第10話 チョコレートと恋人の街


 俺とレイシーが旅に出てから、約一年が経過した。


 歳は十五。昔から身体の成長が早いと常々思っていたのだが、ここ最近は心の成長も著しいと感じるようになった。一言で言うと、マセている。


 思春期も佳境に入り、完全に俺を男性として認識するようになった。もしレイシーが思春期ゆえに性欲を持て余しているということであれば、家を出てふたりきりじゃなくなれば行く先々の街で男のひとりも物色するかと思っていたのだが、作戦は大失敗だ。

 レイシーは隙を見せれば事あるごとに身体をくっつけてきたり、腕を組んでみたり。かつての俺の指示とは関係なく添い寝を所望されたり。下手をすれば就寝前に『おやすみのちゅー』をせがまれたりと……親子と言い張るには限界がきていた。


 王都からほど近い街ヘーゼルベルクの宿屋で、宿泊の受付をする。


「今日から三日、二名で」


「二名様ですね? お部屋は一部屋でよろしいですか?」


「あ、いや。部屋は別――」


 言いかけるも、コンシェルジュは見かけで完全に俺達を恋人同士か何かと勘違いしているようで、自分で聞いてきたくせにこちらの顔を確認もせず、勝手に話を進める。


「現在ヘーゼルベルクでは恋人の祭日バレンタインを祝う催しが行われていますので、当館の宿泊証を見せれば、カップルの皆さまは街でお買い物の際、優待を受けられることになっております」


 その案内に、レイシーが食い気味に反応する。


「一部屋! 一部屋でお願いします!」


「おい、レイシー……」


「いいじゃないですか! お得にお買い物できるんですよ? それに私、この時期のヘーゼルベルクに来るのを楽しみにしていたんです! だって、あの『ヴァレンティン』の期間限定チョコレートが直接買えるのは、ここだけなんですから! だから、お願い!」


 裾を掴んでそう懇願するレイシーに、俺は根負けした。

 いくら親子に見えなくとも中身は親バカのままなんだ。

 可愛い弟子にこんな顔されたら、断れるはずもなかった。


「はぁ、わかったよ……じゃあ、一部屋で」


「かしこまりました。それでは、こちらが恋人限定優待フリーパスになります。恋人の街、ヘーゼルベルクへようこそ! 甘い祝日をごゆっくりと、お楽しみくださいませ」


 にっこりとしたコンシェルジュに見送られ、俺達は部屋に向かった。

 部屋に入るや否や、レイシーは背負っていた大荷物をおろしてベッドに仰向けに倒れ込む。


「わ~い! お師匠様と同じ部屋だぁ! 久しぶり~!」


「レイシー、お行儀が悪いぞ。スカートのまま足をパタパタするんじゃない」


「あっ、ごめんなさい。でも、とっても嬉しくて! それに見てください! この恋人限定フリーパス! レストランでの優待は勿論、街で売られているスイーツが常時三割引きだなんて、破格ですっ!」


「スイーツ……そういえば、ヘーゼルベルクは菓子が有名な街だったか」


「はい! 世界中からパティシエ、ショコラティエさんが集まってお店を出しあう激戦区ショコラストリートに、なんといっても世界一のチョコレート店、『ヴァレンティン』の本店があるのはここなんです!」


「ヴァレンティン……?」


「え。お師匠様知らないんですか? 愛の伝道師ヴァレンティン。

 彼の手掛けるチョコレートは、それはもう蕩けるような舌ざわりと甘さで、まるで恋人とキスをしているかのような食感! リピーターも続出で、彼のチョコレートに魅了されない乙女はいないんです!」


「へぇ。そんなに美味いのか。でも、それでどうして愛の伝道師なんだよ?」


「ヴァレンティンの期間限定チョコレート。これを好きな人と一緒に食べると結ばれるという言い伝えがあるんです! 毎年恋人の祭日に合わせて販売されるんですけど、チョコレートは溶けやすいから氷魔法宅配クール便が使える凄くお金持ちな子しかお取り寄せできなくて。でも、ヘーゼルベルクなら誰でも買えるんですよ!」


