第3話 絶望の始まり 3




なすすべもなく、恭介は溺れていく。



なんで

なんでこんなことに…


じたばた動いたおかげで、手足の縄は少し解けたが、泳ぎはもともと得意でない。


さらに、海に放り出される前に、体に重りを付けられた。

古いタオルの間に、濡れた砂をビニール袋に入れて包み、恭介の腹に何重にも巻かれた。


「このタオルは、日本からお前に運んでもらったものだよ」

意地悪く笑った侑太。


「この辺は、あんまり出ないけどな。サメ寄せだ」

ナイフを太ももに刺した戸賀崎。


「最後に良いもの見せてあげる」

胸を露出し、笑った果菜。


黙って腹を殴り、海面に突き落とした原沢。



何よりも



―藤影社長のたってのご意向です―


仙波の一言が重かった。


そんなに、僕が嫌いだったんですか、父さん!


狩野学園の幼稚部に通うようになってから、父、創介の躾はどんどん厳しくなった。


叱責というようよりは、罵声と怒号。


創介の意に添わない行為行動は、すべからく否定。


自分だけが我慢するならまだしも、罵声は母にも向けられた。

恭介の成長とともに、母は体調を崩していった。



ああ、せめて

母さんに会いたかったな

せめて

悠斗にも



暗い海に落ちて行きながら、恭介は母の面影を浮かべた。

悠斗と一緒に遊んだ日々を思い出した。



吐き出す息もなくなっていく。

思考はとりとめもなく、ぐるぐる廻る。



こんなところで

死ぬのか、僕は…



「生きろ!」


誰かの声がした。



生きる? 

父に疎まれ

同級生に排除され

海中で息も絶え絶えで


それでも


生きろと言うのか!



どうやって

何のために


恭介のウエストポーチから、一筋の光が放たれた。


その光に呼応するかのように、海中の潮の流れが急に変わる。


流れは一つの方向を目指して、恭介の身体を運ぶ。


そして、海中に散在する岩の隙間に、少年を抱えた激流が、なだれこんだ。



おーい

おーい


遠くから声がする。


おーい、恭介…


少し掠れた男性の声。


昔、ずっと昔に聞いた声。


そうか、祖父の声。


―すまんな、恭介。あんなのでもお前の親父、俺の息子―


大きな手で、頭を撫でて祖父は言う。


父と違って、いつも祖父は優しかった。


―あいつを、許してやってくれ―



許す?

息子をためらわずに排除するような

そんな男を?


いくらおじいさんの頼みでも、そんなの無理だよ。許せないよ!



「許さない!」


叫んだ自分の声で、恭介は覚醒した。


堅い岩盤に、横たわっていた。


僕はどうなった…


どこだ、ここは

僕は、死んだのか…




恭介は身体を起こした。


薄暗い場所だが、周囲を見渡すと、細く続く通路が見える。


よろよろと立ち上がると、太ももに痛みが走る。


濡れたままの衣服と、ウエストポーチ。


海に落とされたのは、夢ではなかったのだ。


痛みを感じるのは


生きているあかしか。



細い通路を一歩ずつ、恭介は歩き始めた。


濡れたままの靴から出る、湿った音だけが響いた。


投げ出された海の近辺の、洞窟か何かだろうか。


進む方向にぼんやりとあかりが見える。


とにかく咽喉が乾いていた。


狭く暗い空間は、時間の感覚が乏しい。


どのくらい歩いたのか恭介にはわからなかったが、ぼんやりとしたあかりは、徐々に大きくなった。


月だろうか。


そういえば、今日はスーパームーンとか言っていた。


琥珀色の、円形の光。


形と大きさを恭介がとらえた瞬間、光源がぐりっと動いた。


本能的に恭介は後ろに下がる。

月かとも思えたその光は、眼球が発するものだった。


わぁっと恭介は尻もちをつく。


それまでは逆光でわからなかったが、そこに巨大な生き物が存在していた。


オーストラリアには、ワニやオオトカゲが生息していることを思い出したのだ。

巨大な眼球は爬虫類のそれに似ていた。



逃げようとしても、恭介の足は動かなかった。


眼球が恭介に近づく。


胴体から首がぬっと伸びたように見えた。


そこにいたのは、想像を超える大きさの亀だった。






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