第20話「小さなイノチ」


「案外、近かったね」


「途中から、ボクが引っ張ったからね」


 海の中を移動する事、約20分。


 二人はアクアが聞こえたという、“イノチの音”の発信源に到着する。


 たどり着いたのは、海底洞窟。


 岩盤が崩れるなどの、様々な要因で出来上がる、それほど珍しくない地形である。


「この上には、新しい地上があるんだ」


 ガイヤが上を見上げる。


 洞窟の周りは断崖絶壁。その高さは地上まで続いている。


 おそらく、空からでも、ここには来れただろう。


「こんなことなら、フレイやシルフも連れて来れば良かった」


 口にしたところで後の祭り。


 実際、空からここを見つけることが出来なかったのだから、仕方のない話である。


「ここからは、自分の足で歩いてね」


 途中までアクアに引っ張られる形で、ここまでたどり着いたが、それもここまで。


 アクアはガイヤの手を放す。


 二人きりの海底洞窟散策、開始である。


「広いね……」


「うん。」


 洞窟の規模は、幅十数メートル。


 小柄な二人なら、横に並んで歩いても、十分余裕があるほどに広い。


 もっとも、洞窟なので、この広い空間がいつまで続いているのかはさっぱり不明だが……。


「あれ?」


 歩き始めて、十分ほど。突然、海の水が引いてきて、完全な空洞状態の部屋が出てきた。


「海が、ここまで入ってこないんだ」


 海の中にあるのに、水が入ってこない不思議な空間。


 どういう原理なのか、すぐに理解することは不可能だったが、ガイヤとアクアには、まるで、何かを海水から守るような、そんな不思議な意思を感じることができた。


「……って、水から出ると、さらに身体が重い」


 そんな不思議な空間に足を踏み入れた途端、ガイヤは自らの身体の重みに、思わず肩膝をつく。


 海の中は、まだ浮力があった。


 だが、それすらなくなると、今の今まで、体中にしみこんだ海水がどっしりと身体に襲い掛かってきたのだ


 海底洞窟というだけあって、湿気も強い。


 乾くまで待つ……というのも絶望的だろう。 


「ガイヤ!これ見て!!」


 そんなガイヤの様子をよそに、アクアは空洞の中を、ぴょんぴょん跳ね回る。


 今のところ一方通行なので、迷うことはないだろうが、先に何が待ち構えてるのか分からない以上、単独行動を許すわけにはいかない。


「どうしたの?」


 アクアに呼ばれて、重い体を引きずり空洞の奥に入っていく。


 今さらだが、ガイヤはどこからか光が差し込んでいることに、気が付いた。


 どうやら、地上の何処かと、ここは繋がっているようだ。


「これだよ!ガイヤ!」


 アクアが指さす方向に目を向けるガイヤ。


 そこにあったのは、無数にある、何とも形容しがたい形をした、糸の塊


「うそ……でしょ……??」


 ガイヤは自らの目を疑った。


 あるはずがない。


 真っ先にそんな思考が頭をめぐる。


 しかし、それは実際に目の前にあったのだ。目をこすっても、瞬きを繰り返しても、その目の前の物体は消えることがない。


「どうしたの、ガイヤ?」


「さなぎ……だ……」


 この世界にイノチある生物は存在しない。


 それが、今までの定説だった。


 実際にガイヤもアクアも、シルフィードと出会うまでは、まともにイノチある生物を見たことがなかった。


 しかし、目の前にあるさなぎは、まぎれもなく、正真正銘の『イノチある生物』である。


「さなぎ??」


 なにそれ?と首をかしげてくるアクア。


「『虫』だよ。イノチだよ!!生きてるんだよ!!」


 興奮気味のガイヤの声。


 あまりの勢いにガイヤは、思わず耳をふさぐ。


「うるさいよガイヤ。でも、これ動かないよ」


「さなぎは、そういう生き物なんだよ!!でも、しばらくしたら、動くようになるよ!」


「そうなの?」


 口にしながら、さなぎに手を伸ばそうとするアクア。


 ガイヤはそれを慌てて抑える。


「触っちゃダメ!!さなぎはデリケートな生き物なの!」


 本で読んだ知識である。


 タイトルは『昆虫の育て方』


「だから、うるさいよガイヤ。そんな大声で叫ばなくても、一言注意してくれれば、触らないよ」


 アクアは手を引っ込めて、目の前のさなぎを注視する。


 数にすると6匹だろうか?


