第11話 高校生活の春
「ところでさ、きょう、じゃなかった、佳典、バイトとかしないの?」
入学式後、恭介と瑠香は、借りたアパートに戻った。
住居は高校から電車で三十分程度の、閑静な住宅地である。
「もう少し、おしゃれな街が良かった」
瑠香はそう言っていた。
本当は、恭介も生まれ育った自宅の近くに住みたかったが、何分、あの辺りは家賃が高い。
瑠香も、同じアパートの隣室に住むことになった。
畳敷きの二部屋に小さな台所。
古い造りだが、東南向きの窓が気に入った。
「校則で、原則バイト禁止ですよ」
「えっ、じゃあ生活費どうすんの? おじいちゃんにお金借りたの?」
恭介は苦笑しつつ答える。
「百万円貯めた時に、もう少し稼いでいましたから」
稼いだというのか、売ったというのか。
恭介が山深いところの土木現場で働いていたある日、たばこの不始末が原因で、ボヤ騒ぎが発生したことがあった。
生憎と、台風が接近していて風が強く、火は瞬く間に、工事用資材まで広がった。
その地域の消火栓は、さび付いていたのかうまく稼働せず、バケツリレーで水を運んでも、まさに焼け石に水状態。
消防に連絡したものの、到着までには時間がかかりそうだった。
その時
恭介がなんとか消火栓をこじ開け、そこから出た大量の水で、無事に火を消し止めた、ということがあった。
実際は、見るにみかねた恭介が、地下から水を引き寄せたのだが。
資材への被害も最小限で済み、恭介は現場監督から涙流さんばかりに感謝され、お礼にと、いくばくかの現金を渡されたのだ。
恭介は断った。
ではせめて、食事でもと言われ、繁華街の小料理屋で夕食をご馳走になった。
どうやら食いつめた苦学生と思われたらしく(あながち間違いでもなかったが)、その後も何回かご相伴にあずかった。
その店で知り合いになった人のなかで、骨董品などの目利きをしているという初老の男性がいた。
たわむれ程度に、恭介はその男性の店を訪ね、地底でスフィンクスを倒した時に得た、石の鑑定をしてもらった。
薄いブルーの石を見せた時、初老の亭主は目を見開き、かたかた震えだした。
「に、にいさん、あんたこれをどこで手に入れた!」
初老の亭主は声がかすれていた。
「これは、パライバトルマリン! この大きさの石は、いまでは手にはいらん!」
パライバとは、ブラジル北東部の角にある州の名前である。
その地域から、かつて採れたブルーのトルマリンは、今ではプレミア価格のものになっているそうだ。
亭主から紹介された、日本でも有数の宝石商からも、破格の値段で譲って欲しいと懇願された恭介は、一部を除いて売ることにしたのだった
。
「えええ! いくらで売ったの? 私に相談してくれれば、絶対、史上最高値で売ったのに!」
瑠香は騒いだ。
「ていうか、それ最初に売ってたら、肉体を酷使しなくても、すぐ百万いったでしょ」
同じ頃。
高校の生徒会室には、侑太をはじめとする面々が集まっていた。
そして、小沼悠斗。
表向きは、五月に行われる生徒会選挙に向けて、一年生のサポートメンバーを集める会合だった。
だが、次の会長とその他の役員は、もう決まっているようなものだった。
顔合わせが済むと、現会長らは「あとは、好きにしていいよ」と、早々に帰っていった。
「ゆうくんが会長でしょ。副は誰? 翼?」
「俺は研究忙しいから」
戸賀崎が里菜に言う。
「俺も練習忙しいぞ」
聞かれる前に、原沢が少しふてくされた声を出す。
「まさかの、小沼っち?」
里菜が上目遣いに悠斗を見ると、侑太が口を開いた。
「まあ、二年の誰かにすりゃあいいだろ。それよりも…」
侑太は、口を少し歪めて笑う。
「外部から来た連中に、狩野学園のことを教えなきゃならないな」
侑太の脳裏に、入学式でたまたま目が合った奴の姿が浮かんでいた。
いやな目付きだった。
