第3話 怒り

「はあはあ」

 逃げ出した屋敷の裏手にある丘に逃げ込んだまでは良かったが、見栄えを良くするためか灌木は適度にバッサリされ、頂に東屋が一軒あるだけで見晴らしはすこぶるいい。これでは幾ら俺でも姿を眩まして、とんずらできない。

 当てが外れた。外れた以上兎に角走るしか無い。怪盗も走りが基本、これでもたまに走り込みはしているんだぜ。なんだかハイになってきた。

「はあっはあっ」

「いい加減諦めろ。

 俺は魔将軍ギガロン様の配下が一人ギルバー。俺の手に掛かって死ぬなら不名誉ではないぞ」

 追い縋る魔人が俺の背中越しに名乗りを上げてくる。

「ふざけんな。魔王の手下のまた手下じゃないか」

 性分なので仕方ない、ついつい減らず口を返してしまう。返してから無用な挑発だったと後悔する。

「ぬかしたなっ」

 頭に血が上ったギルバーが足を止め、手を前に翳す。

 ギルバーの角が輝き出すのを見て、やばいと感じた。

「ボット」

「くそったれ」

 俺は直感だけで決死のタイミングを計り地面にヘッドスライディング。今までいた空間が爆発する。

 これが魔人の強さ。人間がキューブとスピナーを使ってやっと魔術を行使出来るのに対し、魔人は肉体だけで魔法を使用することが出来る。高い身体能力に加えて魔法の力により魔人の中の最低クラスのポーン級でさえ一人で人間の兵士数十人に匹敵すると言われている。唯一の救いは数が少ないことだけである。

 背中が鞭で叩かれたみたいに一瞬カッと熱くなり、爆風で地面から捲り上げられそうになるのを必死に地面に指を食い込ませ耐える。

 爆風が過ぎ去って顔を上げると、視界を遮ってくる爆煙が立ち込めていた。

 しめた、暫し時間が稼げる。チャンスに打開策を考え始める。

 流石魔人、噂に違わぬ強さ。悔しいが本気を出されると相手にならない。

 そもそも魔人に一人で戦いを挑む馬鹿はいない。彼奴等と対等に戦えるのは武術や魔術を極めたマスタークラスのみ。

 つもり、どちらでもない俺は戦えば死が確定している。

 おっと、頭お花畑のお姫様の妄言は却下。俺の家系に勇者の血なんか一滴たりとも入っちゃいない、正真正銘平民の家系よ。勇者の血に目覚めるなんてありゃしねえ。

「冗談じゃねっえての。この国が滅ぶ前に、自分がミンチになってたまるか」

 苛立ちを吐き出し、思わず握り締めた拳に手応えが返ってくるのを感じた。

 スピナーだ、しかもキューブもセットされている。そういえば逃げ出したまま持っていたっけ。こいつを使えば倒せないまでも、逃げる隙くらいは作れるんじゃないのか?

