るように『続けて!』と言う。

 俺は、その強い意思に従った。


「勇者によって魔王が倒され、王族は勇者ヒルベルトを王家に迎え入れた。魔王討伐の報酬として、王としての地位を授けたんだ。王都はヒルベルトの管轄となり、その他の王家の人間は国内の各地に飛ばされ、隠居することとなった。悲劇が起きたのは、そのときだ」


「まさか……!」


「お前の想像どおり。ヒルベルトは、各地に散らばる筈の王家の人間を、一人残らず暗殺した。遺体をこの湖に投げ捨てて。俺は、彼らの死体が沈んでくるところを、この目で見た」


「そんな、どうして……!?」


 俺は、目的の核心となる事実を告げる。


「王城の、王家の人間にしか開けない門を、永久に閉ざすためだ」


「…………!」


「察しの良いお前なら、もう気が付いたんじゃないか? 俺はレイシーに、その扉を開けて欲しい。だから、お前を買ったんだ」


 レイシーは、本当に聡い娘だった。

 それに続く言葉がもうわかってしまったのだ。


 聞きたくない。けど、聞かないといけない。

 そんな心情が痛いほど伝わってくる。


 聞かれる前に、答えた。


「俺は、勇者を殺したい。復讐したい。だから、お前を買ったんだ」


「…………」


「ヒルベルトは、いつか再び魔王が自分を殺しに来るのではないかと恐れている。何故なら、俺達勇者一行は魔王を倒したのではなく、『封印したから』だ。だからあいつは、何があっても王城からは出てこない。王家の力によって固く閉ざした扉の奥で、今も安穏と過ごしているだろう」


「それじゃあ私は、それを開けばいいんですね?」


「そのとおりだ。あとは俺がやる」



「「…………」」



 長い沈黙が続く。

 レイシーは、聞きたくても聞けないのかもしれない。

 どうしてそこまでして、俺が勇者に復讐を誓うのか。

 知らないまま、俺に協力しようというのか?


 レイシーは、昔から俺に甲斐甲斐しく尽くしてくれる。

 盲目的なまでに献身的で、それが俺への好意によるものだと気が付いたのは約二年前くらいだったか。思春期ゆえの気の迷い――たまたま近くにいる男が俺だったからと、そう思っていたのはどうやら勘違いだったらしい。

『もしかして、俺が好きなのか?』と冗談交じりに聞いたときの顔。

『遅すぎます、鈍すぎます』と拗ねられたのが懐かしい。



「ねぇ、お師匠様……?」


「なんだ?」


「待ってください。だったらどうして、王城では人が往来できるんですか? 報告のある兵士や、荷を運ぶ御者の人……城の門は閉ざされているんでしょう?」


「それは――王家の結界が、王に仇なす『邪なるモノ』を排除するためのものだからだ。だから、俺は……『王家の招き』がなければ、王城の門をくぐれない……」


「…………」


「今まで黙っていて、すまない。俺は、俺の中には――」


 言いたくない。

 できることなら、レイシーに嫌われたくない……


 あんなに強い思いで復讐を決意したというのに。

 そんなことで躊躇うなんて、俺も大概腑抜けたものだ。


 だが、打ち明けなければ――

 と思っていると……


「知ってましたよ?」


「…………え?」


「だから、お師匠様の中に悪魔がいること、知ってましたよ」


「は? え、ちょ……」


 意味が分からない。


「うそだ。待て、待て。どうして知って……?」


「色々ありますけど、初めて知ったのは十四歳のときかな? お師匠様が私に襲い掛かったっていうことがあったでしょう?」


「あ、ああ。アレか……」


 今思い出しても、自責の念で胃が痛い。


「あれ、悪魔のせいですよ?」


「…………」


 うそ。


「お師匠様の身体を急に悪魔が乗っ取って、私に襲い掛かってきたんです。だから、お師匠様が悪くないのはずーっと知ってました。今まで黙っていて、ごめんなさい」


(な……んだよ、それ……)


「え? 俺の身体を? あいつが乗っ取ってたのか?」


「はい、割と頻繁に。月一くらいですかね? 長い時は半月とか……ほら、たまに記憶ないときあるでしょう? あれ、悪魔がお師匠様の身体を使ってたからなんですよ?」


 平然と答えるレイシー。俺は頭の中がパンクしそうだ。


 俺と契約したことであいつが中に入っていることは知っていた。それにより体質が幾分変化するということもわかってはいたが、乗っ取られるとか! そんなの全然聞いてない!


