第54話 文化祭で、那由他ちゃんのお母さんと

「あの、千鶴さん、今度の文化祭なんですけど……」

「ん? どしたの? もしかして何か用事ができたとか?」

「あ、いえ。その……お、お母さんも、行きたいって言ってるんですけど、いいですか?」

「え……も、もちろん! 那由他ちゃんのお母さんだもんね。大歓迎だよ!」


 でもちょっと心の準備が必要だよね……。と言うやり取りがあってから、とうとう文化祭の日がやってきた。

 一応、写真で顔は知っていたし、おじさんのスマホ経由でよろしくお願いしますと言う当たり障りないやり取りはしている。だけど初対面だ。恋人の母親に会うのだ。緊張しないはずがない。


 車で迎えに行く。那由他ちゃんのお母さんはまだ病院と家を往復している状態で、基本的には日常生活を送れるけどまだ時々精神が不安定になると言うことなので車での送迎を提案したのだ。時期が時期だし大学に許可は無理なので、近くのパーキングだけど。

 那由他ちゃんのもはや見慣れた駐車場だけど、かつてこんなに緊張したことがあるだろうか。


 那由他ちゃんの二人組が目に入り、汗をぬぐいながらなんとか定位置に向かう。きっちり停車してから窓を 開ける。降りて挨拶すべきかと一瞬迷ったけど、あくまで乗り降りの為の一時停車位置なので勘弁してもらう。


「車の中からすみません。初めまして、山下千鶴と申します」

「こちらこそ、初めまして。里山百々子です。いつも那由他がお世話になっております」


 百々子さんは那由他ちゃんに似た線の細い美人で、那由他ちゃんに似ず不健康そうな顔色の人だった。何と言うか、通院中と知っているからか儚げな印象だ。

 真面目そうな一文字の口元が緊張を表していて、最初に会った時の那由他ちゃんのような警戒心すら感じられる。


「そんなそんな。那由他ちゃんもおはよう。とりあえず、二人とも乗ってください」

「おはようございます。後ろ、失礼しますね」

「お邪魔します」


 二人は手を取り合って後部座席に乗り込む。事前に後ろに乗るよう言っておいたけど、何と言うか、隣に誰もいないとちょっぴり疎外感感じるな。


「じゃあ出ますね」


 車を走らせる。道中、顔をあわせないからかやや緊張の取れた様子のおばさんと言葉少なに距離のある会話をしていると、すぐに大学付近に到着する。徒歩5分の駐車場が空いていたのでそこにとめる。一番近いところは埋まっているのでちょっと離れてるけど仕方ない。


「おばさん。お手をどうぞ」


 呼び方は本人が那由他ちゃんのお父さんはおじさんと呼んでいるのだから、とおばさんと呼ぶように指定してきたのでそう呼ぶけど、ちょっと抵抗ある。いや、おじさんはおじさんだけど。おばさんはこう、まだそんな年齢かな? っていう感じの美人なので。

 ドアをあけて手を出しながら声をかけると、おばさんは少し戸惑ったようにしながらも手をつかんでくれた。細いけど骨太な感じだ。立たせると、軽さに驚く。


「ありがとう」

「いえいえ。それじゃあ……お姫様、お手をどうぞ?」


 おばさんをおろしてドアを閉めようと手をかけ、何故か反対側から降りればいい那由他ちゃんがちょっぴりむくれ顔でスライドして手前にやってきていたので、そっと膝をおってさっきより丁寧に微笑んで手を出して見せる。那由他ちゃんはぱっと笑顔になってくれた。


「えへへ。はぁい」


 にこにこと手を取ってくれたので、車からおろしてそのまま手を繋いで車をしめた。


「それじゃあ、行こうか。あ、おばさんも手、つなぎます?」

「は?」

「え? あ、ち、違いますよ? 私じゃなくて那由他ちゃんとですよ?」


 振り向いたおばさんが微妙な顔をしていたので軽い気持ちで提案するとめっちゃ嫌そうな顔をされたので、慌てて弁解する。那由他ちゃんと手を離すつもりはないけど、親を前にして独占するのもどうかと思ったのでシェアしようとしただけで、けしてそんな。おばさんと手を繋ごうなんて。

 いや、いつも文化祭はまあまあ混んでるから繋ごうって言うなら繋ぐけど、普通那由他ちゃんいたら那由他ちゃんとでいいでしょ?