「う~わ、胡散臭ぇ~……完全にターゲッティングされてんじゃねーか……」


「でもでも! 一度でいいから食べたいんですっ!」


 興奮気味に熱く語るレイシー。

 レイシーが甘いものに目がないことは知っていたが、ここまでだったとは。


「あの、それで、私……! お師匠様と一緒に、そのチョコを――!」


「ああ、わかったわかった。そのチョコレートが欲しいんだな? じゃあ、支度ができたら出かけるか」


「い、一緒に行ってくれるんですか!? だったら、イートインできるカフェに行きましょう!」


 いそいそと、荷物から小さめの外出用バッグを取り出すレイシー。

 こんなに嬉しそうな顔は久しぶり……でもないか。前に星空の街の夜景を見たときも、こんな顔をしてたっけ。


「お師匠様、早く早く!」


 そんなレイシーに急かされて、俺達はヘーゼルベルクの街へと繰り出した。


      ◇


 街の中、見渡す限り女子、女子、女子。


 たまに見かける男といえば、腕を組んで歩くカップルの片割れか、大量のショップバッグを手にした使用人数名を引き連れた小太りな富豪のおっさんくらいのものか。

 だが、誰も彼もが一様にヴァレンティンのチョコレートが入った袋を手にしていた。


「わ、凄い人気だな……」


 ドン引きしつつ、若干居心地の悪い思いをしながらカフェの整理券を取りに行ったレイシーを待つ。

 しばらくすると、レイシーが小さな紙を手に小走りで帰ってきた。


「三時から! 一番良い回で取れましたよ!」


「ふぅん。じゃあ、それまでに買い物を済ませて、観光でもしておくか」


「はい! ではでは、早速行きましょう! ヴァレンティンの本店に!」


 ぐいぐいと腕を引っ張るレイシーに続いて、カフェのすぐ近くにある店に足を踏み入れ――


「うわっ、混み過ぎ。密、密、密! 人間の圧縮袋かよ!? すまんがレイシー、俺はどこかのカフェで一服してるから、買い物はお前だけで……」


「えぇ~? でも、これだけ混んでたら仕方ないです。わかりました。でもお師匠様、お腹いっぱいになるのだけはダメですからね? 私、お師匠様と一緒に食べたいチョコがあるんですから!」