媚びるでも畏怖するでもない、興味がある風でもない、フラットな視線の男。
そして
どこかで見たことのあるような外見。
「悠斗くーん、外部生に、ここの厳しさ、教えてあげてよ」
悠斗の内心が表情に浮かんだ。
「嫌とは、言わないよね」
侑太はわざわざ悠斗の肩を抱き、耳元で囁く。
「最近、お母さんの調子、どう?」
侑太を軽く突き飛ばし、悠斗は生徒会室から出ていった。
背後から聞こえる笑い声を、悠斗は聞かないように走った。
学校の新学期はたいてい慌ただしい。
恭介は、徐々に松本と呼ばれることに慣れ、クラスメートとの会話も増えた。
恭介たち、外部から入学した生徒は一つのクラスにまとめられ、内部進学組とはカリキュラムも少し違っている。
体育や芸術系の教科では、数クラス合同になることもあったが、昔の恭介を知っている生徒との接点が今のところ少ないので、気が楽だった。
「ねえ、松本って、何部入るの?」
隣の席の男子が、休み時間に話をふる。名を白井という。
「まだ決めてないよ。白井は?」
「ハードな運動部はやだな。文化部で、可愛い女子の多いとこって知ってる?」
さあ、知らないなと恭介が答える。
その時、教室のドアが開いて、見たことのある顔が入ってきた。
「高等部生徒会でーす」
戸賀崎と原沢だった。
「一年生も生徒会の役員になれますんで、やる気のある人、男女問わず、生徒会室まで来てくださーい」
ひょこっと牧江も顔をのぞかせて、手を振った。
「おいしい紅茶とお菓子、用意してますよ」
「うわっ、やべえ、今のコ、超カワイクね!」
白井がはしゃいで、「部活じゃなく、生徒会にしようかな」などと言っていると、一人の女子が恭介の背後でぼそっと呟いた。
「たしかにね、可愛いよ、見た目だけは…」
恭介と白井が振り向く。
「あ、ごめん、なんでもない」
「えーと、綿貫さん、だっけ、今の人たち、知ってるの?」
俺もまあまあ知ってるけどね、と内心思いながら恭介は聞いた。
「……知ってるのは、ちょこっと顔出した女子だけ。塾とかで一緒だったから」
それきり綿貫は口を閉ざした。
白井も、綿貫の口調で何かを察したのか、生徒会云々は言わなくなった。
その日の放課後、白井に付き合って、恭介もいくつかの部活動見学に回った。
いつもは行かない三階の端に、美術部の部室があった。
「絵を描く可愛い先輩とか、いないかな」
白井が先に、部室に入った。
恭介はぼんやりと、廊下に展示されている絵画を見ていた。
元々、絵画は好きだ。
ただ、幼い頃から、絵を描くことに、父が良い顔をしなかった。
「やらないって言ってるだろ!」
階段あたりから、聞き覚えのある声がした。
まさか!
恭介の鼓動が早くなる。
思わず声の方向に足を進めた。
三階から二階に向かう踊り場で、二人の男子が揉めている風だった。
見下ろす恭介と目があった男子は、あわててその場を離れた。
そこに残っていた男子は、恭介を見上げる。
一瞬、確かに視線は絡んだ。
見えない糸が、放たれたかのように。
「何だよ、お前。何見てんだ」
悠斗!
恭介が最後に会った時よりも、逞しく成長していた。
面影は、昔のまま。
ガキ大将が少しだけ大人っぽくなっていた。
「…いえ、別に」
小さく舌打ちして、悠斗は踵を返した。
恭介が地上に戻って、真っ先に会いたかった悠斗。
それでも、名前と身分を作り替えた今、すぐには声をかけられない。
何よりも
悠斗の全身を包む、負のオーラのようなものが気になった。
ふと思い出す、地底での出来事。
黒猫が言った「ハルトを助けて」とは一体。
春の夕陽は緩やかに沈む。
懐かしく、どこか寂しく。
異世界から戻ったので、とりあえず復讐します 高取和生 @takatori-kazu
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