第5話 地上で起こっていたこと
『日本の小学生男子、豪州沖で行方不明!』
藤影恭介が海に消えた後、連日、マスコミは大々的に取り上げ、行方不明の小学生が、大企業の社長の一人息子ということが取材に拍車をかけた。
記者会見は、狩野学園で行われた。
藤影創介がマイクに向かって泣顔を作りながら
「息子は、恭介は絶対生きています。私は信じています!」と熱弁すると、視聴者の感情は大いに揺さぶられた。
一緒にフェリーに乗船し、からくも助かった子どもたちは、顔をモザイクで隠しながらも取材に応じ、「藤影くん、戻ってきて」と絶叫。
それらは諸外国にも発信され、オーストラリアの首相は日本の総理大臣に、解決に向けの全面的協力を約束した。
一方で、狩野学園小学部の語学研修のあり方には、次々と批判が生じた。
帯同する教員数が基準より少なかったことや、現地のガイドが必要な資格を持っていなかったことなどが、保護者から糾弾されたのだ。
学園の理事長と小学部の校長は、責任をとって辞任。
藤影恭介の担任は、体調不良で入院加療。その後退職。
新しい理事長に藤影創介が選ばれた頃には、日本は秋を迎えていた。
学園では、誰も恭介の安否を口にしなくなっていた。
たった一人をのぞいて……
――かげっち……早くもどって来い!
小沼悠斗はオパールの原石を握りしめる。
ほんのりと温かさを感じるオレンジの石。
この石から光が消えない限り、恭介は生きている。そう彼は信じた。
そして、この一連の流れに疑問を持った人間が、一人いた。
フリーライターの
島内は、以前週刊誌の記者であったが、ある件で上層部と揉めて退職。
現役記者の時代は、その風貌と相まって、「
――この小学生の行方不明は、単なる事故のなのか
島内は、己の勘を信じて、取材を開始した。
そして地上では一年が過ぎる。
北風が吹いていた。
恭介の母である亜由美は、ぼんやりとベッドに腰かけていた。
傍らには、藤影家の使用人が二十四時間待機している。
最愛の息子が外国で行方知れずと聞かされた亜由美は、発狂したかのように取り乱した。
されど、亜由美は自宅から出ることができない。
涙は出ても、声にならない。
医師の診断では、自律神経失調症による、ある種の構音障害。
発声に必要な筋力が、著しく低下していた。
亜由美の部屋のドアが開く。
亜由美の夫、創介が北風をまとってやってきた。
「はずせ」
創介は、待機している使用人に命じた。使用人が下がると、淡々と彼は語った。
「恭介がいなくなって、もうすぐ一年だ。海難事故の場合は、行方不明のまま一年たてば、特別に失踪宣告の手続きができる」
――失踪、宣告……?
「要するに、恭介の死亡が確定する」
亜由美の大きな瞳が、さらに見開かれた。
――なぜ夫は、こうも冷ややかに話すのだろう。息子のことなのに!
創介は、亜由美の感情など無頓着に話し続ける。
「恭介の死亡届と同時に、分家の新堂のところの侑太君と、正式に養子縁組をすることにした。跡取りは必要だからな」
創介は薄く笑いながら言い放つ。
「少なくとも、侑太君は俺の血縁、俺の血を引いている。頭の出来も恭介より良いぞ」
亜由美の血の気が引いていく。
――ああ、まだそんなことを。恭介は、恭介は、あなたの!