 というか……


「はぁ!? どうして逃げない!? 中によこしまな魔が棲んでるのを知ってて傍に居るなんて――お前、頭イカレてんのか!?」


「イカレてなんかないです」


「何してんだ! 危ないだろうが!」


 思わずそう口走ると、レイシーはそっと俺の手を握った。


「そういうお師匠様だからこそ……ずっと一緒にいたんですよ?」


 冷たくて、熱を生まない俺の手を、レイシーは愛おしそうにさする。


「お師匠様……大好き。口は悪いけど、いつも私を心配してくれて、助けてくれて、大事なことを教えてくれる。『自信を持て』って、『自分の価値は自分で決めろ』って。私がここに居ていいんだって、生きていていいんだって思えるようになったのは、全部、お師匠様のおかげです……」


「レイシー……」


「ありがとう、お師匠様。あのとき私を買ってくれて。存在理由をくれて。たとえどんな目的だったとしても、私をあそこから救い出してくれてありがとう……そして、愛しています」


「……!?」


「ふふっ。なんでそこで驚くの? いつもそう言ってるでしょう?」


「いや、だって……面と向かってはっきり言われると……」


 照れるあまりに思わず視線を逸らすと、レイシーは握っていた手をぱっと放して抱き着いてきた。


「もう! お師匠様は本当に鈍いんですね! だったら何回でも言います! あなたがわかるまで、何度でも、何度でも!」


「ちょっと、レイシー……!」


「好き! 大好き! キスしてください!」


「はぁ!?」


「なんなら抱いてください!」


「ヤだよ!」


「えっ……イヤなの? そんなイヤ? 私、そんなに魅力ないですか……?」


 みるみるうちに勢いを失う姿に、『やめろ、泣くな』と全身が警鐘を鳴らす。


「いや、そうじゃなくて……イヤっていうか……イヤじゃないけど、ダメだろ……」


 訂正すると、レイシーは開き直った。


「ダメじゃないですよ? 歳の差があろうが師弟関係にあろうが、私はお師匠様が好き――」


「……っ!」


(あああ、もう! これ以上は埒が明かない……!)


 こうなりゃヤケだ。打ち明けるしかない。


 俺は、レイシーの両肩を掴んだ。一気に口を開く。


「ダメなものはダメなんだ! だって、俺は……! 既に死んだ人間なんだから!!」


「…………え?」


「俺は、お前の父親が湖に沈んでところを見たんだ。この目で。湖の底から……」


「それって、つまり……?」


「この身体は、死んだ身体に魔力を注ぎ込んで動けるようにした只の器……生命活動を行っているように見えるが、それは呼吸や代謝、血液の生成……最低限の維持機能だけで、老いることも成長することもない。時間の止まった人形だ。だって、人間の体温がこんな、湖の底みたいに冷たいわけがないだろう?」


「…………」


「俺がこんな身体になっても生き永らえているのは、俺の中に棲む邪なるモノ……魔王の力のおかげだ」


「……!!」


「さっきも言ったな? 俺達は魔王を倒したんじゃなく、封印したのだと。戦いの末に俺達は魔王を湖に沈め、最後に封印を施したのは、他でもない俺だった。だからこそ、何かの拍子でいつか俺が魔王の封印を解いてしまうことを恐れ、ヒルベルトは俺を処刑したんだ。適当にでっちあげた、『王妃に手を出した罪』で」


 そんな、まさか、ありえない。といった表情のレイシー。

 俺は、できるだけ平静を装って続ける。


「なぁにが、王妃に対する姦淫罪だ。俺に言わせりゃ順序が逆だ。俺の恋人であったアメリアを寝取ったのは、ヒルベルトの方なんだからなぁ?

 だが、罪を釈明しようと出廷した裁判で、俺は罠に嵌められた。裁判官は全員買収済みなうえ、法廷には魔力を封じる特殊な魔法陣が敷いてあったんだ。

 為す術もなく俺は捕まり、魔法を封じられて投獄、拷問、そして惨めに処刑された。それが、俺が勇者に復讐を誓う真実だ」


「そんな……!」


「そうしてその後、俺はヒルベルトによって暗殺されたその他の死体と共に、証拠隠滅のためにこの湖に投げ捨てられた。

 処刑の寸前に拘束を解かれた俺はなんとか仮死の魔法を使って死の一歩手前で踏みとどまっていたが、冬の湖の冷たさにやられ、息絶えた。でもその寸前、ヒルベルトの奴に一矢報いようと、魔王の封印を解いたんだ」


 言葉を失うレイシーに、告げる。


「結果が、これだ。魔王は目覚め、朽ちた身体を放棄して魂を俺に移した。

 俺の身体は魔王の特性である邪なる元素――つまり、『死』を操る力によって、生き永らえている。本来であれば人に害を為す邪なる元素を活力として摂り込み、不変の人形としてのみ、動くことができるんだ」


「でも、もしそれが本当なら、そんなのあまりに……!!」


「同情してくれるのか? だが、復讐を誓った時点で俺も勇者と同じようなもんだ。どうしようもない人間なんだよ。レイシーには、釣り合わない……」


「そんな……」


「そもそも、もうレイシーと同じ、人間じゃあないんだよ。だから――」


 俺じゃあ、お前を幸せにできない……


 口を開こうとすると、レイシーは声を張り上げた。


「『だから』、何ですか!?」


(……!)


