第11話 弟子、覚醒(チョコレートと恋人の街、後編)


 チョコレートの中から毒となる麻薬成分の含まれた物質を元素反応から探し出し、水と火の元素を使って分解する。

 幸か不幸かその麻薬成分は自然由来のものであり、元素も好む物質だった。

 水元素の扱いに長けるレイシーは器用に水の元素をエサとなるその物質に導いてそれらを取り除き、俺は抽出された麻薬成分の元を知りうる毒物と照らし合わせていく。

 人間にとっては常習性を齎す毒物でも、元素にかかればただのエサ。好んで食べるというのなら願ってもない。毒物の原因が判明すれば解毒薬も作れるようになるわけで、こうして安全に薬を生み出せるのも魔法使いであるが故の特権――というか、勉強の賜物だ。


 だが――


「なんだこの毒物は?」


 それは、俺の知らない毒物だった。


「水銀でも、トリカブトでもない、ケシの花でもない……紫陽花? いや、違う。だが、風でもなく水でもなく土の元素がより多く集まっているということは――鉱物か?」


「あ。見てください、お師匠様! 土の元素が窓から出て行きますよ!」


 レイシーの示す方を見ると、どこからかあらわれた土の元素が、まるで更なるエサを求めるように山を目指して列をなしているところだった。


「追いかけましょう! お師匠様も知らない毒物……もしかすると、この地特有のものなのかもしれません」


「そうだな」


 ふわふわと揺れる元素に導かれ、俺達は街から離れた山の麓に来ていた。

 そこはヴァレンティン公爵の所有するという敷地で、毒を含んだ物質が掘り出されるということから、十年前から閉山している鉱山だった。


 イヤな予感しかしない。


 俺は、隣で同じように固まるレイシーに尋ねる。


「おい、レイシー。ヴァレンティンがショコラティエとして大成したのは、いつからだったか?」


「ええと……チョコレートを買ったときに入っていた冊子によれば、ヴァレンティンは十三年前にこの地方でショコラティエとして一念発起。三年後には誰も彼もを魅了するチョコレート職人として数々のグランプリを獲得。その後、チョコレート専門店の『ヴァレンティン』を設立し、今や世界一のメーカーに……」


「この鉱山がヴァレンティンの所有になったのも十年前だ。彼が数多のグランプリを手にしたのも同じ年……話が出来過ぎているな」


「まさか……! ヴァレンティンが意図的にチョコレートに毒物を仕込んでいるっていうんですか!?」


 口元を抑えて青ざめるレイシーに、告げる。


「レイシーは引き返してもいいんだぞ。ヴァレンティンのチョコレート、好きなんだろう? 夢は壊すもんじゃない」


「でも……!」


 唇をかみしめたレイシーは、まっすぐに俺を見つめる。


「真実を知れないのは、もっと辛いです。騙されているかもしれないと知りつつ、知らないフリをするのも。だから、行きます」


(騙されているかもしれないと知りつつ、知らないフリをするのは辛い、か……)


 その言葉が、胸に痛いくらいに刺さる。


「……わかった。行こう」


「はい……!」


 こうして、俺達はヴァレンティン公爵家の門を叩いたのだった。


      ◇


 『旅の魔法使いが旦那様にいい薬を持ってきた。取引をしたい』と伝えると、使用人はいともあっさりと俺達を客間に通してくれた。

 それとも、『いい薬』に心当たりがあるのか。

 まぁ、それが解毒薬だと困るから、市場に出回る前に押収するか独占するかしたいのだろう。もしくは口封じ。


 この地の鉱脈から出る毒物、『ポリフェトキシン』。それは熱に弱く、溶けると無くなってしまうことからチョコレートにはうってつけの物質だった。

 つまり、あのくちどけの一瞬に人々は快楽を覚え、体内に入ってしまえば毒は消えて証拠も無くなる。仕組みとしては完璧だ。だが、およそ人外である俺の口にそれが入ったのが運の尽きだったな。


