第33話 那由他視点 お父さん

 千鶴さんとお父さんがお話をしに家を出てから、ちょっと時間がかかった。お腹も減ってきたけど、それより何を話しているのか気になる。もしかして旅行以外のことも話しているのかな? とやきもきしながら待っていると、お父さんが帰ってきた。


「おかえりなさい、お父さん」

「ああ、待たせてごめんな? すぐご飯の用意するから」

「うん。大丈夫だけど……お父さん? なにか、凄く疲れてる? 大丈夫?」


 戻ってきたお父さんは、元々お仕事した日だから疲れていたけど、何だか残業が凄く長かった日みたいにもっと疲れた顔になっていた。ちょっと顔色も悪いような?


「ああ……まあ、ご飯を食べてから、那由他と色々話したいと思ってな。いいか?」

「う。うん。私は全然、大丈夫だよ」


 お父さんと改まって話す、って言うのも久しぶりだし、嬉しいけど。なんだろう。何か、難しい話なのかな? もしかして旅行できなくなるとか? ううん。怖いなぁ。

 ちょっとびくびくしながらも、お父さんが料理するのを少しは手伝う。千鶴さんのお家で手伝うようになって、少しは家でも手伝えるようになったのだ。いずれお母さんが帰ってきたら、びっくりしながら褒めてくれるだろうな。


 晩御飯を食べる。鳥の照り焼きは美味しいけど、一枚食べちゃってちょっと食べ過ぎてしまった。


「ちょっと待ってくれないか。お風呂の前に話をしたいんだが」


 お腹を撫でながらお皿をさげて、お風呂を沸かしに行こうとしたところでお父さんがそう引き留めた。そう言えばそうだった。さっきまでの夕食では普通だったから忘れていた。

 大事な話って何だろう。よみがえってきた緊張感と共に再び席に着く。


「えっと、話って、何?」

「さっき千鶴さんと話したんだが……まず、はっきり言っておくが、私は那由他、お前を愛しているよ。大切な我が子だと言う気持ちは何も変わっていない。血がつながっていないとわかってからも、わかる前からも、那由他は私の最愛の娘だ」

「えっ、あ……ほ、本当に、血、つながってなかったんだ……。そっか。でも、変わらないって言ってくれるのは嬉しいけど、でも、無理しなくてもいいよ?」


 そうなんだろうって思う気持ちと、どうかそうであってほしくないと願う気持ちがあった。だけどやっぱりそうだったんだ。がっかりすると同時に、お父さんが距離を取ったのはそういうことなのだ。納得もする。

 愛してると言ってくれるのは嬉しいし、距離を取ってると言っても、別に冷たくされてるとかはないし、大事にしてくれてるのはわかってる。だけど前と同じではないと思う。それは血がつながってないなら仕方ないとも思う。私もそうだ。血がつながってないってお答案に言われても、実感なんて全然ないし、普通に今も大好きだし、だからこそ、無理してほしくない。


 だけど私のその言葉に、お父さんは怒ったみたいに机の上で組んでいる自分の手をぎゅっと握りしめて眉をしかめた。


「な、なにが無理だ。最近距離を置いたからそう思ってしまってるんだな? でもな、那由他が大人になったら血がつながってないのに抱きしめられたら嫌かと思ってちょっと遠慮してるだけで、本当は毎日抱きしめたいくらい愛してるんだ。本当だ。疑うなら、いますぐ抱きしめるぞ」

「えぇ……う、うん。じゃあ、して?」


 怒られること自体滅多にないので、お父さんがちょっと強い口調で言うので少し怖かったけど、私は頷いて立ち上がった。お父さんも立ち上がって、ゆっくりダイニングテーブルの横に移動する。お父さんがやや緊張した面持ちでゆっくり手を広げる。

 ほんの少し前、半年前まで当たり前だった。お父さんが笑顔で両手を広げ、そこに私が飛び込む。だから、その動作を見ただけでほぼ反射的に私はその胸に飛び込んでいた。


「っ、那由他……」


 ぎゅっと、痛いくらいに抱きしめられる。その温かさと力強さに、胸があったかくなるくらい嬉しくて、それと同時に私はこんなに寂しかったんだって自覚して、急に泣けてきた。


「うっ、お、おとうさぁあ! な、なんで、じゃあ、ずっと、抱きしめてくれなかったの! 寂しかったのにぃ!」

「! ごめん、ごめんな。血がつながってないのに抱きしめられたら、気持ち悪いとか、勝手に思ってた。那由他もだし、他の人から見て、そう思うだろうって。ごめんな。那由他の意見を聞かずに、寂しい思いをさせたな」

