第50話 誰もいない教室で

 授業が終わるってもそわそわする生徒たちを席から立たせず、そのまま終わりの会が行われた。解散、となってから一斉に生徒たちは後ろの保護者と合流した。その勢い、騒がしさと言ったら、私立も公立も変わらないね。地味に悪ガキ君も見つけてしまったけど、こちらに気付いてないみたいなのでスルーしておこう。


「千鶴さん。来てくれてありがとうございます。えへへ。嬉しいです」

「うん。見てたよ。一生懸命集中して勉強してて偉いね」


 頭を撫でて褒めてあげる。他の親御さんの目もあったので、あんまり人前でべたべたするのはよろしくないけど、この位なら他のところもしてるからいいよね。


「那由他、気持ちはわかるが、もうちょっとお父さんにも反応してくれていいんじゃないか?」

「あ、ごめんね、お父さん。お父さんが来てくれたのも嬉しいよ。いつもありがとう」

「全然いいんだよ、那由他の為なら当たり前だからな」


 那由他ちゃんにお礼を言われたおじさんはニコニコ笑顔になった。ほんわか笑顔で向かい合うこの親子、声かけにくいくらいだ。写真も撮ったから今度お母さんに見てもらおうとか話してしばらくして、周りの保護者が動き出した。どうやら保護者会がそろそろ始まるみたいだ。

 おじさんも名残惜しそうにしつつ、私たちに気を付けて帰るように行ってでていった。周りの生徒たちもいつの間にか半分以上帰っている。


「じゃあ帰りますか?」

「それでもいいけど、折角だし、那由他ちゃんが通ってる学校もっと見たいな。案内してくれない?」


 と言う訳で、那由他ちゃんとわくわく小学校ツアーに出発した。と言ってもそんなおかしなところはないけどね。私立なので小学校にしたら立派な建物だけど。体育館や図書室、更衣室にトイレまで案内してくれた。

 おてて繋いで回っていくけど、小学校と言っても、中の机が小さいだけでドアの大きさはもちろん便器だって基本的な構造は普通サイズだ。だけどたまーに通りすがる生徒はみんな小学生で、なんだかおかしなところに迷い込んでいるような気にさえなる。

 一周して那由他ちゃんの教室に戻ってきた私たちは、なんとなく那由他ちゃんの席とその前の席に座って一息つく。横向きに椅子に座って那由他ちゃんを振り向いていると、何だかクラスメイトな気分にすらなってしまう。


「さすがにもう誰もいないね」

「そうですね。もしかして保護者会のほうも終わってるかもしれませんね」

「あ、考えてなかった。連絡してみよっか。まだいるなら、一緒に帰れるし」

「……千鶴さん」

「え?」


 スマホを鞄から取り出そうとすると、不機嫌そうな声音で手を押さえられた。那由他ちゃんを見ると、スマホを離させた手を引き上げ、ぎゅっと机の上で握って引き寄せた。


「せっかく二人きりなのに、どうしてそんな意地悪なこと言うんですか?」

「二人きりって、学校じゃない」

「二人きりは二人きりじゃないですか」

「まあそれはそうだけど。……そうだね、もうちょっとゆっくりしよっか。那由他ちゃんとこうしてると、何だか同級生みたいな気になるよね」

「えへへ。今度、私の制服着てみてくださいよ」

「いやそれは遠慮するけど」

「えー……ずるいです」

「え?」


 不満げな声を漏らした那由他ちゃんは、しばし沈黙してから何故かにっと口の端が笑みになった状態でそう文句を言った。


「千鶴さんは小学生な私を知っていて、これからずっと、中学生も高校生も大学生も大人も知っていくじゃないですか。なのに私は大学生からの千鶴さんしか知らないんですよ? ずるいです」

「えぇ……今度アルバム見せてあげるから」

「いやです。もっと生の小学生千鶴さんが見たいんです」


 それはつまり、小学生に戻ったつもりで小学生ごっこをやれと? 小学生の那由他ちゃんと? いやー、きついな。ていうか、赤ちゃんごっことかは、やりたくはないけどあれはどう言う感じにするかまだわかるじゃん? だいたいみんな乳幼児期は同じだからね。