「レイシー、本当にいいのか? 万一ヴァレンティンがクロだった場合、もう二度とあのチョコレートを食べることはできなくなるかもしれない。俺達さえ黙っていれば、人々はヴァレンティンのチョコレートを何も知らずに楽しむことができるんだ。それでも行くのか?」


「はい。だって、食べ続けたらどんな副作用があるのかを問いたださないといけないですし、それに何より、お師匠様は行くんでしょう?」


「ああ。俺はヴァレンティンに王都市場開発研究組合との癒着があるのではないかと睨んでいる。おそらくは、爵位と引き換えに利益の横流しでも約束したんだろうと。それはつまり、王都でふんぞり返る勇者が、常習性の高いチョコレートを利用して何も知らない民から金を巻き上げている図式に他ならない。俺はそれが気に食わない。だから潰す」


 はっきり告げると、レイシーは並び立って手を握った。


「許せないのは私も同じです。チョコレートを愛する乙女の気持ちを、踏みにじるなんて……! 気に食わないです! 潰します!」


「ふっ。さすがは俺の弟子だ」


 にやりと笑みを浮かべていると、客間にヴァレンティンが入ってきた。


「お待たせいたしました、旅の魔法使い様。この度は遠路はるばる商談にお越しいただき、誠にありがとうございます」


「いいえ、こちらこそ。急にお伺いしてしまい申し訳ございません。お話する機会をいただき、光栄です」


 挨拶を返すと、ヴァレンティンもにこりと笑みを返した。

 アッシュブロンドを小気味よく整えた、三十代前半の男。服装はいかにも貴族っぽいもので、爵位を得てから数年が経過していることから、礼儀作法も上流な感じが滲み出ている。


「それで? 件の薬というのはどういったもので?」


 若干食い気味なヴァレンティンに、『ポリフェトキシン』を元素に食わせて中和した解毒剤を見せる。すると、みるみるうちに顔色が変わった。

 青から白、そして、今は笑みを浮かべている。

 どうやらシラを切るつもりらしい。


「ほう。私が所有する鉱山から出る毒物を分解する薬ですか……確かに、鉱山で採掘をしているならば必要なものかもしれません。しかし、現在あの鉱山は閉山中で、薬の用途は限られています。それをあなたは、私にいくらでお売りになるつもりなのですか?」


「ざっと一本、金貨一万で――と言いたいところですが。今回は別のものと引き換えで構いません」


「と、言いますと?」


「チョコレートのレシピです」


「……!」


「実はこの薬を開発する際、あなたの製造、販売するチョコレートにうっかり垂らしてしまったのです。すると驚き。元素が反応を示したので、なにか効能があるのではないかと思いまして。魔法使いというのは、そういう謎を解明しないと気の済まない性分でしてね。是非に……」


 もちろん嘘だが、ヴァレンティンの目はあからさまにキョドりだす。

 当たり前だ。ここまで言えば、わからないバカはどこにもいない。


 『お前のチョコに、毒が入ってるだろ』って言ってんだよ。


「……わかりました。そういうことでしたら、少々お待ちください……」


 青ざめたまま部屋を去ったヴァレンティンは、しばらくすると一枚の紙を手にして戻ってきた。


「こちらを……」


 見ると、それはチョコレートのレシピのようだ。もちろん、『ポリフェトキシン』の入っていないバージョン。用意周到にも、そういうのを前もって用意していたらしい。あからさまに罪を隠す気しかない確信犯。だが――


「では、こちらのレシピで作ったチョコレートを一口いただいても?」


 尋ねると、ヴァレンティンは固まった。

 そりゃそうだ。急に『今は無いチョコ』を食べたいなんて言われても、出てこないもんなぁ?


