第6話 力をつける


 同級生らが、中学部の生活を始めた頃。


 恭介は地底での生活を楽しむ余裕が生まれていた。


 地底全体がどのくらい広いのかは、今もってわからなかったが、恭介が主に暮らしているエリアは、小規模な町一つ、といった感じだ。


 メイロンと一緒の食材集めだけでも、一日に十キロやそこら、軽く走っている。


 十キロを駆け抜けて息切れしなくなった恭介に、メイロンは「護身術」だと言って、中国の拳法みたいな動きを教えるようになった。

 教えるといっても、メイロンの繰り出す手足の動きを止めるように、恭介は動くだけである。


「猫のじゃれあいみたいですね」

 スズメには、そう言われていた。


 そのスズメは最近、恭介に織物を教えるようになった。

 地底に生えている草や蔓の繊維を紡ぎ、布を作っていく。

 出来上がった布を器用に縫い合わせ、恭介の服としていた。


「すごいな、スズメ。これも理なの?」

 スズメが作成したポンチョのような服に袖を通してみたら、思いのほか着心地が良かった。


「いいえ、恭介さん、これは理ではなく、生きるための知恵です」


 恭介は学校で教えられた知識は持っていたが、知恵のストックは少なかった。

 経済的には恵まれた環境だったため、自分の力で何かを作り出す経験は、希薄であったからだ。


「キヨスケよ」

「恭介です(このやりとりも、いい加減飽きてきたな)」


 リンもスズメに、ベストのような服を作ってもらっていた。


「知識の集合体が知恵になるわけじゃない。でも知識がないと何の力も生まれん。よって無駄になる知識はないのだ」


 相変わらず偉そうに講釈をたれる。


「お前の知的探検は、どこまで進んだか?」

「昨日は、恐竜時代です。一億年前までですか」


 うんうんと、満足そうにうなずきながら、リンはどこかへ行った。



 泉の水は、地球創生以来の歴史と知識を保存しているかのようだった。


 水面に手をかざし、知りたい項目を念ずると、たちまち空間に映像化される。


 たとえば、昆虫について知りたいと恭介が思う。


 すると、三億年前の大型トンボがいきなり現れてみたり、ファーブルと一緒にアヴィニョンの路上で、フンコロガシの生態を観察してみたり、という体験ができる。


 教育プログラムでは最先端と言われていた狩野学園でも、ここまでの設備は当然ない。


 恭介は自然科学から人文科学、社会科学まで、日々学んでいた。このところのお気に入りは地球の成り立ちである。


 ふと生じた疑問には、リンが胸を張りながら説明してくれる。

 だが、少々くどい。


 そこで、たまに大亀のレイを訪ね、質問をすることにしていた。泉のほとりにいる時に、時折、奇妙な現象が起こるのだ。


 レイはいつも同じ場所にいる。

 恭介が、初めてこの地底で会ったところである。


 首を少し伸ばして、目は閉じている。

 一見しただけでは、巨大亀の石像だ。


 恭介が訪ねると、うっすら目を開ける。

「どうした?」


 レイの頭の傍に座り、恭介は奇妙な現象について聞いてみた。

「俺が泉の側にいると、時々水中から、人間の腕みたいなものが伸びてくるのですが、あれは一体…」


「みたいなものじゃなくて、人間の腕そのものだよ」


 泉の水中から伸びてきた腕は、もがくように指先を動かし、また消えていく。青白っぽい色の腕もあれば、指先が黒ずんでいるのもある。

 いずれにしても、なんとなく気持ち悪いものだった。


「俺みたいに、海で溺れた人の腕か何かですか?」

「いや、それとは違う。あの腕の持ち主は、地上で生きている誰かだ」


 生きている人の体の一部が、地底に現れるということだろうか。

 何故か。


「この地底のことを、お前さんも少しはわかってきただろう。此処は地球の中のもう一つの地球。そして辿り着くには、とても難しいところだ」

「俺はなんだか、あっさり辿り着けましたけど」