 きれいに整列するように、洞窟の壁によりかかるように、動かないでじっとしている。


「シルフィードや、木とは違った形なんだね?」


「イノチは、本当にいろんな形があるから……でも、すごい奇麗……」


「うん」


 二人は、じっとさなぎを見つめる。


 どれぐらい、そうしていただろうか?


 大した時間ではなかったと思う。


 突然、一番右端にあったさなぎが動き始めたのだ。


「え?どうしたの??」


 予想外の出来事に、慌てだす幼い精霊二人。


「アクア、何かした?」


「なにも?ガイヤこそ何したの?」


「何もしてないよ」


 さなぎの動きは止まらない。


 背中がぱっくり割れたかと思うと、そこから、真っ白なしっぽが見えてくる


「う、羽化だ!?」


 ガイヤの目が丸くなる。


 昆虫の飼い方に書いてあった内容。


「羽化?」


「さなぎは、羽化して成虫になるの。姿が変わるの!!」


 それは、生命の神秘の中でも、最も不思議と言っても過言ではない現象。


 虫は、幼虫からさなぎという段階を経て姿形、それこそ体の構造すらもまったく違う成虫へと変化する。


 ガイヤも知識として知っているが、本物を見るのは当然初めてである。


「凄い……何これ……」


 それは、言葉を発する事すら躊躇われるほどに、神秘的な光景だった。


 右端にあった、さなぎにつられるように、次々と他のさなぎも、羽化を始める。


 背中がぱっくり割れて、そこから元の姿とは似ても似つかない全く違う生命体が、現れる。


 さなぎから這い出た成虫は、しぼんだ羽をゆっくりゆっくりと時間をかけて広げていく。


 真っ白な蝶々。


 幻ではない、夢でもない。


 だが、ここにはいない、シルフやフレイ。それに、先輩たちや師匠に話しても、絶対に信じてもらえないような光景が目の前に広がっている。


 どんな原理なのか?何をどうやったら、こんなことができるのか?