「馬鹿ぁ! ずっと、こうしてほしかったよ!」


 千鶴さんが傍にいてくれて、楽しかった。抱きしめたりしてくれて、ドキドキして幸せだっだ。だけど、それはお父さんが抱きしめてくれる幸せとは全然違うんだって、はっきりわかる。

 どんなに千鶴さんを大好きになっても、お父さんとは全然違って、お父さんもいてくれなきゃ、寂しいんだ。私はずっとつらかったんだ。今まで、辛いことに気づきたくなくて自分を誤魔化してたんだって、それを自覚した。


 自覚して、お父さんにぎゅっと抱き着いたまま、小さい子みたいにわんわん泣いてしまった。


「ず、うぅ……ごめん、お父さん、私のこと思ってくれたんだもんね。お父さんも、お母さんのことで、大変なんだもんね」


 泣いている私をお父さんはソファに運んでくれて、そのまましばらく泣いていたけど、ちょっと落ち着いたのでお父さんに抱き着いたまま謝った。お父さんは私の頬を撫でるように涙をぬぐって頭を撫でてくれる。そのいつもの感じに私は安心して目をほそめてしまう。


「ああ、だけど、もっと那由他のことを考えてあげるべきだった。あんまり那由他がいい子だから、甘えていた。ごめんな」

「ううん……大丈夫。だって、そのおかげで、千鶴さんとも仲良しになれたもん」

「……そ、そうか。うん、まあ。それは置いといて。お母さんについて、話すよ。聞いてくれるか?」

「う、うん!」


 お父さんにだっこされた状態でちゃんと座りなおして、お父さんからお母さんについて聞いた。

 私とお父さんに血がつながってないのは本当なんだって。でもそれは、お母さんがお父さん以外の人を好きになったとかじゃなくて、お父さんが子供を産めない病気だったから、それをお父さんに知らせて悲しませたくなくて、お父さんが子供を望んでいたから、黙って子供をつくったってことらしい。

 お父さんも驚いたけど、お父さんの為を思ってしたことで、怒ったりお母さんを嫌いになんて全然なってないんだって。ただずっとお母さんはそれを気に病んでもいて、春にその気持ちが爆発して、家を出たあのまま病院にいって心も体も弱っていたから今入院しているってことだったみたいだ。


 血がつながってないっていう、一番びっくりのポイントをもう知っていたからか、その内容はそこまでびっくりしなかった。ただ、お母さんはずっと黙って一人で抱え込んでいて、それでいま弱ってるんだって思ったら、申し訳ないなって思った。

 お母さんは、お父さんと違って簡単には抱きしめてくれないし、ちょっと厳しいところもあった。でも、お母さんが私を大事にしてくれているのはわかってたし、簡単に優しくしてくれないからこそ、お母さんには我儘も言いやすかったところがある。

 でも、私が我儘を言ったり困らせて、しょうがないなって許してくれたりした時も、ずっと、その血がつながってないことで悩んでいたのかな。だとしたら、私はいい子ではなかったし、お母さんは私のこと、怒ってたりするのだろうか。


「……お父さん。お母さんは、私のことどう思ってるのかな」

「お母さんは、那由多を世界一愛しているよ。だからこそ、黙っているのが苦しくて、今、心が疲れてしまってるんだ」

「ほんとに? お母さんが大好きなお父さんと血がつながってないのに?」

「……血なんか、関係ない。那由他は私たちの、誰より大事な、ただ一人の子だよ」

「……うん」


 お父さんがぎゅうっと私の前に回している腕をしめつける。前なら痛いよーって言っていたくらいだけど、今日だけは、その痛いくらいの力が、お父さんの愛情みたいに思えて、嬉しかった。


「……明後日、お母さんのお見舞いに行く予定だったんだが、那由他も行くか?」

「え、いいの?」

「今までは、那由他に気に病んでほしくなくて黙っていたが、今までも何度かお見舞いには行っていたんだ。だいぶ落ち着いてきているし、那由他も事情を知ったんだし、会ってみよう」