「あとから話すが、お前さんは特別だ。古代から地底には、神が住まう場所があり、それは理想郷だと信じられていた」

 その話は、恭介も既に知っていた。


「必ずしも間違いではないが、正確でもない。ここは、膨大な先人たちの知識と知恵の集積所であり、それを管理している場所なのだ」


 超巨大なデータベースですか、と恭介が問うと、「まあ、そんなところだ」とレイは答えた。


「誰にでも、この集積所に意識を運ぶことはできるのだよ。寝ているときならば」


 まれに、覚醒状態でも、この集積場所まで意識を飛ばす者がいる。

 例えば霊能者や呪術者と呼ばれる人たち。


 ただし、混沌と災いや、他者への不幸を求めて意識を飛ばしても、地底は受け付けない。

 受け付けられなかった者たちの執着が、泉から腕の形で現れるそうだ。


「それでも、どんな術を駆使したものか…まあ、やり方はだいたい分かっているのだが…今まで何人か、悪しき者がやってきて、尊い知識を盗んでいった」


 レイが『悪しき者』と名指しした中には、有名な独裁者や、どこかの国の王も含まれていた。


「そして、今から十数年前だったか、強引に集積所ここをこじ開けた者がいたのだよ…」


 レイは遠くを見つめた。


「お前さんは、霊能力や術とは別なのじゃ。とは言え、ここに来たのは偶然ではないぞ」


 では、何の必然が恭介を呼んだのか。


「今日はもう疲れたわい」


 レイは再び目を閉じた。




「キヨスケよ、あまりレイ様に負担をかけるでないぞ」


 泉に戻ると、リンが長い耳の手入れをしていた。

 ちょっと可愛い。


 「はい」と答えて恭介は、レイから聞いたことをかいつまんで話し、疑問に思ったことをリンに尋ねてみた。


「地上から、意識を飛ばすことができるなら、この泉を通して、俺が地上へ思いを届けることってできますか?」


 リンはふん、と息をつき、答えた。

「出来ないこともないな。ただし…」


 それには、いくつかの条件が必要であった。


「天空の星廻り、受け取る側の感受性、そして何よりも」


 リンは恭介の胸を軽くたたく。

「お前の思いの強さ、だ」


 リンは泉の水を自分の掌に乗せる。最初に水で地球を形作ったように、リンの手の上で、水は恭介の姿を成型した。


「このくらいの小技が使えるようになったら、思いが届けられるやもしれんよ」

水を掬って、会いたい人の姿形を作ってみろ、とリンは言った。


 会いたい人、思いを届けたい人は二人。

そして、悠斗。


 天空の星々の動きと、どの星がどう動くと何が起こるか、ということについては、今まで同様、泉での知識をひもとくことで、さほど時間もかからずに、恭介は習得できた。


 だが、水を操るような思念を持つことは、存外難しかった。


 ある日、恭介がいつものように、泉のほとりで水に思いを込めていると、スズメがバサバサと降り立った。


「水遊び、ですか?」


 恭介は笑いながら答える。

「まあ、そんなとこかな。水に形を与えるって、難しいね」


 スズメは小首を傾げる。

 その名の通り、小鳥みたいだ。


「恭介さんは、石をもっていませんでしたか?」

 ああ、悠斗から貰った、プレなんとかの原石か。


 お守り代わりに小さな袋に入れて、いつも首にかけている。


 取り出して「これ?」と聞くと、スズメはコクコク頷いた。

 プレシャスオパールの原石は、薄いオレンジ色に光る。


「それは、プレシャスのようなユラユラ揺れる光だけでなく、炎の色も併せ持つ、稀少な石のようですね」


 スズメはこともなげに言う。

「この石の力を借りれば、出来ますよ」


「えっ? 石のちから?」


「そうです。恭介さんも、陰陽五行の知識は知ってますよね」

木・火・土・金・水もくかどこんすいのことだろうか。


「そうです、地上のあらゆるものは、その五種類の元素からなり、互いに影響を与えて循環する。木は火を生じ、火は土を生じ、土は金を生じ、金は水を生じ、水は木を生じるという…」