 でも小学生の私って再現難しいんだけど。どんな感じだった? 那由他ちゃんと同じころなんて普通に自意識あるし、そんな性格面で変わってるかって言われたらどうなの? ……いや、逆に考えよう。制服さえ着て同級生の体でしゃべってあげれば満足してくれるなら簡単か。小学校の制服なんて、と思わなくもないけど、言うて那由他ちゃんが来てるやつだからサイズ的にもデザイン的にも普通に着れるは着れるな。


 じっと私を見てくる那由他ちゃんは、少々の沈黙で断られると思ったのか眉尻を下げて不安げになっている。そんな顔をこんな話でするのずるくない? 答え決まっちゃうよね。


「あー、わかったわかった。じゃあ、今度、部屋でね」

「はい! えへへ。千鶴さんならそう言ってくれると思いました」


 うーん、この曇りなき笑顔。可愛い! と言うのは本当なのだけど、そこはかとなく、いいようにされている気がしないでもない。最近の那由他ちゃんが自分がとびきり美少女なのを理解している節があるぞ。もちろん、そんな小悪魔プレイも可愛くてたまらないのだけど。


「じゃあ、そろそろ帰ろっか」

「えー、もうちょっと良くないですか? もうすぐ下校のチャイムになりますから、それまで」

「おじさん待つ感じ?」

「いいえ。二人で登下校したいですけど、学校で会えるのは今日が最後ですし。もうちょっと、千鶴さんがここにいることを噛みしめたいんです。そしたら、他のお友達がいなくても気にしないでいられると思うので」

「那由他ちゃん……じゃあ、なにしよっか。放課後、友達と残ってする遊びってなにかしたいのある?」


 元々仲のいい友達はいなかったみたいな感じのこと言ってた気もするけど、那由他ちゃんの家庭の事情が漏れて避けられてる状況らしいからね。今日少し残るだけで、後卒業までの思い出になるって言うなら、いくらだって残ってあげたい。

 一応解決に向かってはいても、他の人からしたら詳しく知らないからこそ、変な噂とかされているのかな。一応、あの悪ガキ以外からはいじめられてないみたいだし、悪ガキのも遊びに誘ってる体ではあるけど。浮いているってだけでも辛いだろうし。


 でも教室に残って遊ぶってなんかあったっけ? 子供の時はすぐ学校出て外で遊ぶ方が多かったしなぁ。残ってたとしてもグラウンドで遊ぶのはあっても、教室でって、こっくりさんとか? あれは誰も自分の家でしたがらなかったから教室でしたな。


「千鶴さん……私たち、友達ですか?」

「ん? もち……もちろん、違いましたね」


 もちろん! なんでも遊びたいこと言ってよ。と答えかけて、その言い方がやけにじっとりしていたので言い直した。お顔がにっこり笑顔のままだったので騙されるところだった。


「恋人でしたね」

「はい。だから、その……放課後、残ってる恋人として、思い出を作ってほしいです」

「う、うーん」

「駄目ですか?」


 いや、駄目でしょ。確かに今教室に他に人はいないとは言え、建物自体にいないわけでもない。廊下は時々人が通るから、ちょっと怪しくなってきたところからお互いにずっと小さな声で話してるし。

 もし見られたら、それこそ大問題である。外なら那由他ちゃんが小学生に見えないので、多少仲のいいのを見られたところで、と思うけど。でもここは那由他ちゃんが小学生と知っている人がたくさんいるのだ。ていうか制服見たらみんなわかるのだ。誰に見られてもアウト。仮におじさんがかばってくれてお縄だけは免れたとして、ただでさえ浮いている那由他ちゃんがさらに色眼鏡にみられてしまうだろう。

 あとおじさんに怒られまくって距離を置かされるのも間違いないだろう。ここで無理をしたところで得られる、ちょっとしたスパイスのきいた一回のキスと言う思い出と、問題があった時のリスクが全然釣り合っていない。普通に考えてなしだ。


「……」

「……まあ、カーテンに隠れて、ちょっとおでこくらいなら……」


 那由他ちゃんの真剣なお願い顔からそらしながら私はそう、あいまーいな口調でだけど頷いてしまった。

 廊下から隠れてしまえば、見えない、よね? 影みえても、頬だとまぎらわしいけど、おでこならただ影が重なっただけとも言えるし。那由他ちゃんがここまで言ってるのに断る何て可哀想だし? 小学校で小学生とキスするって言うものすごいいつも以上に背徳感もりもりな状況に心動かされているわけではないけど?