「人間じゃない!? だから何だって言うんですか!? お師匠様は、私にとってはずーっと変わらない、世界で一番のお師匠様なんです! お師匠様がいなければ、私は救われなかった! 私に幸せという感情を教えてくれたのは、他の誰でもない、お師匠様なんです!! だから、だから……! そんなこと言わないでください!!」


「レイシー……」


 そんな弟子の一言に、出会った頃に教えたことを思い出す。


 『なんでもかんでも謝るな! そういうときは、ごめんなさいじゃなくて――!』



「ありがとう……」



      ◇


 それから俺達は、馬車を乗り継いで王都を目指した。


 『門をくぐったらついてこなくていい』という俺の指示を、『それは私が決めることです』と頑なに拒否するレイシー。復讐が目的で自分を買ったなら、見届ける権利が自分にはあるということらしい。

 本当だったら危ないのでついてこないで欲しいのだが、そう言われるとぐぅの音も出ない。まったく、随分と意思の強い子になってしまった。


 結局レイシーは、俺が真実を打ち明けたあと、『私が隠していたのは、お師匠様の中に悪魔がいるのを知っていたことです』と告げ、それ以上は話してこなかった。

 レイシーが、俺に隠れて邪なるモノとの契約について調べていたのは知っている。もしかすると、俺とその中身の契約を切ることはできないのかと彼女なりに調べてくれていたのかもしれない。

 きっとそのことを打ち明けてくれるのだろうと思っていたのだが……


(まぁ、気にしても仕方のないことか……レイシーが話さないなら、詮索するのも野暮だろう)


 それに、いくら契約解除の方法を探したところで、俺にはどの道意味がない。

 だって、俺と魔王の契約は、『器を提供すること』と『動ける身体をくれること』だったので、湖の底で封印を解除し、この身体になったあの一瞬で、全てが完了しているのだ。

 故に、俺と魔王を切り離すことはできない。


 結局そう言い出せないまま、王都に着いてしまった。


「じゃあ、今晩はここに泊まろうか」


 目立ちすぎず、安過ぎず。それなりに快適な宿を取り、部屋に荷を運び入れる。

 普段なら『一緒の部屋がいい!』と駄々をこねるレイシーだが、今回ばかりは何を言われずとも、一部屋で共に過ごすことになった。


 二年前、旅に出た頃よりも増えに増えた荷物。それが重くなるたびにレイシーは頬を緩ませていた。そんな顔を見るのも、今回が最後か……


 身支度を終え、宿にほど近い王都の料理を堪能した俺達は、明日のことを忘れて昔話に花を咲かせた。

 やれ『出会った頃はちんちくりんの毛玉みたいだった』だの。『大人のくせに好き嫌いが多すぎてびっくりした』だのと、脳裏に鮮明な思い出が蘇る。


 就寝前、隣のベッドで荷を整理するレイシーに話しかけた。


「レイシー」


「なんですか?」


「なんでもひとつ、好きな望みを言ってみろ。俺にできることなら、叶えてやる」


「え? 急に、どうして……?」


「それは――」


 明日、もしかすると俺は死ぬかもしれないからだ。


 だが、そうとは言えない。

 最後の最後まで隠し事ばかりの自分が不甲斐ない。


「そういえば、お前がウチに来てからの六年間、ろくに誕生日も祝ったことがなかったと思ってな。誕生日、知らないし――」


 視線を逸らしてそう言うと、レイシーは口元に手を当ててくすりと笑う。


「ふふっ。お師匠様……」


 『嘘が下手ですね?』と言わんばかりの顔。

 だが、レイシーは気づかない振りをしてくれた。


「『行かないで』って言っても、聞いてくれないんでしょう?」


「ああ」


「『居なくならないで』も、ダメ……?」


「ああ……」


「だったら、添い寝してください」


(……え?)


 てっきり、『指輪が欲しい』だのとマセたお願いのひとつでもされるかと思っていたが……


「そ、そんなことでいいのか?」


「はい。それがいいんです。お師匠様に添い寝するのは、私の一番好きな時間なので」


「……わかった」


 俺はベッドの端に詰めてスペースを空けた。

 レイシーが初めてウチに来たときと、同じように。


「ほら、おいで」


 隣をぽふりと叩くと、レイシーはこれ以上ない笑顔で潜り込んでくる。


「そう言ってもらえることが、なにより嬉しいです。嬉しかったんです……『おいで』って言われると、お師匠様の腕の中に私の居場所がある……そんな気がして」


「そっか……」


 全てを察しつつも何も言わず、満足そうに頬をすり寄せるレイシーを、俺は控えめに抱き締めた。レイシーがまだ幼い頃と、同じように。


 そうして、ひとり呟く。



「レイシーは、あったかいな……」



 明日、俺の願いが叶う。

 一方で、おそらくレイシーの願いは叶わない。


 レイシーがあいつに『願い事』をしているとは露知らず、夜は更けていった。

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