 魔術の基礎は幼年学校で習っている。

 厳しいけど時々褒めてくれた先生、よく喧嘩した友達、好きだった子。親友だったストレ。

 みんな、紅蓮の炎で灼かれ消えてしまった。

 目をかっと見開く。俺達の国を滅ぼしたこの国が滅ぶなら、俺はそれが見たい。

 いつ死んでもいいと刹那的に生きてきたが、今、俺は生き残りたいと強く願う。

 思い出せ、幸せだった時代に習ったことを。

 みんな俺に力を貸してくれ。


 魔術の発動は、まずスピナーにセットされたキューブの回転から始まり、エネルギーが蓄積されるごとに、キューブは高速回転し球体に近付いていく。

「スピグネイション」

 真理を破壊する始まりの言葉と共に意識をキューブに注ぐ。

 スピナーのキューブがゆっくりとだが、動き出す。

 よし、俺にも魔力はあるじゃないか。手応えを感じた。

 次の段階では、魔力を注ぎ込んでいき回転を高めると共に、世界を再構築するイメージを固める。これが出来るか出来ないかで、魔術士の素質が問われる。

 爆煙が晴れてくる前に術を完成させないと、全てが終わる。焦る気持ちを抑えつつ己の奥底に潜む、イメージを浮かび上がらせた。

 心に浮かび上がるのは、炎。それも全てを焼き尽くす、冷酷無比な炎。

「はあああ」

 気合いとは逆に、キューブの回転は止まりそうになる。

 訓練を積んでないので魔力と意識の区別が出来ないのだ。スピナーに集中するとイメージが出来ない、イメージすると、スピナーに集中出来ない。

「駄目か。ならいっそ、イメージごと注ぎ込んでやる」

 炎をスピナーに注ぎ込むイメージを浮かべて集中した。

「おっ」

 この試みは、何とかうまくいったみたいで、キューブは、多少いびつながら球体に近付いている。

 いける。素人の思いつきにしてはうまくいったぜ。コツを掴み、立ち上がりスピナーを前に掲げる。

 後はタイミング、爆煙が晴れ次第、術を発動させギルバーにぶつけてやる。その隙に逃げる。俺は一流の怪盗フォックス、逃げられないわけがない。

 薄れゆく爆煙、透過し、見え出す魔人の姿。

 だが、それを待ちかまえていたのは俺だけでなかった、ギルバーもまた薄れ行く爆煙の向こうから、こちらに向けて魔法を発動させる途中だった。

 俺が死んだとでも思って高笑いしていればいいものを。脳筋のような顔して神経細い奴だぜ。

「ほう。魔術を発動させていたか」

 ギルバーは、俺にスピナーを向けられていても余裕だった。

「やってみろ。それがお前の最後の抵抗になる」

 魔力では絶対に人間に負けない、そんな自負がギルバーから伺える。

 なら遠慮無くいかせて貰うぜ。

 この後はキューブを触媒として魔族がやってきた異界の法則「魔法」をこちらの世界に引き込みイメージ通りに構成出来れば、術は完成する。

「リワールド」

 世界の真理に革命を起こす言葉と共に、キューブが弾けた。そのエネルギーを持って次元に干渉、魔族が来た世界から魔の法則をこちらに呼び寄せる。

 呼び寄せた魔の法則と描いたイメージがうまく癒合すると術に応じた魔法陣が描かれるはず。だが粒子は魔法陣を描くどころか黄金にすら輝かず、ただ俺の周りを漂うのみ。

 触媒が作用して魔の法則の呼び寄せまではうまくいったのに、再構成に失敗したのだ。これでは術が発動されることはない。

「ちきしょうそんな」 

 悔しさのままにスピナーを地面に叩き付けた。

「どうやら失敗だったようだな」

 嗜虐の笑みを浮かべるギルバーの声に混ざり、近付く複数の足音が聞こえてきた。あの場にいた騎士達だろう。俺を捕らえに来たか魔人の迎撃に来たのか。もう少し粘れれば命だけは助かるかも知れないが、この増援は却って俺を窮地に追い込む。

