第5話 お姫様との賭け

 立っていることさえ奇跡近いようなバラックが隙間無く軒を連ね、往来では焚き火を燃やし料理を作ったり、昼間から酒盛りを始めている輩もいる。

 ここは、帝都ソピアフォスを守る五重の城壁の最外部第五城壁の傍に広がる、貧民区である。ごちゃごちゃ埃っぽく、中央部のように石で舗装などされていない生活臭がこびりついた土の道を、俺は障害を避けつつ歩いていた。

「ふ~、一週間ぶりだな」

 俺はあれから適当に帝都内の公園などで野宿をして過ごしていた。おかげで貴族から奪った服は今ではよれよれに薄汚れ、ここでの違和感は全くなくなっている。

 三日前に情報屋などに探りを入れると意外なことに自分を追っている気配はなかった。前回の失敗から金を掛けてかなり入念に調べたが尻尾すら掴めなかった。当分は浮浪生活、ほとぼりが冷めたら新しい塒を探さなければならないと考えていたんだが肩透かしもいいところである。

 頭お花畑の姫さんの様子から簡単に諦めるとは思えなかったが、案外あの力に恐れを為して手を引いた? 高貴な御方がわざわざ火中の栗を拾って火傷する度胸も無いと思えば納得出来ないこともない。

 それでも俺の油断を誘う罠の可能性はある。更に三日調査を続け大金が湯水のように消えていったがたが何も掴めなかった。

 永遠に様子を見るわけにはいかない(資金的にも)、罠だったら罠で決着を付けてやると腹を括って元の塒に俺は帰ってきた。

 だからといって無策で戻るほどガサツでも豪胆でも無い。貧民街の周辺に兵を潜ませてないか調べたし、逃走路も幾つか確保した。

 その上で今も道を歩きつつ怪しい奴らがいないかさり気なく探りつつ歩いているが、今のところ怪しい気配はない。

「よう、シチハ生きていたのか」

 焚き火に当たっていた老人が驚いたように話しかけてきた。ここの連中などいつ野垂れ死んでもおかしくない、姿が見えないと思ったら処刑されてなんてざらにある。俺も死んだと思われていたのだろう。

「残念だったな、じいさん。ぴんぴんしてるぜ」

「そうか、そうか」

 老人は俺に向かって何か放り投げてきた。何気に受け止めると、あちいぞ。

「あっつあっつ」

 ぽんぽん両手の間を放り投げて、適当に冷めた頃合いで見ると、それは焼いたジャガイモだった。

「いいのか?」

「出所祝いじゃ」

 別にムショに入っていたわけじゃねえんだけどな。

「サンキュー」

 軽く手を振って去っていく。この老人とて、死人から平気で金歯を抜き取るような奴なのに、なぜかここの連中は時々こういう気まぐれを見せる。

 まっ機会があったら酒でも差し入れるかと、ジャガイモを囓りながら自分の塒を目指す。

 暫く歩くと愛しの我が家に到着した。

 バラックの背後に立つ外壁が剥がれたりひび割れたりとまともな人間なら住まない3階建て石造りのアパートメント、地回りに払い家賃が少々高いがバラックよりは快適な居住空間である。

 埃を巻き上げながら階段を上りきり、3階の自分の部屋の前に来ると中に人の気配を感じた。

 伏兵かと思ったが、ドアの隙間からは料理の匂いがしてくる。一週間も家を空ければ死んだと思われて新しい住人に占拠されていても、ここなら何ら不思議はない。それでもだ、一応ここの一ヶ月分の家賃はここら一帯の地回りに払っているんだ権利は未だ俺にある。

「さてと」

 どうやって新しい住人を追い出すか、主に腕力になると思うが、まずは面を拝もうと堂々とドアを開け中に入った。

 もったいないことに、持っていたジャガイモを落としてしまった。

「お帰りなさいませ、あなた」

 シチューの匂いと共に、ニッコリと笑って出迎えるシーラがいた。

 シーラは丁度鍋を掻き回していたらしく、ブラウスの上からフリルの付いた白のエプロンをしている。

「おっおまえ」

「どうしたの早くドアを閉めて下さいな。もうすぐ食事出来ますから、椅子に座って待っていてね」

 まるで新婚ほやほやの新妻の初々しさでシーラは笑顔で俺に言う。

「何の冗談で、女房面する」

 いやそうじゃないだろ、あまりのことで混乱しているぞ俺。

「お前がなぜここにいるっ」

 我に返って、怒鳴った。

「あらま、凄い剣幕ですこと」

 シーラは口に手を当てて驚いたように目を大きく開くが、俺を恐れている様子は全く感じられない。

「てめえ、俺をおちょくっているのか」

「もうすぐシチューも温まります。まずは食事でもしません」

 シーラの微笑みと共に、シチューの匂いが漂ってくる。

 一気に腹が空腹を訴えてきた。逃亡中は、あまり人前に出たくなかったので公園の鳩ぐらいしか食ってない。そこにこのシチューの匂いは反則である。身体はあっさりシーラに白旗を揚げてしまう。

