第七話 ありがとう


 移動した先にはノアが静かに目を閉じていた。

「…………」

 その表情は、苦痛に歪むこともなく、哀しみに崩れることもなく、涙に濡れることもなく、当然喜びにわらうこともない、正しく無だった。

 その顔を前にし、悠斗の脳裏によぎるものがあった。それは、初対面のノアの表情。

 この子に、こんな子に……この表情は似合わない。

「…………」

 何が出来るか分からない。何をすればいいかも、何かをして良いのかも分からない。

 分からないままその元へ寄り、手を握る。そして念じてみる、目を覚ましてくれと。

 頭の中でエネルギーを少女へ送るようにイメージする。力の流れを想像しその創造を現実にする。

 エリカが言っていた。能力は力を込めれば使えると。意味不明な説明だがそれで救われるのなら――試す価値はある。

「おや」

 医者の声に目を横へ動かすと、計測機の振動と数値が変化していくのが見えた。呼吸速度、脈拍、その他内臓の活発化が記録計より分かる。


 それが、表すことつまり――


「んっ……んぅ…………えっと…………」


 ゆっくりと上体を起こし目を擦るノア。小動物のようなその仕草がとても可愛いく――胸を打たれた。

「の、ノア! 良かった!」

「ふぇっ! えっと……あの……その……」

 なんともデジャブを感じる光景だが今この時も、数時間前に起きたこともどちらも心の底から嬉しく思っている。

 目の前に倒れた人が目の前で息を吹き返すなど、初めての経験だった。

「目が覚めましたか? これは凄く興味深い現場に立ち会わせてもらいました」

 医者のおじいさんが目元を緩ませながら部屋を後にする。

 本心を言いつつも冗談のように言って場を和ませようとしているのが理解できた。

 しかし、去り際に一度閉めた扉を軽く開き、白い髪と共に頭を覗かせると一言、


「検査機に異常なかったので大丈夫でしょう。親のもとへ行ってあげてください」


 その一言に、ノアは現実へ帰ってくる。


「そうです! お父さんとお母さんは!」


 悠斗にしがみつき確認をとる。そして悠斗の顔が優れないことから察してしまう。

 表情を曇らせ何度か口を開閉させる動作を見せる悠斗。

 その逡巡に小さく頭を振り言葉にされない事実を否定するノア。



「……ノア、2人は…………息を、引き取ったよ」



「――――‼︎」

 声も出ない。涙が溢れる。手が震える。視界が薄れる。頭が真っ白になる。感情の洪水が起こる。

 いつの間にか室内は2人だけになっていた。まるでここで全て解決してくれと言わんばかりに。

 いや……そういえばさっき、あの医者は退室したか……。

「…………っ!…………っ!」

 涙を堪えるように音を漏らす。自身の無力さを呪い、蔑んでいる。

 なんて声を掛けよう? どうやって励まそう? 何が良い? どうしよう。

 悠斗にはわからない。テレビで知らない人が死んでいても何とも思わないのが普通、それと同じようにノアの親については全くの他人、非情で無情で残酷なことに悠斗は強い悲しみが無い。

 そんな悠斗が声を掛けて……いいのだろうか。

 そもそも彼は何か言えるような立場なのだろうか。

 …………。…………言わなければならない。人を救うのが目的なら。

「ごめんな……少し遅かったらしい……。2人は、一酸化炭素中毒だって言ってた…………。でも……逃げ出す前にコレを……ノアにって…………」

 ポケットから小さなケースを取り出し手渡す。

 悠斗も中身は見ていない、形見になるだろうか。

 ノアが涙を零しながら受け取る。


「……っ! ママ……っ……パパ…………っ……」


 失礼と思いながらも中身を拝見する悠斗。覗き見るように視界に入れたそれはネックレスであった。変わった勾玉のついた美しく儚い輝きを誇るネックレス。

 その箱を抱きしめノアは深い迷宮にハマってしまう。5分たち、10分たち、15分たったが泣き止まない。

 悠斗はノアの横に座りずっとを見守っていた。昔の己を見つめるように。


「こんな時、なんて声掛けるのが良いのかわかんねぇんだよな。困ってる人にどうすればいいのか」


 勝手に口が動き出す、救いたがっているのだ。対象が自分かノアかはまだ分からないが……。


「知ってるか? 泣きたい時に泣く事ってすごく大切な事なんだ。俺は親が死んだ時、泣くのを堪えてたけどな。転んで泣いた時、その後にまた泣いたりしない、友達と別れて悲しんだ後、寂しく思っても涙はなかなか出てこない。涙には感情を統率する力があるんだ、一部例外はあるけどな。一度涙を流せば清算される。だから泣きたい時は泣いた方がいいんだよな」