 そこまで言うと、ヴァレンティンは観念したのか態度を一変させる。


「お前たち、何が望みだ? 金か? 地位か? 私は王にツテがある。望むものを、なんでも便宜を図ってやろう」


「……チョコレートです」


 そう呟いたのは、レイシーだった。


「私達が愛した美味しいチョコレートを、返してください」


「……!」


「毒なんて入っていない、美味しいチョコレートを返してください!!」


 バッ! と立ち上がると、ヴァレンティンも同時に杖を構えた。


(なっ――あいつ! 魔法の心得があるのか!?)


「土よ! この地に眠りしよこしまな源流を呼び覚ませ!【毒渦の坩堝トキシック・ウェイブ】!!」


「遅い!」


 ヴァレンティンの繰り出した毒の液体を防衛魔法のバリアで防ぐ。その隙にレイシーは、以前に教えた風の魔法でヴァレンティンを拘束しようとした。ヴァレンティンはすかさず後方に避け、次の一撃を放つ。

 だが――


「させません! 水よ、土よ、来て!!」


 レイシーが叫ぶと部屋の花瓶から水が踊りだし、花に付着していた土の元素が毒の渦に纏わりついた。

 ヴァレンティンの呼び出した毒物をエサと認識し、中和しているのだ。


「ただの水になってしまえば、私にも扱えます! 彼を捕まえて!」


 レイシーの操る水がヴァレンティンを拘束しようとしたとき、不意に客間の扉が開かれた。


「……お父様? バタバタ、どうしたのですか? お客様が来ているの?」


「「「……!?!?」」」


 ひょっこりと顔を出したのは、赤いワンピースを着た五歳くらいの女の子だ。髪の色が、ヴァレンティンによく似ている。


「デメル! 来てはいけない!!」


 咄嗟に毒を引っ込ませるヴァレンティン。レイシーも魔法の発動を止める。

 少女はとてとて、と部屋に入ってくると、俺達用にとテーブルに置かれたチョコレートに目を付けた。


「あ! お父様のチョコレート!!」


 『わぁ!』と手を伸ばす少女の手を、ヴァレンティンは叩いた。


「いたぁっ!」


「ダメだ! それは食べるんじゃない!!」


「お、お父様……? どうして……?」


 うるうると潤む瞳に、ソレには毒が入っているとは言えない。


「デメル、お父様のチョコレート、大好きなのに……」


「……ッ! 今度……また今度、美味しいやつを。デメル専用のチョコを、作ってあげるから……」


「でも、街のみんなはにこにこ、お父様のチョコレートを買ってるの。デメルも、おんなじのが食べたい! 皆がにこにこしてる、あれが食べたい!」


 そう言ってチョコレートに手を伸ばす娘を前に、真実を言い出せない父親。

 戦意が失せたのを確認し、俺は口を開いた。


「僕と契約をしましょう、ヴァレンティン公爵」


「契約……?」


「はい。もう二度と、娘に食べさせられないようなチョコレートは作らないと、この場で誓ってください。そして、表に出せない王との繋がり、利益の供給は断つと」


「……!」


「僕の身体は故あって、『契約には逆らえない血』が流れています。僕の血判が押された契約書にサインをした者は、僕自身を含め、誰であっても契約には逆らえない。あなたが条件を飲んでくれるなら、僕たちは他言無用という契約を守りましょう。要はこれ以上悪さしないなら見逃す、と言っているんです」


「だが……いいのか?」


 恐る恐る伺うヴァレンティンに、告げる。


「僕の弟子は、あなたのチョコレートのファンなんだ。食べれなくなったら、彼女が悲しむ」


 視線を注がれたレイシーは、杖をポケットにしまって話し出した。


「ヴァレンティンさん。私は、あなたが多くの乙女たちを裏切ったことが許せません。でもひとつだけ、言っておかないといけないことがあります」


「言っておかないといけないこと……?」


「あなたのチョコレートは、正しくない理由で人々の間に広まってしまったかもしれない。けれど、あなたの作ったチョコレートが名実ともに恋人たちをくっつけてくれたのは本当なんです。あの形のチョコレートを最初に生み出したのは、他でもないヴァレンティンさんだから」