「それなら、この石は…」

 恭介は原石を握りしめた。


「原石は鉱物です。すなわち『金』。金は水を生み出すことが出来る」


 恭介は原石を強く握りしめ、悠斗の顔を思い浮かべた。


 瞬間


 石の間から水があふれだし、空中に人の姿を形作った。


「悠斗!」

 水から湧き出た悠斗の顔は、笑っているように見えた。


 こうして、恭介の集中力は跳ね上がった。


 水を操る能力が向上した恭介に、メイロンは言う。


「そろそろ打つことを覚えようぜ」


 メイロンが土の塊を同時に複数投げ、恭介がそれを拳で砕くという練習が始まった。


 最初は恭介の拳が宙を切るだけで、体や顔が泥まみれになった。


 三個投げられて、二個砕ける。

 五個投げられて、四個砕ける。


 十個投げられた土塊を、恭介がすべて砕けるようになった頃のこと。


 黒い腕が無数に、泉の水面から生えてきたのである。


 しかも、腕はすぐには消えず、どんどんと長く伸び、その指先は明確な意思を持って、泉の周囲の木々を掴み、粉砕し始めた。


 泉の水面は荒れ狂い、あたかも河川の氾濫の如く、その縁を乗り越える。


 恭介は泉に向かっている途中で、荒れ狂う水と、そこから伸びるたくさんの黒い腕を見た。

 恭介を認めた一本の腕が、恭介の首に掴みかかる。


 恭介は反射的に振り払うが、さらに何本も腕が伸びて襲ってきた。


 だめだ、かわし切れない!


 恭介の首と顔面が捕まえられた瞬間、青白い光が走る。

 伸びてきた黒い腕は、鮮やかな切口で落とされた。


「大丈夫か、かげっち」

 音もなく現れたメイロンが、人差し指で鼻をこすった。


「めんどくせーが、これ以上荒らされたくねーな」

「手伝いましょうか、メイロン」

 上空からスズメの声がした。


「いらねーよ」


 メイロンはいきなり、スズメより高く飛び上がった。


 地底の上空に轟音が響く。

 突風が吹き、木々の葉がばらばらと散る。


 風と共に、泉をめがけて、金色に光る一体の竜が飛んでくる。


 恭介は息をのむ。


「あれがメイロンの真の姿です」

 恭介をかばうように、スズメが降り立った。


「まあ、あの姿になったメイロンにかなう敵はあまりいませんよ」


 スズメの言った通り、竜の姿となったメイロンは、風をまとい、土砂をふらし、またたくまに黒い腕を一掃した。



 再度突風が吹き、竜は消えた、

 恭介たちのいる場所へ、いつものメイロンが帰ってくる。


「すごい! すごいよ、メイロン。五メートル、いや十メートルの大きさだった!」


 顔を紅潮させた恭介に、メイロンは照れくさそうに頭を掻く。


「メイロンが本気を出したら、六千キロメートルくらいになるぞ」

 いつもの如く、偉そうなリンがやって来た。


 六千キロとは、地球の半径くらいの大きさだ。


「だいぶ荒らされましたね」

 スズメは決壊した泉のほとりを、ちょこちょこと見て回っている。


「ふん…少し急がなくてはならんな」

 リンはひげをこすりながら、何か考えていた。


「キヨスケよ」

「はい」

「お前、今も地上に戻りたいか?」

「そりゃあ、出来ることなら…」


 恭介は地底での生活は嫌いではない。

 スズメやメイロンと一緒に食事をして、好きなだけ知識を得る。

 リンやレイとの会話は、まだまだ難しくて全てを理解できないけれど、なぜかほっとする心持ちになる。


 それだけではない。


 ここに来るまで、あまりやったことのなかった肉体の鍛錬も十分できた。

 結果、反射神経や脚力が桁違いに上昇し、ひ弱だった自分を変えられたのだ。

 思念のコントロールも、コツがつかめてきた。


 それでも、なお…


「俺は地上に戻って、やらなければならないことが、あるような気がするんです」


 恭介は真っすぐにリンを見つめた。


「…強くなったな、キヨスケ。…よかろう」


 リンは少し目を細め、恭介に言った。


「地上に帰るのは、来ることよりも何倍か困難だ。それに耐えられるかどうか、試験を受けてもらおう」


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