 親の死の話題から切り離し別の話題で会話を繋げる。一度でも笑えれば再び泣き出す事はないはずだ。

 しかしこの話は昔の、そして今の自信に聞かせたい言葉だ。悠斗は失敗した者、なら目の前の少女は……笑顔で世界を見渡せるように成長させたい。

「もう一つあるな。人の前で泣くのって、俺は恥ずかしいなって思ってたけど、それができたら素敵だと思わないか?」

 ワザと問いかけをし、ノアに発言を促す。

 鬱陶しく思っているだろうか、うるさく思っているだろうか。どちらにせよ返答を待つ。


「……………………」


 首を何度も横に振り「そんな事ない」と言いたげな素振りを見せる。両目に手を押しつけ視界を遮り目の前の少年の存在を消そうとする。

 人の前で大泣きするなんて恥ずかしくて堪らない。

 だが悠斗は、その泣き顔に優しく笑いかける。顔は見えずとも伝播させて少女の顔も笑い顔に変えさせるために。


「俺は素敵だと思うぞ。涙を見せれるほど心の許せる人がいるんだなって思えるからな。あと、なんだ……ほら、頼りなかったかもしれないけど……ノアを助けさせてくれて、ありがとな。こんな俺でも、頼ってくれて嬉しかったよ」

「……っ!」


 ノアが息を詰まらせ一瞬涙が止まる。

 目を見開き悠斗の目を見つめる。何を言っているんだと、そしてついに口を動かす。

「わたし……お礼言われる事……なんて……」

「したよ。ここで泣いてるのがそれだ。泣いてなくてもいいけどな」

 理解ができないと首を振り口を震わせ、手を震わせる、足を震わせる。


「俺は1人でも多く人を救うのが目的だ。両親は俺の力不足のせいで救えなかったが、ノアを服従から解放できたし火事からも守ったし、蘇らせることもできた。ノアが生きてるからお前はそうやって泣けるんだ。だから、ありがとう」


 その後、先とは比にならぬ量の涙が滝のように流れ出す。

 涙腺が決壊し、痛みが押し寄せる。この痛みはとても、心地が良く笑えてくる。

 格好つけた台詞だ。黒歴史に残りそうだ。恥ずかしい、気持ち悪い。でも、それを代償に1人でも救えるのなら――なんでも差し出そうではないか、だってこの世界は救われる世界なのだから。