「わかったわかった。なんでもいいから、とにかく俺は避難する!」


「三時に、ヴァレンティン直営カフェで待ち合わせですよ! 遅れないでくださいね!!」


 俺は通りのベンチに転がる、ぐったりとした男どもの屍を横目にカフェへと非難したのだった。


      ◇


 三時過ぎになり、直営カフェに移動すると、大きな紙袋を持ったレイシーが席で待っていた。


「お師匠様、こっちこっち! も~う、遅いですよぉ!」


「すまん。街の歴史書を読んでいたらつい耽ってしまって……にしても、結構買ったな。で? 欲しいものは手に入ったのか?」


 聞くと、レイシーはさも嬉しそうに袋からチョコレートを取り出した。


「はい! これですよ、コレ!」


 じゃぁん! と目の前に突き出されたチョコレートに、思わずぽかんと思考が止まる。


「なんだコレ……魔法の杖の両端に、毒の矢尻が付いてんのか?」


 もしくは、犬が咥える骨の棒。

 ……変なカタチ。

 ヴァレンティンとかいったか? 人気ショコラティエだかなんだか知らないが、芸術家アーティストの考えることは理解に苦しむ。


 呆然と感想を述べると、レイシーはさもげんなりといった顔をした。


「お師匠様……これは、食べられるクッキー棒の両端に、ハートが付いてるんですよ……」


「ハート……? ああ、反対向きになってるのか。気がつかなかった」


「毒の矢尻って……発想が、もう……」


「しょ、しょうがないだろう? この街の歴史書に、この辺は毒の鉱脈を埋め立ててできた街だって書いてあって、それで……」


「はぁ……まぁいいです。一緒にコレを食べてくれたら、許してあげますから」


 そう言って、レイシーはおもむろにチョコレートを包みから取り出す。


「一緒に食べるって、どうやって……?」


 きょとんとしていると、レイシーが先に注文していたという紅茶を持った店員がやってきた。


「お客様、当店一番人気の期間限定、恋のキューピッドチョコレートは初めてですか?」


「はぁ……まぁ……」


「それはですね、女性から差し出されたら、男性はああやって食べるのがマナーなんですよ?」


 それとなく示された方には、棒チョコレートを両端から咥えて食べるカップルの姿があった。


「……アレを俺にやれと?」


 思わずジト目を向けると、レイシーは俯きがちにもじもじと顔を赤らめる。


「だってぇ……アレをすれば、好きな人と結ばれるって言い伝えが……♡」


「俺と結ばれてどうすんだよ。だいたい俺は……」


 来年生きてるかもわからないのに。

 というか、それ以前に俺はまともな生き物なのかどうかもわからないのに。


 だが、レイシーは拳でテーブルをひとつ叩いて俺を黙らせた。


「まだわからないんですか? 私が好きなのはお師匠様なんですよ。前も言ったでしょう? それに、お師匠様だって言ってたじゃないですか。『もしかして、俺のこと好きなのか?』って。私、『はい』ってハッキリ言いましたよね?」


「いや、だってアレはお前が『おやすみのキスしろ』とか言うから、冗談半分で聞いて……まさかイエスと言われるとは、思ってみなか……」


「いいから。やってください。乙女にナンセンスなことを聞いた罰として」


「あ、はい……」


 有無を言わさない圧に負け、俺は差し出されたチョコレートの端を咥えた。レイシーも上機嫌で反対側を咥える。どうやら、両側から齧って食べるものらしい。


(これ、どこまで食べればいいんだ? 半分? 真ん中? あ。意外と美味い……香りがいい。特殊な香料でも使ってるのか?)


 バキッ。


「ん。」


 一口食べ進めたら、俺側のチョコが折れた。レイシーは目を大きく見開いて残ったチョコ咥えている。

 俺は口の中のチョコを咀嚼し終えて、未だ呆然と咥えたままのレイシーに尋ねる。


「食わないのか? それ、食べたかったんだろ? 結構美味いな、うん。恥を忍んで食べてよかった」


 チョコを食べ終えたレイシーが、ため息交じりに口を開く。


「キューピッドとは、いったい……」


「?」


「まさか、悪魔が追いやっちゃったの? 嘘でしょう? どうしてコレでキスできないわけ? 意味わからない……」


「おい、レイシー?」


 呼びかけると、レイシーはこちらにジト目を向ける。


「お師匠様……なんで齧っちゃうんですか……」


「だって、そうしないと食べれないし」


「コレは、このチョコレートは。好きな人と両端から少しずつ食べていって、真ん中でキスするまでがごちそうさまなんですよ!?」


「は? 意味わからん」


「それなのに! なんで一口でバリッと食べちゃうかなぁ!? お師匠様は!!」


(え。なんで俺が怒られてるの?)


「しょ、しょうがないだろう? 歯が鋭くなってから、食べるのに慣れてないんだよ……」


 圧に押され、まともな言い訳も出てこない。


「お師匠様、未だにたまに自分の八重歯で舌噛んで、血出してますもんね」


「そ、そうだそうだ! それもこれも、この身体の歯が鋭くなったせい……って……」


 ――あ。

 レイシーには、内緒にしてたんだった。


 最近、歯や爪が鋭くなってきたこととか、睡眠不足で、何かの途中で居眠りをしてしまう回数が増えたことを。それが多分、アイツのせいだということを。


「もう! しょうがないですね。もう一本食べましょう。今度は折らないように」


 レイシーは気を取り直し、袋から限定チョコをもうひとつ取り出した。

 袋の中を見て、仰天する。


「おい、何本買ってんだよ!? 全部同じやつじゃねーか!?」


「え。そうですよ?」


 しれっと、さも当たり前のように答えてくれるが……


「せっかく本店に来たんだから、他にも買うものあるだろう!? 四角い生チョコレートとか、色が付いたやつとか!!」


「だって、それじゃあキスできないでしょう?」


「チョコレート買いに来たんじゃないのかよ!? 目的がズレてるぞ! 何の為に長時間並んで人間圧縮袋に入ってまで買ったんだよ!」


「それは、お師匠様とキス……とにかく、いいから二本目を咥えてください。もう一回! もう一回~!!」


 最近のレイシーは、結構強引だ。

 自分の要望を遠慮も躊躇もなく俺に言うようになった。

 その成長ぶりは嬉しいが……


「イヤだよ! なんでこんな恥ずかしい真似、二回も……!」


 拒否すると、レイシーはあからさまに不貞腐れた。


「なんでぇ……? 私とキスするの、そんなにイヤなんですかぁ……?」


「あああ……そんなことで泣くなって……」


じゃないぃ……」


 泣き出しそうなレイシー。あたふたと助けを求めるように周囲を見渡すが、辺りはレイシーと同じようなよこしまな目的でチョコを買い求める女子で溢れかえっている。俺のような男は完全にアウェイだ。


 というより、何故そこまでしてこのチョコレートを求める?


