第19話「泳ぐ土」
時を少しさかのぼる。
半ば強制的に海に連れいていかれたガイヤと、意気揚々と海の中を泳ぎ回るアクアのコンビである。
「体が……重い……」
ガイヤはひたすらに、重い体を引きずって、海底を歩いていた。
体が土で出来ているガイヤは、当然泳げない。
海での移動手段は歩きになるのだが、体中に水が沁み込んできて、一歩一歩がとても重いものになっていた。
「ガイヤ、何してるの?そんなペースじゃ、日が暮れちゃうよ」
一方、水の属性を持つアクアは、自分のフィールドというだけあって、地上にいる時以上に、俊敏で華麗、そして鮮やかに海を楽しんでいる。
先程から、上下左右、自由自在にかれこれ数十分、ガイヤの前で海中遊泳を披露していた。
水人属アクアのエネルギーは『水』
海中で、どんな動きをしようが、どんな無茶をしようが、絶対にエネルギー切れを起こす心配はない。
つまり、ガイヤにとっては、ただの目障りでしかないアクアの海中遊泳は、海の中にいる以上、永遠に続くのだ。
「あぁ、くそ、殴りたい……」
目の前の目障りな水色を見て、思わず口にもれる。
本来、海中では空気を介する会話は不可能なはずなのだが、精霊達の声は音波ではない。
万が一彼らの存在を“ヒト”が目にすることができたのなら、一切無言のままお互いに笑いあい、ケンカし、涙する“ヒトに近いが、絶対にヒトではない何か”を見ることになるだろう。
「ねぇ、ガイヤ。“ヒト”って海の中も自由に行き来したってホント?」
海中遊泳に飽きてきたのか、アクアはふらりとガイヤの横に足を付ける。
「どこから聞いたの?それ?」
「先輩たちが話してた」
「あっそ。でも、どちらかと言えば、海の中は“ヒト”よりも“魚”の住処かな?」
生物図鑑は、司書室の中にある本の中でも、とりわけ大きな部類の本。
何より、ガイヤが一番好きな本でもある。
もうこの世界には存在しない、数多くの『生物』が多彩なイラストや写真付きで載っている本は、何度読んでも飽きることがない。
当然、魚が海の生物だというのも、その本を見れば一目瞭然である。
「さかな??」
「海の中にいた『イノチ』だよ。食べられたらしいよ。」
ガイヤは指を立てて、自慢げに隣のアクアに説明するが、そもそも『イノチ』はすべからず、“食べることができる”。
それは当然“ヒト”も変わらない
「へぇ~そうなんだ。見てみたいなー」
口にして、また海中遊泳に戻るアクア。
生物のいない世界。
海の中も殺風景である。
魚はおろか、貝もヒトデも、小さな甲殻類さえ見当たらない。
ただひたすらに広がる、大量の水と砂。静かで物音一つしない無音の蒼の世界。
大昔の海の姿を写真で見たことあるガイヤからしたら、この海底は、あまりに空虚な世界である。
イノチが生まれるには、あまりに静か……。
いや、これだけ静かだからこそ、イノチはここから生まれたのかもしれない。
ガイヤは、海面を見上げて、そんなことを考える。
「『pumice』」
ふと思いつき、土の少女は下半身だけを軽石に変えた。
水に浮く、気泡を含んだ石。
水に浮く鉱石はいくつかあるが、その中でも一番単純なものを選んだ。
「えっと……確か足を交互に動かすんだっけ?」
少しだけ足を浮かして上下に動かす。バタ足の要領だ。
「おぉ、浮くな。動くぞ。あとは手を前に……」
手を前にして左右交互に、グルグル回す。
本人は、クロールのつもりだったかもしれないが、その姿は、あまりにいびつな動きだった。
「おぉ、進む進む。これが『泳ぐ』ってやつか?」
それでも、ガイヤはまともに進むことに、感動の笑みをこぼす。
「何ガイヤ?それ??」
それに興味を覚えたのか、近寄ってくるアクア。
「『泳ぐ』ってやつ。ヒトが水の中でやっていたらしいんだけど……中々に難しいよ」
「へぇ~でも、ガイヤ、それだと効率が悪いよ。もっとこう、水の力を利用した動きがあると思うんだ」
ガイヤの動きを真横から眺めて、渋い顔をするアクア。
もちろん、彼に水泳の経験があるわけではない。
だが、水のことに関して、彼に勝るものはいないのも確かなのだ。
「ヒトがやっていたことだからね。魚のようにはいかないの。ヒトは地上の生き物だから」
「そうじゃなくて……難しいなぁ~。ガイヤのやり方より、もっと上手に進む方法があると思うんだけどな。」
アクアは頭をかきむしる。
彼にとって、いびつなガイヤの水泳フォームは気に入らないのだ。
だが、水泳経験がないアクアに、正しいフォームを教えることは不可能である。
ガイヤのフォームが間違っていることは分かる、だが、間違っているからと言って、どこをどう正せばいいのか分からないのだ。
「決めた。ガイヤ、ボクも本を読むよ」
「え?どうしたの突然?」
「そのやり方、本で知ったのでしょ?」
「そうだけど?」
「間違ってる!その本、絶対に間違ってるよ。ボクが正しいやり方を見つける」
アクアの中に、謎の決意が生まれた瞬間であった。
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