「ちっ遊びは終わりだな。足掻かず死ね。

 デトナーレ」

 死ねとばかりに、ギルバーは先程より強い魔力を感じる呪文を放つ。

 迫り来る死の気配。

 死、自分が消えてしまう、その心を打ち抜く圧倒的恐怖に押し潰された。

 消える。

 俺が。

 消えゆく俺に走馬燈だろうか、あの日幸せだった世界を焼き尽くした炎が浮かぶ。

 故郷を

 家を

 先生を

 友達を

 家族すら

 燃えていく。

 いつまでも、いつまでも消えずに燃え続ける炎。

 全てを燃やして、なお何を燃やすというのだ炎。

 嚇灼と輝き燃え続ける炎。

 ふと気付く、いつしか俺から全てを奪った炎は圧倒的理不尽に反逆する俺自身が燃やす怒りの炎に変わっていた。

 この炎、消させはしない。

 三千世界を燃やそうとも消せはしない。

「ラーブレイズ」

 鼓動が黄金に輝いた。

 漂っていた粒子が共鳴するように黄金に輝き、螺旋の渦を描く嚇灼の炎が沸き上がった。


 そして何も起きない、爆発という現象を具現化するはずだった魔法を燃やし尽くしたのだ。

「なんだと」

 驚くギルバーに向かって、ゆっくりとシチハは歩いて行く。

 その姿、紅蓮に燃えるように髪を滾らせ、真紅に染まった瞳で獲物を睨む。

「ガッ」

 シチハは野獣のように地に伏せると、四肢を使って飛び上がった。ギルバーの頭上よりシチハは強襲する。

「くっ」

 ギルバーは迎撃の手刀を繰り出すが、振り下ろされる獣の一閃がその腕を砕くように消し炭に変えた。

「馬鹿な馬鹿な。ここまでの力あるといのか。これではギガロン様に匹敵する」

 無くなった腕を押さえ、ギルバーは恐怖の顔でシチハを見る。

「去れ。お前がこの国を滅ぼす存在だというなら、俺は追撃しない」

「何?」

 ギルバーは、シチハが何を言っているか分かっていても理解できない様子だ。

「聞こえなかったのか去れ」

 シチハは、真紅の目を細めて命令をした。

「どういうつもりか知らないが、今は従ってやる」

 ギルバーは見逃してくれるのだと理解出来た。ならば気が変わらない内にと、恥も外聞もなく翻って逃げ出した。

 シチハは、その小さくなっていく背を約束通り何もしないで、ただ見ていた。

「貴様、魔人を見逃すのか」

 やっと駆けつけてきたフェデルタが、非難の声を上げてきた。魔人は強い代わりに数が少ないのだ、ここで一人でも消すことは戦術的価値は高い。

「うるせえ。てめえから死ぬか」

 シチハは、炎を纏った手を振り上げた。

 憎しみが混じった真紅の瞳にフェデルタは殺されると信じた。

「総員後退」

 口が動いたのは奇跡、シチハが腕を振り払えば、嚇灼の炎が大地に突き刺さった。

 フェデルタの眼前に城壁に匹敵する炎の壁が表れた。

 直撃こそしなかったが、その凄まじい熱量にフェデルタの視界は歪み、干涸らびるほどの汗が噴き出し蒸発していく。

 フェデルタは逃げることすら出来ず片膝を着いてしまったが、それはまだマシな方で他のメンバーは既に熱と脱水で地に伏していた。

 このままでは全員ミイラになる。そう覚悟したとき、あれほどの炎の壁が消えシチハの姿も消えていた。


 日も暮れだし石造りの街も紅く染まり幻想に包まれる。移ろい薄闇に染まる出す宵の口、露出したコスチュームで肌を扇情的に晒す女達が溢れ出し、化粧の匂いが充満するここは帝都ソピアフォスの歓楽街。

「ねえ、こうしゃくさま~遊んでいかない」

 公爵ほどの地位の者がこんなところを歩いているわけがないが、そこはそれ男のプライドをくすぐる常套句。そんな女達が胸をV字に開いたドレスで武装し、鼻の下を伸ばして通りかかる男達を色香で店に引き込もうとする。

 その貴族の男も一夜の快楽を求めて少し早めに来たのであろうが、引きずり込まれたのは可愛い女がいる店内でなく、一足先に闇に包まれた路地裏。

「おら大人しく脱げ」

 弱者から巻き上げた金でこんな時間から遊ぶぼんぼんが。貴族の髪の毛を掴んだまま腹に膝を叩き込む。

「うごっ」

 その日を生きるのに精一杯の者が溢れているというのに。更に腹いせで叩き込む。

「うげっ」

 叫び声と共にくの字に折れる貴族は、鼻水を垂らしながら俺を子犬のように必死に見上げてくる。貴族のプライドがあるならそんな目をするな。そんな目をするなら、上に君臨しようと思うな。

「おっお願いです、こっここ殺さないで」

「だったら着ている服をさっさと脱げ」

「はっはい」

 貴族は、上等のジャケットやズボンを慌てて脱ぐと、怯えながら俺に差し出す。俺は破れた黒装束を脱ぐと、代わりに貴族の服を着出す。

「よし、だいたい合っているな」

 見立て通り自分の体格に服が合って満足。懐に手を伸ばすと、分厚い財布もある。ますますもって満足そう。

「あの~僕は、もう行ってもいいですか」

 裸にされパンツ一丁となった貴族は、おずおずと尋ねてくる。

「いいや。俺の顔を見られた以上、生きていられると思っているのか?」

「ひいいいいいいい」

 貴族は俺に睨まれ、へたり込み失禁してしまった。

 ここは殺した方が足取りを追われないでいいんだろうな。

 貴族の怯えきった顔をひとしきり眺める。

 ふっ、気晴らし出来た褒美とするか。俺は何も言わず路地裏の更に深い闇の中に消えていく。

「ふう。暫くほとぼりが冷めるまで、身を隠すか」

 輝きだした月を見上げ呟いた。


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