「……口がいいです」

「え、それは駄目。この間も無理だって言ったでしょ」


 那由他ちゃんのエスカレートする要求にはっと振り向いて断る。那由他ちゃんはわかりやすく不満そうに眉をよせ、目をそらしながら小さな声でぶつぶつと反論する。


「この間は、その、続きとして、ちょっと高望みしたので、わかります。でも、普通に合わせるだけならいいじゃないですか。私が小学生だって知った時も、してくれたじゃないですか。千鶴さんは、あれ以上言ったら困るからって言いましたけど、でもこんなところだからこそ、そんな心配はないんじゃないですか? 私だって、さすがにここではそこまで望みません」

「そ、れは、そうだけど……見られたら一番困るのは那由他ちゃんなんだよ。最悪、距離をおかされるかもしれないよ」

「……だって、そもそも、ひどくないですか? 勝手に、ダーツとかして、口にキスしないよう、露骨に避けるじゃないですか」


 お、あ、うん……ばれてたのか。バレバレで、その上で一線を守って清く正しい交際でいようって言う私の思惑にのってくれてたのか。……いや、それにはのっかってくれてないな。むしろわかったうえであんな攻めてたのか。

 とは言え、一応意図を汲んで唇は我慢してくれていたのだ。小学生と知る前はあんなに隙あらば唇をねらってきていたのに、だから、配慮してくれてはいたのだ。


「あの、それはね、やっぱり、那由他ちゃん小学生だし、ね?」

「わかってます。だから、本気にならないよう、してるんでしょう? ……本気になりそうだって、思ってくれてるの、そう言う対象に見てくれてるのは、その、恥ずかしいけど、嬉しいです。でも……だから、今は、そうならないんですから、いいじゃないですか」

「……」


 う、ううう。いや、信頼が重い。実際さ、そこまでこんな状態で手を出すなんてありえないよ? ありえないけど、そう言う目で見られて嬉しいとか、そう言うこと言われて、欲求高まっちゃうのはわかってほしい。めっちゃ押し倒してー。ってなるのわかってよ。いやわかってほしくないけど。そんな汚れた気持ちわかってくれなくていいんだけど。

 那由他ちゃんは真面目にちょっと怒った風に言ってるけど、そんなの、じゃあ今すぐキスして、めちゃくちゃにキスしたら、どんな顔になるのかな。とか、考えちゃうよ。


 どれだけ私が我慢してるか、全然わかってないんだろうなぁ。那由他ちゃんが小学生ってわかっても、むしろそれを実感してる今も余計に、変な気に余裕でなっちゃうんだって。小学校で那由他ちゃんに私のこと刻み付けるとか、考えるだけで興奮するに決まってるじゃん。


「……目、閉じて」

「! は、はい……」


 何をするって言ってないのに、ぱっと笑顔になって頬を染めて目を閉じ、少しだけ前かがみになる那由他ちゃん。その姿に気持ちが高ぶってくる。

 ええい! 女は度胸! こうして押し問答してる間にも人がきたり、この危うい会話だってもしかして聞こえるくらい耳のいい人が来るかもしれないんだ。だったらささっと、ちゅっとして那由他ちゃんが気が済むようにしてあげればいい! 頑張れ私の理性!


 状況が状況だけに、心臓がものすごくうるさい。世界が心臓になってるのかってくらいうるさい。震えそうなのを堪えて、私は少しだけお尻をあげて勢いをつけた。


「ん」


 顔をよせ、それこそ触れた、とわかった瞬間に顔を引く。たった一瞬触れただけの唇が熱くて、今すぐもう一度口づけたい。人がいない今のうちに。なんてことを考えたのが悪かったのだろうか。


 がたたたッ! と物音が背後から聞こえて私は血の気が引いた。

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