 何とか理性を保ちつつ辺りの気配を探ってみると、この部屋にはシーラ以外の奴が潜んでいる気配はない。

 時間稼ぎか? 俺が食っている間に包囲を完成させる。いや違うな。この女はそんな可愛い女じゃない。俺が喰わなければ喰わないで、俺を釘付けにする材料は別途用意してあるだろう。そうで無ければ一人俺の前にノコノコ姿を晒さない。

 この女は勝つ算段が整って初めて勝負に出るタイプだ。

 なら今更警戒してどうなるものでもないな。

 なら食ってからでもいいかと思ってしまう。

 シチューを口にいらずんば、シチューは得ずだ。自分でも訳分からない諺を思いつつ大人しく席に着くことにした。

「少し待っていて下さいね」

 シーラは再び鍋との格闘を再開し、肉付きの良さそうなシーラの尻を眺めつつ俺は自分の部屋を見渡す。

 壁紙は剥がれ風化した石が露出し洞窟のような雰囲気を醸し出していたダイニングには、古びたテーブルと椅子が2脚。同じような寝室には、盗まれていなければ寝袋が一つ転がっている。それだけが俺の持ち物だったはず。

 なのに壁には壁紙が貼られシーラが持ち込んだのか鍋や包丁などの調理器具は揃い、食器棚までありやがる。更に首を回せば、ドアなど無い仕切の向こうの寝室には、簡易ベットまで見える。まるで人が住んでる部屋に見えてしまう。

 変化はそれだけじゃない、いつもなら歩くと薄い靴裏に感じる砂利や埃の感触が無くなっている。床掃除がされているのだ。

 なぜこんなことをする?

 俺を捕まえに来たのじゃないのか?

 まさか、ここに住んでいるのか?

 お姫様が?

 疑問だけが一浮かび上がり俺の灰色の頭脳は空回りし続ける。

「はい、お待たせしました」

 何より、このシーラの満面の笑顔が一番の疑問だ。

 猜疑の視線を向ける俺など気にする様子もなく、シーラはシチューが盛られた皿を俺と自分の前に置いていく。

 久しぶりに肉と野菜が見えるシチュー、それだけで俺は疑問など一旦放り投げた。

「じゃあ、頂きましょう」

 シーラが先に一口するのを皮切りに、俺はガツガツ、シチューを食って食って腹が納得するまで味わうのだった。


「でっ何のつもりだ?」

 毒は無かったが腹も膨れて一息に付いてしまった俺の台詞に先程までの鋭い勢いはなかった。

「私と賭をしません」

 シーラは、そう切り出してきた。

「賭け?」

「はい、私は今からあなたの妻になります」

「はい~?」

 俺は自分が勇者と言われたときよりも、信じられないことを聞いた気がした。

「あなたの妻になると言ったのです」

「誰が認めるかっての」

「分かってます。だから賭なのです。

 魔王復活までに、あなたが私を妻と認め私に手を出せば私の勝ち。私の夫として宮中に帰って勇者を目指して貰います」

「出さなかったら」

 死んだそうがマシな未来を浮かべつつ勝ったときの特典を聞いてみた。

「私はあなたの妻として、あなたと共にここで生きていきます」

「なんじゃそりゃ、どっちにしろお前と一緒になるのかよっ」

 どっちに転んでも得のない賭が成立するかと呆れ果ててしまった。

「あら、こんな美人の奥さんが貰えるのよ。どっちに転んでも、あなたに損は無いじゃないですか」

 シーラは俺が勝っても負けても得をする損のない賭をなぜ受けないのか不思議そうな顔で言う。

「どこが、自信過剰過ぎないか」

「何ですって」

 シーラの柳眉が釣り上がった剣幕に危うく椅子から落ちそうになった。

 怖すぎる、こんなの嫁にしたら絶対尻に敷かれる。

 いや、そもそも何を呑気なこと思っているんだ俺。こいつはヴィザナミ帝国の十二皇子なのだぞ、最も復讐すべき存在ではないか。

 俺は込み上げた怒りのままに足を蹴り上げた。

「きゃっ」

 テーブルはひっくり返り、皿は破壊音を撒き散らす。

 テーブルが無くなり良く見えるようになったシーラの身体、特に胸などをじろじろ舐め回すように見る。豊かな体つきに娼婦を品定めする男のようにぎらついてくる。

「そうだな確かにいい体してるぜ、お前。しかし、身体程おつむは発達してなかったようだな。賭けに関係なく、俺が今頂いてやるよ。恨むなら、一人でのこのこ来た自分の迂闊さを呪うんだな」