 今列に並んでいるのは、今朝も列の中に見た町娘のような清純ぽい女子だ。派手めな女も勿論並んでいるが、皆が皆、狂ったように列に並び、ヴァレンティンのチョコを買い求めている。

 それに、さっき一瞬薫った、チョコレートの香り……


 何かが、おかしい。


 空になったパッケージの裏を見ると――


(製造元、ヴァレンティン公爵家……流通、販売、王都市場開発研究組合……?)


 レイシーの話によると、しがないショコラティエだったヴァレンティンはチョコレートで財を築き、その功績を讃えられて公爵の地位を手に入れたらしい。まぁおそらくは、金の力で。


 その流通と販売を一手に取り仕切る――もとい独占しているのが、王都市場開発研究組合。王公認の商人組合だ。

 どうやら、王であるヒルベルトの奴がここでも関与しているらしい。


 ……きな臭い。


「レイシー。そのチョコ、もう一口くれるか?」


「えっ? は、はい! もちろんです! 二回でも三回でもしましょう!!」


 バキッ。


「あっ……」


 『アゲといて、サゲんな』。そんなジト目が見つめる中、俺は提案した。


「よし、レイシー。宿に戻るぞ。厨房を借りて、一緒にチョコを作り直そう」


「えっ?」


「ヘーゼルベルクの恋人の祝日は、好きな奴と一緒にチョコレートを食べるものなんだろう? だったら、ヴァレンティンのチョコじゃなくてもいいじゃないか」


 そう言うと、レイシーはぱぁっと顔を輝かせた。


「お師匠様……! 遂に、私の想いが伝わって……!」


 その笑顔が続いたのも、束の間だった。


      ◇


 宿屋の厨房を一時間だけ借りられることになった俺達は、エプロンを身に着けて銀の器や鍋、そして大量に購入したチョコレートに向き合っていた。


「レイシー、そのエプロンまだ持ってたのか? それ、お前がウチに来たときに買ったものだろう? サイズが小さすぎて、色々はみ出してるじゃないか……」


「いいんです! 私、エプロンはこれ以外身に着けないって決めてるんですから!」


「そうかぁ? でも、サイズが合わないのなら新しいのを――」


「これがいいんですっ! お師匠様のわからずや!!」


「えぇ~……?」


 どうしてそれで怒られるのかわからないが、隣で腕まくりをするレイシーはすこぶる上機嫌だ。


「でもまさか、この恋人の祝日という良き日にお師匠様と一緒にチョコレートが作れるなんて! 夢みたいです♡ 幸い、チョコレートは沢山買ってありますし♡」


 うきうきとそう語るレイシーに、淡々と告げる。


「何を言っている? 俺達はチョコレートを作るんじゃない。分解するんだ」


「えっ」


「だって、このヴァレンティンのチョコレート。毒が含まれているからな」


「えっえっ?」


「皆が狂気的に買い求めるのも無理はない。微量だが、中毒性のあるものだ。ひとたび食らえば、金を積んででもまた次が欲しくなる……麻薬のような成分だ。麻薬よりも効果が弱く、一般人では気が付かないのもタチが悪い」


「うそ」


「俺は毒物耐性があるからよかったものの、レイシーはもう一本食べたくて仕方がないんじゃないか? さっきから、口を開けばチョコチョコチョコチョコ……」


「それは、チョコが食べたいっていうよりは、お師匠様とちゅー……」


 もにょもにょ。


「よし、とりあえず買ってきたチョコレートから毒物を解析して、解毒薬を作ろう。チョコレートで財を築き、この街を牛耳っているヴァレンティンの屋敷に攻め込むのはそのあとだ。チョコレートの呪縛に苦しむ乙女どもを、俺達で救ってやらねばな」


「はい……」


 どこか納得していない表情でレイシーは返事する。

 というより、不満なのが全身から滲み出ている。


 こうして、師弟初めての共同作業が幕を開けたのだった。



 後半につづく

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