第56話 積み重なる物証

 文化祭が終わり、11月。季節は秋へと移ろおうとしていた。那由他ちゃんと始めた交換日記はもちろん続いており、そろそろ二か月少々。交換日記張はダイヤル鍵がついた小さめのもので、全体的に可愛い動物がいるメルヘンチックな可愛いものだ。元々交換日記用なので、中身もただの罫線ではなく、今日あったこと、ハッピーだったこと、思ったこと、疑問、何て風に枠がいくつかあって書くことに困らないようになっている。

 そうは言っても、普段から日記を書かない私は最初は戸惑っていたけど、今ではすらすら書ける。那由他ちゃんへのラブレター染みている気もしないでもないけど、鍵付きなのでいいことにする。一応、他の人に見られてまずいことは書かないようにしようね、とは私から言っていたけど、見られたら恥ずかしさで死ねる感じだ。


「あの、どう、ですか?」


 那由他ちゃんは本日私の部屋に来て交換日記を出すなり、今日は今読んですぐ返事が欲しいです。と言ってきた。そのちょっと怖いくらいの真剣な雰囲気と顔に、私はこわごわ日記帳を受け取ったのだけど。なんだこれは。


 この間、千鶴さんが私の心臓に触れた時のことが頭から消えません。とか、自分で触ってみてもよくわからないけど、千鶴さんに触ってもらった時を思い出すとなんだか体が熱くておかしな感じなんです。とか、胸、と書いてないけどわかるしこれはやばい。と言う内容が書かれていた。

 しかも最終的には、でもどうせ千鶴さんは駄目って言うだろうからと我慢していたけど、夢の中でまた触ってもらって、起きた時もドキドキして、でもやっぱりよくわからなくてもやもやするので、もっとちゃんと教えてほしいです。とおねだりされていた。


「あ、あのね、読まれてまずいことは書かないようにしようって言ったよね?」

「えっと、いつもと同じくらいにしたつもりなんですけど、駄目でしたか?」

「……うん、ちょっとね」


 まあ、すでにノートにはちゅーしてくれてありがとうだの気持ちよかっただのは書かれているわけですが。でもほら、ちゅーは挨拶のちゅーと言い訳が効くからね? 効くよね? もしかして私、物証をつみあげている? よし。考えないことにしよう。


「うん、もうちょっとぼかしてほしいかな。それはともかく、この内容に関してですけど、はい。あのね、これからは唇へのキスもね、自重していこうって言う流れでしてね。教えてほしいって言う勉強熱心な那由他ちゃんの態度には感服いたしますが、大人になるまで待ってほしいなって」

「……大人って、いつですか? 中学生になったらですか?」

「いやさすがに。大学生になったら、かな」

「遠すぎます。そんなに、待てません。だって……苦しいんですもん」


 胸元を自分で握りしめるようにして、顎を引いて瀬恒げに上目遣いに私を見る那由他ちゃん。ぎゅっと、私の心臓がつかまれているようにすら感じられる。

 私も苦しいよ……。すごく、辛い。でも、仕方ないことだ。


 そもそも、先日の件だって、あの時はしてしまって、興奮して気持ちよかったし最高だった。だけどやっぱり、後からものすごく罪悪感に見舞われた。

 その前におばさんに清い付き合いだなんて言ったのだって、たくさん言い訳していたけど、嘘をついたことには変わらないのだ。さらにその上、舌の根も乾かないうちに、その舌を那由他ちゃんにいれちゃうなんて。

 どう考えても、どう考えてもダウト! とんでもない裏切りだ。世界一大事で大切にしたい那由他ちゃんなのに、その保護者に対して不誠実が過ぎる。ばれなければいいなんてのは嘘つきの理屈だ。那由他ちゃんが望んだとか、小学生の恋人に責任を押し付けるなんて無責任どころじゃない。


 那由他ちゃんは私の恋人で、対等な存在だ。どっちが上とかはない。ないけど、それはそれとして那由他ちゃんの年齢は誤魔化しようがないのだから、どちらに責任があるかと言うと、それは私だろう。だからこそ、ちゃんとしなきゃいけなかった。毅然とした態度をとらなければならない。

 なのに私ときたら、浅ましい言い訳を重ねては、少しずつ那由他ちゃんに手を出してきてしまった。自分がこんなにも卑しく、いやらしいことばかり考えて、性的快楽に弱くて、無節操で優柔不断になって何度自分に誓いをたてても破ってしまう。そんなどうしようもない人間だったなんて。

 自分でも、そんな自分にがっかりしてしまう。


「……那由他ちゃん、私はね、人って正直であるべきだと思うんだよね。たとえそれで馬鹿を見たって、誰かを騙して心苦しくて後悔してしまうくらいなら、ちょっとくらい損をしたって正直で正しい道を選ぶべきなんだよ。少なくとも誰かを傷つけるとか、犯罪とか、そんなのは絶対にするべきじゃないし、考えることだって駄目だと思うんだよ」

「それは……それは、間違ってはないと、思います。少なくとも、私は、千鶴さんの優しいところも、正直なところも好きです」

「……」


 好きです、と言われて、ありがとう。と喜びの言葉を返すには那由他ちゃんの表情は暗すぎた。嘘をつくべきではないから、今からでも、手遅れでも、誠実になれるよう努力をするべきだ。だから私は那由他ちゃんがどんなに言ったって、大人になるまで待ってと言うべきなのだ。