 いくら考えても分からない。


「これが、イノチの力……」


「凄すぎる……」 


 アクアもガイヤも開いた口がふさがらない。


 蝶々の羽化にかかる時間は、小一時間。


 しかし、二人にしてみると本当に一瞬の出来事だった。


 いつまでも見ていたい、永遠にこの感動を味わっていたい。


 どれだけ二人がそう望んでも、羽化の終わった6匹の蝶々は二人を無視して洞窟の奥に飛び去って行く。


「行ってみよう!」


 アクアの提案。


「うん!」


 ガイヤにしても、水を吸って体が重いとか、そんなこと言ってる場合ではなかった。


 洞窟の奥へと飛び去っていく真っ白な蝶々を二人は全力で追いかける。


「シルフが欲しい」


 口にしたところで、いないものをねだっても仕方ない。


 空をとぶ蝶々を追いかけるのは、二人とって至難の業だったが、絶対にあきらめなかった。


 洞窟の奥の奥、多数の分かれ道をたどって、水と土はそこにたどり着く。


「なんだ……これ??」


 そこは洞窟の天井に無数の穴が開いていて、太陽の強い光と熱が差し込んでくる広い空間。しかし地面はぬかるんでいて、空間全体が強い湿気に覆われている。


 洞窟内は、比較的涼しいものなのだが、この部屋だけは太陽光が直接注ぎ込んでくるおかげで、熱気もある。


 そんな、熱気と湿気が強い、言ってしまえば天然サウナような部屋。  


 その中のごく一部に、洞窟の壁が緑色に変色している部分をガイヤたちは見つけた。


 蝶々はそこに止まる。


 よく見ると蝶々だけではない。


 その緑に変色した部分には、色んな虫が集まってきている。


「コケだ……」


「コケ?」


「建物の壁に生える植物って本に書いてあった」


「えっと……つまり??」


「この前、師匠が作った『木』の仲間が、あの緑色なの」


「あれが?全然、色も形も違うけど??」


「でも、仲間らしいよ。」


「……信じられない」


「それは、私も思うけど、あの蝶々が食べてるってことは、あの緑色もイノチなんだよ。きっと……」


「あれも……イノチ……」


 羽化の時もそうだったが、まったく信じられない光景が目の前に広がっている。


 イノチがないと言われていた世界。


 なのに、ガイヤたちが見ているのは、コケを美味しそうに食べる虫たちの姿。            

 それは紛れもない、命の営み。生命の神秘


 なぜ、ここだけにこんなにもイノチがあるのか?


 どうして、この空間だけが、イノチを失わずに残ることできたのか?


 それとも、ガイヤたち精霊の他に、この空間で先にイノチの作成に成功した者がいたのか?


 考えなければいけないこと、調べなければいけないことは無数にあるが、今はただ、この神秘的な光景を、いつまでも眺めていたい。


 それほどに、コケに群がる虫たちの競演は美しいものだった。


「あのコケは食べてもなくならないんだね?」


 言われてガイヤは気が付く。


「そういえば、この前作った木の実は、シルフィードが食べたら、消えてなくなったのに……」


 先日、シルフィードのために師匠が生み出し、アクアとガイヤで必死に育てた『イノチの木』


 しかし、イノチの木はシルフィードが、実を食べてしまったら、枯れて消えてしまった。


 イノチは食べたら、消えてなくなる。


 本でもそのように書いてあったので、ガイヤはその現象に何の疑問も抱くことはなかったが、まるで、その書き手を無視するように、コケはいくら虫たちが食べても、消えてなくなることない。


 無論、実際は虫たちが食べたコケはなくなっている。


 ただ、虫の食べるコケの量など、ガイヤやアクアの目には見えないほどの微細というだけの話である。


 事実、ここに生えているコケの成長速度は、集まってくる虫の総数を上回っているため、下手に手を付けない限り、しばらくは安泰だろう。


「……ボクたちも、一口食べちゃダメかな?」


 その想像もしなかった提案に、土の精霊は目をまん丸くして、幼き水の方に顔を向ける。


「えぇ?そんなことしていいの??」


 精霊は、イノチを食べる必要性は一切ない。


 つまり、目の前の大事な虫たちの食料を横取りする理由は一切ない。


 ガイヤの目線から言わせてもらうと、それは、完全に略奪というべき行為である。


 それでも、真っ向から否定しなかったのは、彼女もその提案に好奇心を抱いたからだ。


「あのコケっていう名前のイノチは、たくさんあるみたいだし、ちょっとだけ、一口だけなら…ね?」


「ちょ、ちょっとだけだよ。あと、あの虫たちの後ね。順番は守らないと」


 ガイヤの目線が泳ぐ。


 悪いことだとは思う。


 悪いことだとは思うのだが、その好奇心に逆らえないのだ。


「分かってるよ。そんな意地悪しません」


 バカにしないでと、口をとがらせるアクア。


 イノチを食べる。


 それは、イノチある生命体だけが許される行為であって、イノチのない精霊に与えられた力ではない。


 なのに、その真似事をするというのは、彼らにとって、とても背徳的な行為に思えた。


 二人は、じっとコケを食べる虫たちを眺める。


 虫が食べ終わったら、そこにちょっとお邪魔するつもりなのだ。


「でも、奇麗だね……。」


「うん……」


 だが、それとは別にコケに群がる虫たちのイノチの競演は、とても美しいものだった。


 いつまでも見ていたい。


 でも、早く食べ終わって、自分たちに順番を譲ってほしい。


 そんな葛藤が二人の間にグルグル回る。


 だからだろうか。


 ガイヤもアクアも、いつの間にか、この周辺に霧が漂っていたことに、気づくことはなかった……………。



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