 悠斗はノアの左目から流れる涙のみを右手の親指を使って拭う。片方は自分で拭えるように残しておく、きっとやりたい事は――伝えたい事は、届いたはずだ。


「ふっ……っ……なんですかっ……それっ……」


 悠斗の手をか弱い力で抑え反対の手で右目の涙を拭う。


「変わった……人ですね……」

「あぁ」


 悠斗に濡れた笑みを投げかけ細めたその目からは何度でも光が煌くのであった。

 数分後やっとの思いで動き出した2人だが……。

「悪いちょっとトイレに行かせてくれ」

 そう断りを入れて化粧室へと駆け込んだ悠斗。理由はトイレ――ではない。


「ぐっっ! クッソッッ‼︎」


 誰もいないと思われるトイレのとある個室から、そんな叫びと壁を撃ち抜いた残響が鳴り響いた。


「俺はっ……またッ――ッ!」


 人には格好つけた少年が1人で虚しく拳を震わせていた。






「それで? ずっとイチャイチャしてたの?」

「違うって」

 戦果報告のために集った3人、その中でも第一にエリカが指摘した事は――


「そうなの? すごく仲良さそうに悠くんにくっついてるけど……どういう事?」


 そう、ノアと悠斗の密着した光景だ。

 悠斗の励ましによって僅かながら立ち直ったノア、しかし完全体というわけでもなく困っていると、この状態ならという事で現在に至る。


「自分で言うのもなんだが、ちょっとノアを慰めてただけだって……でもまぁ、そろそろ一旦離れようか……」


 言葉を発さずうんうんと頷く。

 ノアの両親に手を合わせた後集った場所は待合休憩所の一隅の机だ。盗聴される事なく落ち着ける場所という事でこの位置に落ち着いた。


 1つのテーブルを3人で囲い会話を始める。


「まず何から話したらいいかな〜」

 ここで突然通常運転のエリカが帰ってくる。

「火が燃え広がらなかった件から頼む」

「おっけー」

 火災以前の出来事は大体消化できたため、以降の出来事で個人的に不可解な点を順に挙げていく。


「異世界の一般家庭には防火、防震対策として術式が組み込まれてるの。だから他の家には燃え広がらないんだよ」


 よく分からない単語を出されたが概ね理解する。すると次に挙がる謎がある。


「ちょっと待て、それならなんで家は燃えたんだ? その術式とやらは機能してたんだろ?」


 悠斗の疑問に対しエリカが指を差す。


「そう! そこ! 普通は式が建てられていれば地震も火災もへっちゃら、なのに何故焼けたのか。私たちが到着した時には術式が崩れてたんだよ」


 その言葉に唾を呑みゆっくりと問う。


「それは、自然的にか? それとも……」

「あれは……意図されたモノでした……」


 悠斗の言葉を引き継ぎノアが告白したがそれと同時にその顔が曇る。

 その表情を見てどうにかしようと思案した結果何となく頭を撫でた。後で考えれば人によっては殴られるレベルの行為だった。

 ノアはハッとして悠斗を見たがその笑みを視界に捉えた瞬間いつも通り?の表情に戻る。そんなやり取りを不愉快とは言わずともあまり芳しくない様子でエリカが見つめていた。

「コホン! つまりあれは偶然起きた火災じゃなく放火されて起きた必然の事態だったって事」

 一度咳払いをしたエリカが声を張り2人の意識を引き寄せる。

「そこから推測すると、ノアちゃんの家には何者かに狙われる何かが少なからずあった、と言う事だよ。何か心当たりはある?」

 エリカが見解を述べると同時に悠斗も同じ結論にたどり着いた。それと同時に頭に過ぎるモノが一つだけあった。それは、可能性という枠を飛び出してほぼ確証へと変わっていく。


「さっきの……ネックレス……」

「コレですね……」


 悠斗の呟きと同時にノアも理解が及んだのか箱を取る。

 エリカは初めて見るモノであるためもう一度箱を開き中を確認する。


「これは……勾玉のネックレス……?」


 よく見てみるとオレンジ色が煌々としており謎の柄まで刻んである。このネックレス以外に考えられる物は無く満場一致でこの話を閉めた。

「アレは見ても分からないね。何か凄い物だとは思うけど」

 エリカの一言には同意しか出てこない。一般人でなさそうなエリカや持ち主の娘であるノアすらわからない、悠斗にはわかり得ないのだ。

「他に気になることは?」

 エリカが目を光らせて悠斗を見つめる。これは恐らくなんでも聞いてくれということだろう。

「そうだな、ノアの今後が気になる」

 その発言に対し2人があっ!と声を上げる。


「そういえば、私どうしましょう」

「確かに」

「おい」


 なんと忘れていたらしい。エリカはともかくノアはこんなことでいいのだろうか。身の上話を忘却することは大変だ。

「マジで気にしてなかったのか……。まぁいいや、そんでもし行くところないならうち来るか?」

「「えっ!!!」」

 2人の声が見事に重なり逆に悠斗が驚く。

「い、い、いいんですか⁉︎」

 ノアが動揺して問い返す。その態度と表情が面白くて苦情が出てしまった。


「あぁ、別に――」


「ダーーーーメーーーー‼︎」


 悠斗の言葉をを大声で遮り悠斗の肩を揺さぶる。

「私たちの愛の巣だよーー。他の人を入れたらダメでしょおぉぉぉーーーがあぁぁぁーーー」

 声と共に次第に揺さぶりが激しくなっていく。痛い。

「誰の愛の巣だよ! 能力の件もあるし定期的にノアに会わなきゃいけないんだよ、だからこっちの方が俺が楽なんだ」

 もちろん悠斗がいかがわしい目的で勧誘するはずもなく、自身とノアの負担軽減のためである。

「ぶぅーーーー」

 エリカが頬を膨らまして剥れる。駄々のこねかたは幼稚だがその顔は同い年として可愛く思える……?


「て、勝手に話進めたけどノアが嫌なら――」

「是非‼︎」

「あ……はい、わかりました」


 ノアの迫力に思わず敬語で答えてしまう。

「もぅ! せっかく私も頑張ったのに損しちゃったじゃん」

 やたらと文句が多いが確かにエリカは奮闘してくれた、その事実には有り難く思う悠斗である。

 しかしどう考えても損ではない。

「まぁ、そうと決まれば後は家に帰ってから話そう。って事でノア、テレポートお願いしていいか?」

 悠斗の言葉にキョトンとするノア、そして


「…………え?」

「…………え?」

「…………んーー? あっ!」


 理解出来ない悠斗とノアをおいていち早く大問題に気付いたエリカ。それより先にノアが声を出す。

「えっと……私、神本さんの家……知りません」

「は…………?」

 間の抜けた声を漏らし即理解する。


「ノアちゃんに、家の記憶が無いんだよ!」


「はああああああああ⁉︎」


 悠斗の叫びが施設内の患者の大迷惑となった。


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