 黙ってノートを机に置いて視線を逸らす私に、那由他ちゃんはぐっと身を乗り出して膝に置いた手に手を重ねてきた。


「でも、それでも、その全部、破ってほしいです。私のことを一番に優先して、私以外には嘘だってついて、そうなったって、いいじゃないですか。私も、嘘を上手になりますから。他の人にばれなければ、大丈夫じゃないですか。犯罪なんて言いますけど、被害者なんていないじゃないですか」

「それは、那由他ちゃんがどう思ったって、犯罪で」

「だったらっ。犯罪者にだって、なってください。法律なんてどうでもいいくらい、私のことを、愛してほしいです」


 那由他ちゃん…………、いや! 冷静になれ、私。犯罪者になってくれは、ちょっとさすがに問題があるぞ!?

 一瞬、そこまで私のことを思って求めてくれているのか、と思ってしまったけど。駄目でしょ。普通に。どう考えても法律はどうでもよくない。

 悪い大人になってよ、は正直ぐっときてのってしまったけど。犯罪者は別。ばれなければいいって問題でもない。倫理面や心理的に罪とかじゃなく、刑罰の罪なのだ。ちょっとした嘘やごまかしじゃない、ガチの犯罪なのにばれなければいいなんてその時点で犯罪者思考。


 冷静になった。うん。那由他ちゃんはいいよ。何かあっても被害者だし。自分から言ってるんだし私も無理強いはしないんだから心の傷を気にする必要もないし。でも私は犯罪者になるんだよ!? いや、駄目でしょ。何を普通にお願いしてるの? 二人の思いが変わらなければセーフって問題じゃないよね? だって何かあってバレたら私塀の中に入るんだから。


「……那由他ちゃんが言いたいことはわかったよ」


 そもそも、那由他ちゃんにこんなことを言わせたのも、私の責任だ。わかってる。まず一番大きな問題として、挑発されたり勢いとかはずみとかあったとして、先に手を出しているのは私だ。教えちゃってるのは私だ。別に那由他ちゃんが勝手に調べて要求してる訳じゃない。

 それはわかってる。わかってるからこそ、これ以上はいけない。そして次に問題なのは、那由他ちゃんにそれを言えば何とかなると思わせていることだ。この間の学校でもそうだ。こんな風に押せ押せで言うのは、私がすでに何度もその挑発にのって手を出しているし、どんな態度をしたって結局すぐに許して甘やかすどころか、何故か私が許しを乞う立場になってるからだろう。


 端的に言って、舐められているのだ。那由他ちゃんは悪くない。そう思わせてしまった私が悪いのだ。だけどね、そろそろちゃんと言わなきゃいけない。ちゃんと、強い態度で。


 私は那由他ちゃんの手を払い落として向きなおり、正面から顔を見てきっちり意志を伝えることにする。目と目を合わせ、強い意志を。


「でもね、駄目なものは駄目なの。那由他ちゃん、もちろん今まで私が全部悪かったよ。本当にごめん。でも、犯罪者にはなれない。強くお願いすれば私が何でも言うことを聞くと思ったら大間違いだからね。いい加減にしてくれないと、那由他ちゃんのことき……」


 嫌いにだってなるかもしれないからね、と言おうとして言葉がとまる。那由他ちゃんが普通に泣きそうな顔になっている。でもここで止めてしまったら、今度は泣けば言うことを聞くと思われてしまう。

 でも今にもその目からは涙がこぼれそうだ。な、泣かすのはなしでしょ! ええっと。


「き、きょ、距離をとることになるからね!」

「きょ、きょり。ど、どのくらいですか?」

「え?」


 え? ど、どのくらい? もうそんな具体的な話になる?


「じ、自室では、浮き輪を装着してもらいます!」

「う、浮き輪!? え? ど、どういうことですか?」

「浮き輪を付けていればハグだってできないし、キスだって難しくなるでしょ」

「そ、そうかも知れませんけど。室内で、浮き輪……? 千鶴さんって、ダーツと言い発想が突拍子もないですよね。あ、も、もちろん、そう言う、えっと、柔軟な思考? なのもすごいと思いますけど」


 いや、そんな無理にフォローしなくてもいいけど。何でとっさに浮き輪なんて言ったんだ私は。だって、こう、半径何センチは近寄らないって言っても守るの難しいじゃん? 体の周りに目に見える境界線があったらいいなって思って、フラフープはちょっと簡単にハグできちゃうから。口で禁止っていっても絶対守れないのは自覚してるからね。

 考えるほど、間抜けな絵面だけどかなり有効な気がしてきた。浮き輪つけてたら服も簡単にめくれないし。キスマークを付けることすらできないし。


「とにかく、浮き輪を付けるのが嫌なら、我慢して」

「え? 浮き輪で決定なんですか?」

「実際にそうなったら要相談だけど、割とありだと思ってるよ」

「えぇ……」


 なんか、涙はこぼれなかったけどさっきからドン引きされてるな。そんなに駄目? 確かに見た目シュールだけどさ。


「とにかく! 私は本気だよ。今度こそ、これ以上この件を追及したら怒るからね!」

「……わかりました。今日のところは引きます」

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る