涙があふれだした亜由美の姿を、気にすることなく、創介は出ていった。
亜由美は、うまく力が入らない指を重ね、ただただ祈りをささげた。
少女の頃、よくそうしていたように。
新堂侑太は藤影の姓を名乗ることになり、笑いが止まらなかった。
昔 から嫌いだった恭介を無事に葬ることができ、テレビ局のカメラの前で号泣してから、学校の連中も何かと優しくしてくれるようになった。
創介からの期待を肌で感じ、学校の勉強はもとより、将来の社長候補として、経済学や国際情勢も学ぶようになった。
明日からは中学部だ。
「ゆうくんは、何部に入るの?」
牧江果菜が侑太のベッドで横になっていた。
「俺は部活はやらない。生徒会に入るから」
創介からは、跡取りになるのなら、中学一つくらい手中に治めろと、檄を飛ばされていた。
「そっか。あたしはどうしよっかな、ダンス部かな」
果菜は侑太の手を取り、
「とりあえず、しようよ」
とベッドに引きずり込んだ。
侑太に懸念があるとすれば。
小沼悠斗の存在だけだ。
戸賀崎翼は、藤影製薬グループの一つ、トガサキヘルスコンシューマの研究室に入り浸り、動物実験に励んでいた。
原沢廉也は、文部科学省の外郭団体から身体能力を認められ、トップアスリートになるためのトレーニングに毎日参加していた。
そして小沼悠斗は、ひっそりと恭介の墓参りを続けていた。
悠斗は、恭介の死を信じていなかった。
信じたくなかった。
都度、頭をよぎる事故への疑問。
なぜ恭介だけが水没したのか。
なぜ他のメンバーは、すぐに救出されたのか。
あんなに恭介をないがしろにしていた新堂侑太が、恭介のために泣いたのか。
なぜ俺は、
恭介を助けてやれなかったのか!
墓参を済ませて霊園を出たところで、悠斗は声をかけられた。
振り向くと見知らぬ男性がいた。中年と思われるが、ひきしまった体躯の男性。
「君は、藤影恭介くんのお友達?」
私はこういう者だと、名刺を渡された。そこには、島内仁という名前と、携帯番号だけ記されていた。
藤影恭介が行方不明になり、死亡宣告を受け、彼の同級生らが中学部に進学してから、狩野学園中学部は、有力な四人の生徒によって支配されるようになった。
筆頭は、生徒会長の藤影侑太。
入学と同時に藤影の姓を名乗り、一年生の秋には会長に選出された。
養父、藤影創介が、学園の理事長という七光りもあったが、本人のカリスマ性もたいしたもので、彼の演説には、生徒のみならず、時として教師ですら心酔した。
侑太の片腕と言われるナンバーツーは、戸賀崎翼。
侑太ほど、弁がたつタイプではないが、緻密な計画性と計算力で、生徒会の運営を支えている。
戸賀崎は二年生のときに、全国科学コンクールで最優秀賞を受賞した。
中学生での受賞は快挙であり、天才少年と評された。
原沢廉也は、陸上の中・短距離で、中学の記録をすべて塗りかえただけでなく、ジュニアオリンピックで堂々の金メダル。
生徒会では風紀委員長として睨みをきかせていた。
牧江里菜は、その美貌に一層磨きがかかり、しばしば読者モデルをつとめている。
最近では、コスプレイヤー・りなリンとしても有名になってきた。
生徒会の催し物では、司会をかって出ている。
彼らはいつしか「狩野の四天王」と呼ばれていた。
ただし、それは表向きの呼び名である。
「四天王とはまた、だいぶ古めかしい呼び方だな」
新堂悠斗は、フリーライター島内の事務所にいた。
事務所といっても、雑居ビルの狭い一室である。小さなテーブルの上にノートパソコン一つ。パイプ椅子二脚だけの殺風景な空間である。
悠斗はここ一年以上、島内と恭介の事故について情報交換をしていた。
「陰では、『四人の悪魔』とか言われてます」
実際、侑太を頂点として、スクールカーストを固定化。四人とその取り巻きたちは、肩で風を切って校内を闊歩し、成績が劣るものや運動能力にかけるもの、見た目が地味なものを嘲り、イジリ倒し、どんどん日陰に追いやっていく。
もちろん、苦々しく思っている生徒も少なからず存在する。
面と向かって抗議した生徒や保護者もいた。
しかし……