「……うん。会いたい。お母さんに会いたいよ」


 言葉に出すと、お母さんの顔が浮かんでどうしようもなくなる。会えるんだ。お母さんに会える。それだけで、何だかまた涙が出そうになってしまう。

 それを我慢するのに、ぎゅっとお腹にあるお父さんの手を握る。ごつごつして固くて、千鶴さんとは全然違って、でも大好きな手。


「……本当に、ごめんな。那由他を傷つけたくなくて今まで通りの日々を送って ほしかった。でもやってることは何もかも中途半端だったな。余計に那由他を傷つけてた。ごめんな。千鶴さんに言われてわかったんだ。もう、隠し事はなしでいこう」

「あ、そう言えば、千鶴さんとお話しして、だもんね。そっか……そうなんだ。今日ね、初めて話したの。お父さんと仲良しだねって言われて、なんとなく、流れで。血がつながってないって言っちゃったの。でも、すぐ、こんな風にしてくれて、千鶴さん、ほんとうに、すごいなぁ」


 千鶴さんなら、言ってもきっと変に思ったりしないって信じてる。だから言えた。でも、それでただ慰めてくれて、どうしたらいいかも言ってくれて、それだけじゃなくて、お父さんをこんな風に動かすこともしてくれるなんて。

 千鶴さんは、本当にすごい。そしてそんな人が私を好きだって言ってくれて、私の為に動いてくれたんだ。あぁ、本当に、大好きだし、幸せだなぁ。胸が熱くて、ぽかぽかしてしまう。


「ああ、そうだな。……ところで、那由他。千鶴さんのこと、どう思ってるんだ?」

「え? ……ち、千鶴さんにそれも聞いたの? えへ、へへへ。その、こ、恋人になったってことも」


 そ、それはその、恥ずかしいなぁ。ずっと一緒にいたいし、いつかは言うことになったんだろうけど、まだそんなの考えてなかったし。でも千鶴さんだから、ちゃんと考えて意味があって言ったんだろうし、しかたないけど。うー、でも、どうせなら大事なことだし一緒に言いたかったな。


「……でも、まだ、高校生だって勘違いしたままなんだろう? それで恋人になるのは無理があるんじゃないか? というか、那由他はまだ小学生なんだし、無理に恋とか、早いんじゃないかとお父さんは思うんだが」

「……わかってる。私がずるくて、嘘つきで、本当は、そんな資格がないの。でも、本当に、大好きなんだもん。本当は、本当のことを言うべきだって思う。だけどそうなったらきっと、恋人になれなかったと思う」


 千鶴さんが私を好きだと思ってくれていたとしても、小学生だって言えば、付き合うのはちょっとってなったかもしれない。そうなったら、私が大人になる前に、きっと千鶴さんは他の誰かと恋人になってしまう。それは嫌だ。でも今付き合って、大人になるまで誤魔化してしまえば、実はって言っても、もうその時は大人だから、怒られても別れるとはならないんじゃないかって。そんな風に思って……。


「卑怯でも、私、千鶴さんが他の人と恋人になるのは嫌だから。う、うぅ、でも、わかってる。私、すごい悪い子だよね。恋人になれば、後からなら知られても許してくれるとか、考えてしまうし」


 言えば言うほど、私って、本当にずるい。わかってる。友達になる資格すらないんじゃないかってくらい、偽りだらけだ。でもそれでも、千鶴さんほしい。この気持ちだけは誤魔化せない。


「そんな、そんなことはない! 那由他が駄目なんじゃない。それは、恋をしたら当たり前のことだ。ただ私は、那由他にまだ子供でいてほしいから、早いって言っただけだ。ごめんな。ただ、小学生だってことはちゃんと言った方がいいとは思う。多分、いまさら千鶴さんはそれで別れるとか、他の人と、なんてことにはならないから」

「……うん」


 それは、何となくわかっている。でも、勇気が出ない。それに、小学生だってわかったら、千鶴さんはいったん恋人はやめて大人になってからっていうかもしれない。それでも千鶴さんといられるし、最終的には恋人になれるのだとして、今の恋人状態が幸せすぎて、一時的にだって別れたくない。

 友達に戻ったら、手を繋いだりとかも減るし、その、今日、みたいに、ちゅ、ちゅーしたりとか、してくれないだろうし。あ、は、恥ずかしくなってきた! 私、自分からいっぱいお願いしてしまった。はしたないって、千鶴さん思ったかな。あああ、恥ずかしいよぉ。


 それからもお父さんが背後から励ましてくれるけど、私は真っ赤になって話せなくてそのまま黙っていた。


 とりあえず、千鶴さんは悪くは思ってないはずだし、それで愛想もつかされてないのは間違いないから、大丈夫。と自分を誤魔化して、私はお母さんと久しぶりに会うことに集中することにした。

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