「あぁ……そう、ね。そうさせてもらうわ」


 おばさんは眉間の皺をとって那由他ちゃんを目をあわせ、キラキラした目をしている那由他ちゃんに頷いた。そしてそっと那由他ちゃんと手を繋いで顔を見合わせた。


「えへへ。なんだか、楽しいね。こういうの両手に花って言うんでしょ?」


 うーん、ちょっと違うかな。でも那由他ちゃんはおばさんに向かって言ったし、おばさんは微笑んでそうね、と流したのでスルーする。

 今までのあれこれはあれど、まず普通に文化祭を案内して遊ぶって言うことになっているので込み入った話は置いておいて、さっそく学校へ移動する。


 大学は門も大規模に飾り付けられていて、那由他ちゃんはその時点で興味深そうにしていた。近いのに今までは来たことがなかったらしいので、よく楽しんでもらいたい。

 事前に那由他ちゃんと話して、どのあたりを回ろうかと決めていたのでそのように出発する。大学自体はすでに那由他ちゃんも何度も来ているので、気後れすることなく進んでいく。


 まずは那由他ちゃんが希望した体験教室的なやつだ。プログラミング体験に、ロボット対決、ペットボトルロケット制作、シルバーアクセ作り。


「上手にできたね」

「えへへ。お母さん、できた?」

「え、ええ。まあ……ちょ、ちょっと今日は調子が悪いかしら?」

「そう? お母さんにしたらよくできてると思うけど」


 シルバーアクセではおばさんの手先の不器用さが露わになってしまった。ロボコンではおばさん意外と上手かったけどね。

 ちょっとお腹が空いたので、お昼を買ってステージ鑑賞だ。ライブやダンス以外にもミュージカルや芸能人を呼んでのトークイベントもあるけど、ちょうど見ていたのはダンスイベントだ。那由他ちゃんが目を輝かせていて、窯から手作りが売りのピザを食べながら和んだ。

 おばさんも小さくリズムにのっているのもちょっとかわいかった。心配していたけど、おばさんもちゃんと文化祭を楽しんでくれていて、私を見定めるって言うよりは普通にお出かけ気分なのかな?

 それから巨大迷路やペットボトルボウリングで体を動かし、聡子のやっているクソタイトルのイベントにも参加した。那由他ちゃんがついに! とわくわくしながら参加してくれたので頑張った甲斐もあったと言うものだ。保護者つきなのを聡子に胡乱な目で見られたけど、人の目もあったので深くは突っ込まれなかった。

 ボードゲーム喫茶で休憩してから、射的とスマートボールを楽しみ、目についた屋台の台湾かき氷を手に空き教室で三時のおやつとしゃれこむことにした。文化祭中は外部の人間も入れるとはいえ、もちろん校舎内は別だ。文化祭に使用していない教室棟もはトイレ以外立ち入り禁止になっている。自習室はあるし普段と同じく学生ならはいれるので、ちょっとだけお邪魔してゆっくりさせてもらう。


「大学の文化祭って、凄いですね。普通のお祭りより、こう、楽しいです!」

「喜んでもらえたならよかった」


 普通のお祭りはあれはあれで伝統であり、土地や人材を豊富に使って利益を追求してない大学とはまた別種だと思うけど、喜んでくれたならよかった。


「そうね。私も大学には通っていたけど、真面目な催しが多かったから雰囲気が随分違うわね。改めて、今日はありがとう。デートなのに割り込んでごめんなさいね」

「そ、そんなそんな。おばさんならいつでも大歓迎ですよ」

「デートなのは否定しないのね」

「まあ、それは事実なので。と言いますか、私の方も改めてこう挨拶した方がいいですかね。那由他ちゃんとお付き合いさせていただいてます。未熟者ですが、今後も精進していきますので何卒温かく見守ってくださいますよう、よろしくお願いいたします」

「……ふぅ。そうね、はい。話は聞いているわ。京さん、お父さんも了解していることだし、何より、私のせいで傷つけている那由他の傍にいてくれていることには感謝しているわ。だから、交際を否定するつもりはありません」

「ありがとうございます」


 おばさんはちょっとだけ薄目で、機嫌よく了解してるわけではない感をだしてはいるものの、認めてくれてはいた。普通に話もしてくれているし、普通に那由他ちゃんとの関係も続いているのでそうだとわかってはいても、本人の口からきくとほっとする。

 言質をとれたのは大きい。口にすることで、本人の無意識にも一度認めたから、と言う思いも刷り込まれるしね。これで正式に、両親の了解のもとの交際だ。誰に恥じることもない。また一歩、那由他ちゃんとの約束された将来への道へ踏み込んだ。よかったよかった。