「藤影恭介君の事故について、調べていくと、必ず壁にぶちあたる」
調査を始めて半年たった頃、島内がため息をついた。
似たようなことが、狩野学園の内部でも起こっている。
四人に逆らった生徒や、苦言を呈した教員が、いつの間にかいなくなる。
その行先を知ろうとしても、濃い霧に包まれたように、追跡できなくなるのだ。
「君は大丈夫なのか? 悠斗君」
悠斗の口元のカットバンを見たのか、島内が心配そうに聞く。
「昨日、原沢に殴られました」
悠斗は軽く笑って答えた。ワイシャツのボタンを一つはずしていたら、原沢に呼び止められ、問答無用に殴られた。
空手の有段者である悠斗が、殴り返せないことを知っている原沢は、しばしば悠斗に手を出してきていた。
「無理はしないでくれ、決して」
島内の声は、悠斗の父の声に似ている。父が生きていれば、島内と同じくらいの年齢になっているだろうか。
本音を言えば、悠斗も今の学園中学部を辞めて、公立に転校したい。
ただ、いつか絶対、恭介が帰って来た日に、狩野学園で出迎えたいという思いが捨てきれない。
もしも自分がその思いを捨てたら、恭介の死を受け入れたことになる。それが怖い。
「ところで今日君を呼んだのは、事故の背景につながるかもしれない、証拠を一つみつけたからだ」
それは、恭介にかけられた生命保険のことだった。
日本の生命保険は、年齢によって上限額が決められている。
通常、十五歳未満の死亡保険額は一千万が上限であるが、藤影恭介に対しては、死亡時確定時、一億円以上が支払われているらしい。
海外の語学研修参加が特別に考慮されたことと、保護者の高い収入や借財状況により、破格の契約が成立したのだという。
島内は、保険調査員の知り合いから、漏れ伝わる業界の噂として聞き出した。ただし、当時の保険会社は、恭介の保険金支払いが済んだ頃、海外の大手同業に吸収されたため、詳細をたどることが困難になっている。
「一人だけ、その時の保険会社の関係者を見つけたよ。明日、会う予定だ」
俺も会ってみたいという悠斗を、島内は押しとどめた。
「金がらみの話だ。君には早い」
ところで、と島内は言う。
恭介の保険契約は、語学研修の一年前だったことは分かっている。恭介や悠斗が十歳の頃、藤影の家に、何かあったのだろうか。
「俺も詳しくは知らないです。ただ…」
恭介が喜怒哀楽の感情を、まったくといって良いほど見せなくなったのも、たしか同じ頃だったと、悠斗は記憶していた。
悠斗は、夕方の六時過ぎに島内の事務所を出た。悠斗の母は、女手一人で悠斗を育てている。夕食を作るのは彼の役目だった。
悠斗のスマホが震えた。
悠斗の母が、勤務先で倒れたという連絡だった。
島内は、藤影グループの汚点とも言って良い事故についても、ひそかに調べ続けていた。
背景には、島内個人の問題があるため、中学生の悠斗には言っていない。
悠斗を見るたびに、せめて君だけは、真っすぐ歩いていって欲しいと、心中深く思う。
悠斗くらいの年には、あいつも、輝く瞳で、将来の夢を語っていた。
最後に会った時には、やつれ果て、人間の思考も奪われて、ただただ吠えていた。
島内の、たった一人の弟。
そして、藤影薬品創薬研究部の主任研究員だった男。
いまわの際にあいつは叫んだ。
「悪魔の薬!」
藤影創介の息子が外国で水難事故と聞き、島内が真っ先に感じたのは「謀殺」だった。
悠斗の母が倒れてから一週間後、地方紙の片隅に、こんな記事が流れた。
「自称フリーライター島内仁(四十六)、青少年保護育成条例違反により、逮捕」
冤罪を主張するも、島内の訴えは認められず、十日間拘留の上、罰金刑にて釈放。
釈放後、島内は悠斗に連絡を取ろうとしたが、電話もメールもSNSもまったく通じなくなっていた。
いくたびか廻った、季節は春を迎えようとしていた。
まもなく、恭介の同級生たちは高等部に入学する。
四天王といわれた侑太や戸賀崎たちの輪に、その少し前から、悠斗が加わっていた。
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