「出来もしないことを」

 鼻息荒く身を乗り出してきた俺を、シーラは鼻で笑い返した。

「なんだと」

 むかついた、本気で犯してやろうかと思うくらい。

 もうちょい脅すかと手をシーラの胸に向かって伸ばしていく。

「あなたは盗みはするけど一度もその過程で殺しはしてない。

 どうして? ヴィザナミ人が憎いんでしょ」

 シーラの眼光が嘴のように、俺の張りぼての復讐心を突いていくる。

「私を人質に取ったときもそう、必死にワルぶってたけど殺気はなかった。だから私全然怖くなかったわよ。まあちょっと首絞められて苦しかったけど」

 人の運命を見透かす魔女のように微笑むシーラに、背中に汗が滲み出てくる。

 この女はまずい、関わるべき女じゃない。引き戻そうとした俺の手をシーラが掴み取ってきやがった。

「どうしたの? 私の胸でも秘部でも好きにしてみたら」

 シーラは小悪魔のように微笑みながら、俺の手を自分の胸に引き寄せていく。

「やめろ」

 なんとかシーラの腕を振り払った。

「あら、意外と奥手なのね」

 冗談じゃない。この女と縁が切れるのが一番の景品だぜ。さっきまでの勢いは消え、まるで俺の方がシーラに襲われているみたいだ。

 俺は知らず後ずさりしてしまう。

「俺は、そんな賭など受けない。だから出て行け、お前が出て行かないなら、俺が出て行く」

 俺は今男として最高に情けないことを言っている自覚はある。

 自分の家に女に乗り込まれて追い出すどころか逃げ出すなんて情けなくてしょうが無い、トラウマとして死ぬまで夢で魘されそうだ。

 それでもだ。それでもこの女に俺の一生を奪われるよりはいい。

「あらあら、嫌われちゃったかな。悪女みたいだから使いたくなかったけどしょうがないか」

 シーラは残念そうに溜息をついた。

 何を今更、初対面の時から悪女じゃないか。

「随分質素な暮らしね」

 シーラは、これ見よがしに部屋をざっと見渡す。

 確かにこの部屋の有様では、とても貴族から大金を奪っている者の暮らしに見えないだろう。

 だからなんだ、何が言いたい。

「お前に関係ないだろ」

 まさか知っているのか、この魔女は? 魔女に心を読まれないと、必死に心臓に落ち着けと命令する。

「盗んだお金は、どこに行ったのかしら」

 シーラが足を組み、上目遣いに見てくる。

「聞こえなかったのか、お前には関係ない」

「そう。じゃあ資金の流出先、私が潰しても関係ないのね」

 笑顔はない、そこには陰謀渦巻く宮廷を冷酷に生き延びてきた策士の顔があった。

「てめえ」

 何でばれた。いやハッタリだ。マネーロンダリングには信頼出来るマフィアを使った。完璧だ、バレるはずがない。

 完璧なはずなのに、目の前の雌を見ると、そんな自信が吸い込まれていってしまう。

「嫌なら、私の挑戦を受けなさいシチハ」

 シーラの挑む視線に、運命を掴まれた。

 もはやシーラを殺すか、受け入れるかしかないのか。

 理不尽に殺された仲間達の無念の顔が浮かんでくる。ここでシーラを殺せば少しは笑顔になるのだろうか?

「まだ迷うの? そうか、そのことなら安心して」

 逡巡する俺の前の前でシーラが一人納得した顔を知る。

「別れろなんて言いませんわ。私を一番に愛してくれるのなら妾の一人くらいは目を瞑ってあげる」

 伸ばし掛けた手が止まってしまった。

 ハッタリじゃなかったことがこれで明確になった。

「賭けに関係なく彼奴等には手を出すな」

 もはや降伏宣言に近い。

 シーラは自分の身に何かあったら報復する手筈はキッチリしてあるだろう。それこそがシーラが俺と一人対峙する力の源泉だと俺は気付いてしまった。

「勝負を受けるならヴィザナミ十二皇子として今後手を出さないと約束します」

 条約を破った帝国の皇子の宣誓がどれほど信用出来るか、それでも今はそれに縋るしか無い。

 力を手に入れても、結局これかよ。

「分かった。賭けに乗ってやる」

「賭は成立ね。よろしくね、あなた」

「くそっ勝手にしろ」

 シーラは新婚の人妻のような初々しい笑顔を見せるのであった。

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