「お母さん、ありがとう。心配してくれてるんだよね。えへへ。でも、私と千鶴さんなら大丈夫だよ」

「那由他……。あなたが幸せなら、それでいいわ。でも、一つだけお願いさせてほしいのだけど、いいかしら」


 那由他ちゃんが笑顔でちょっとだけおばさんの袖を引きながらお礼を言うのに、おばさんはふんわり見とれそうな笑みを浮かべ、それからきりっと顔を引き締めて私に固い声をむけた。とっさに私も緩みかけた姿勢を直す。


「はい。もちろんです。何でも言ってください」

「まあ、さすがに言うまでもないことだと思うけど、那由他はまだ小学生だと言うことは忘れず、節度ある付き合いをお願いね」


 う、うん。まあ、はい。そう来るとは思ってました。


「はい。それはもう、もちろんですとも。那由他ちゃんが大人になるまで清く正しい交際をね、させてもらいたいと、重々承知しております」

「……あの、急に態度、変わってないかしら?」


 しまった。思わずギクッとしてしまって、露骨に挙動不審になってしまった。目つきがするどくなるおばさんに、私は考える。ここで実際に舌の出し入れをしてます、なんてことを言うのは悪手だ。

 正直が美徳とは言っても、時と場合による。下手に監視付きで二人きり禁止とかなったらこう、逆に耐えられない。

 それにただでさえ心労の多いおばさんなのだ。負担をかけるわけにもいかない。私は那由他ちゃんと悪い子になると決めたのだから、ここは嘘をついてでも安心させて現状維持がベスト! もちろんホントの最後の一線は超えないから安心してください! そのためにはこの挙動不審の説明だ。


「えーとですね、その、挨拶に頬にキスするくらいならセーフですよね?」

「……まあ……そのくらいなら、駄目とは言わないけれど……」


 ぎりぎりセーフと言ってもらえる範囲で、かつ後ろめたい理由にはなることをあえて暴露することで誤魔化す。成功はしたみたいだけど、めっちゃおじさんと似てるジト目を向けられてしまった。やっぱ夫婦って似るものなんだなぁ。


「もう、お母さん変なこと言わないでよ。それになんでそんな顔するの。お母さんだって、お父さんとよくキスしてたでしょ」

「え、あ、な、那由他。その、それはね、私たちは大人同士だからね。あなたはまだ小学生だから教育に悪いという……か、教育に、わるい? 那由他の教育に、そんなこと、私に言う資格なんて……ない、わよね。ごめんなさい。本当に」

「あ、お、お母さん? あの、そこはそんな落ち込まなくても大丈夫だから。うん。心配してくれてるのは嬉しいからね?」


 話している途中で一瞬固まったおばさんは、声も小さくなって急に顔色が悪くなってきた。これはまずいぞ。と思ったのか、那由他ちゃんも慌てておばさんの背中を撫でながらフォローする。

 顔に手を当てて俯きだしたおばさんは、ゆっくり逆再生のように顔をあげて那由他ちゃんを見上げる。ちょっと泣きそうになっているけど、顔色はちょっとマシになった。


「……ほんとに? 那由他のこと、心配しても、許してくれる?」

「もちろん。ただ、あんまりそう言うことを言うと、また千鶴さんのガードがかたくなっちゃうから、ね? わかるでしょ?」

「…………そう、ね。ごめんなさい、千鶴さん。失礼なことを言って」

「あー、いえいえ。お気になさらず。那由他ちゃんを可愛がる気持ちも心配する気持ちも、よーくわかります。私だってこんなに可愛いわが子がいたら、もう心配でたまりませんから。だから、大丈夫ですから。必ず那由他ちゃんを幸せにしますから」


 まだちょっと不安定、と言っていたけど、ちょっと自罰的なだけでそんなにひどい感じはしないな、と冷静に思いながら私はさらにそう安心させるために言葉を重ねる。

 これだけは嘘ではない。一線は超えてなくても、もう全然清くない関係ではあるけど、那由他ちゃんと幸せになることだけは間違いない。


 その気持ちを伝えて安心してもらいたくて、正面から目をあわせて言う私に、おばさんはゆっくりと呼吸をする。


「えぇ……えぇ。ありがとう。あなたがいてくれて、よかったわ。ごめんなさいね。本当に。折角の学園祭なのに、空気を壊してしまって」

「いえ。不安に思われるのはわかりますから」


 なんとかおばさんも、ちょっと無理してだけど微笑んでくれる状態になったので、何事もなかったかのようにかき氷が解けないうちに食べた。

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