「それは、恋のキューピッドチョコレートのことかい……?」


「はい。あのチョコレートは、勇気を出せない女の子に一歩を踏み出す勇気をくれました。好きな人に『一緒に食べよう』って言うきっかけを与えてくれました。キスするチャンスを、与えてくれました。たとえ騙されていたとしても、その甘い思い出だけは本物です」


 もじもじと残念そうに『私は、失敗しちゃいましたけど……』と付け加えたレイシーは、まっすぐにヴァレンティンに向き直る。


「もしあのチョコレートの中に、あなたの『世の恋人たちの為に』という想いや優しさが少しでも入っているのなら。私はそれを信じたい。嘘の中に隠された優しさを、見つけ出せる人間になりたい」


(レイシー……)


「だから、約束してください。もう二度と、あんなチョコレートは作らないって。あなたのチョコレートが好きな人たちを裏切らないって。そして、娘さんに胸を張って食べさせてあげられるチョコレートを、沢山作ってあげてください」


「わかった、わかったよ……すまなかった。本当にすまなかったね、お嬢さん……約束する。これからは、罪を働いた分を償えるように、世界中の人に本当の意味で愛されるチョコレートを作っていくよ……娘に、笑顔で食べてもらえるようなやつを」


 レイシーの説得を聞いたヴァレンティンは膝をつき、契約書にサインした。


「こんな私を信じてくれて、ありがとう……」


      ◇


「でも、お師匠様はよかったんですか? ヴァレンティンさんを潰さなくて」


 帰り道、『せめてもの罪滅ぼしと感謝の印に』と渡された正真正銘ヴァレンティン製のチョコを頬張りながら、レイシーは問いかけてきた。


「まぁ、ヒルベルトとの癒着は金輪際行わないと契約できたから、俺の目的は達した。変わり身の早さや、魔法を悪事に使おうとしたことは気に食わないが、今回は潰すのは勘弁しといてやる」


「とか言って本当は、あの子……デメルちゃんがいたからですよね?」


 口の端についたチョコを拭って、レイシーはにやりと笑みを向ける。


「お師匠様、幼女にはとことん甘いんですから」


「なっ――! 俺はロリコンじゃねぇ!」


「でも、ヴァレンティンさんを潰さなかったのは、デメルちゃんの父親がいなくなると困るからでしょう?」


「うるさい……」


「ほんと、素直じゃないですね?」


「レイシーこそ、あれで良かったのか?」


 問いかけると、レイシーはにんまりと満足げに答える。


「だって、あの人のチョコ作りの腕は本物です。もう二度と食べられないなんて、もったいないですよ! 『欲しがることは罪じゃない、自身の欲望には忠実であれ』。これも、お師匠様の教えですよね?」


「まぁ、そうだな。にしても……そのチョコ、そんなに美味いのか?」


 バリボリと無限にチョコを貪るレイシーを見やる。


「お師匠様も、食べます?」


「じゃあ、一口だけ――」


 差し出されたチョコレートに口を近づけると、その手をサッと引っ込められた。

 どうしたのかと思っていると、次の瞬間――


 ちゅう♡


(……!?)


 レイシーは、ついさっきまで自分が半分口に含んでいたチョコレートを俺に食べさせたのだ。口移しで。


「むぐぐ……!?」


 呆気に取られていると、レイシーは唇の熱で溶けたチョコを名残惜しそうに舐め取る。

 そして――


「えへへ。勇気……出しちゃいました♡」


「…………ごくん」


「やればできるものですね?」


「…………ちょ、レイシー…………」


「その顔……照れてくれるんですか? ふふっ♡ だったらこれからは、チョコに頼らなくても大丈夫そうですね?」


「お前、なにして……」


 その問いかけに、弟子はいたずらっぽく笑った。


「大好きです、お師匠様♡ 私、もう躊躇いません。だから――」


 ――「覚悟してくださいね?」

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