第11話 山下家

「ん……」


 シャーペンの芯がなくなったことで、急に意識が浮上するようにノートの世界から戻ってくる。今、すごい集中していたな。と思いながらさっとスマホを出して時間を確認する。時間は12時過ぎだけど、お昼にはまだ少し早いだろう。休日だし。

 里田ちゃんの進捗はどうかな? と思ってちらりとノートを覗き込む。


「あれ? 里田ちゃん、予定分もう終わったの?」

「あ、は、はい! えっと、はい。なんだか、今日は調子がいいみたいです」

「えらーい。じゃあちょっと休憩しよっか。お昼まで時間あるし」

「は、はい」


 お昼は母が作ってくれる予定だ。しばらく前にトイレに行った際に帰ってきていたのも確認しているので、声をかけてもらえるまでのんびりしてもいいだろう。


「あ、先に私、里田ちゃんが解いた問題があってるかまるつけだけするね。そこの本棚、ピンクのカーテンついてる棚が漫画だから好きに見て見て」

「お、はい。じゃあ、お願いします」


 わからないところは聞いてもらうけど、もちろん自力で解いたからって正解とは限らないので回答冊子を見てチェックするのだ。四つん這いで本棚に近寄り一番下の漫画コーナーをチェックする里田ちゃんをチラ見する。

 ふんわりスカートはロングなので問題ない。ただ靴下が上側がぴらぴらして花びらになっている可愛らしいものなので、私服はやっぱり可愛い系なのかな。と思った。


 里田ちゃんがそのまま隣に戻ってきたので、もう一度里田ちゃんをチラ見する。今アニメをやってるゆるーい女子高生ギャグ漫画だ。問題ないのでスルーして最後までチェックした。


「今いーい?」


 こんこん、と言う音と同時に母の声がかけられた。里田ちゃんがびくっと肩を揺らして漫画を閉じたのに苦笑しながら、私はペンを置いて立ち上がりながら返事をする。


「はいはーい。何?」


 そしてドアを開ける。母がにっこり微笑んでお盆を手に持っていた。お盆の上にはナポリタンスバゲッティが二人前湯気をたてている。


「お昼持ってきたわよ。私も一緒だと気遣うでしょうし、部屋で食べるのがいいでしょ?」

「お。ありがとうお母さん。気が利くー。ごめん、里田ちゃん。机の上あけてもらっていい?」

「あ、は、はいっ」


 お盆ごと受け取って振り向く。里田ちゃんはいつの間にかヘアピンをはずしていて、前髪をたらしながら慌てて乱暴にノートとかを机からどけた。そのできたスペースにお盆を置く。その前にのんでいたカップはともかく、空になったポットを乗せた最初に持ってきたお盆をとって入り口に向かう。


「はい、お母さんありがと。これ下げておいてくれる?」

「それはいいけど、その前に紹介してくれる」

「あ、はいはい。ごめんごめん。里田ちゃん、うちの母です。お母さん、この子が言ってた勉強を教えている里田ちゃんだよ」


 二人の間に立って、空気を読んで慌てて立ち上がった里田ちゃんと母にそれぞれ手を向けて簡単に紹介する。

 だいたいこういう代理紹介は簡単に限る。なんたって本人同士が仲良くなるかなんてのはどんな紹介をしたってわからないのだ。本人同士が話をするしか理解することはできない。だからこそ、無駄な先入観はない方がいい。

 と言うのが私の持論なのだけど、母からはジト目をもらってしまう。


「紹介はシンプルで簡潔なのが好ましいとはいえ、せめてもうちょっと何とかしましょう? 里田ちゃん、私は山下雀と言います。まあ覚えなくてもいいけど、気安くおばさん、とか呼んでくれていいわ」

「わ、私は、さ、里田、です。よ、よろしくお願いします、す、雀さん。あ、と、お、お邪魔してます。すみません。あ、あと、お、お昼、ありがとうございます」


 里田ちゃんに対してにっこり嘘くさいほどの笑顔になる母に、里田ちゃんはおずおずとそう腰をひくくした。


「! え、この子、いい子だわ……」


 まさかの雀さん呼びに、母は一瞬目を大きく見開き、私の肩を叩いた。普通に痛いので手をつかんでやめさせる。まあ、ね。名字みんな一緒だしね。仕方ないよね。


「いやそれは言ったでしょ」

「そ、そうね。改めていらっしゃい里田ちゃん、ゆっくりしていってね。それじゃあ雀さんはこれで失礼するわね」

「はいはい、ありがとう雀さん。食べ終わったら持っていくから」

「千鶴ちゃんは気持ち悪いからやめてね」


 ふざけて軽い気持ちで便乗したら気持ち悪いとか言われた。これだから母は。母の背中を押して部屋から出した。


「ごめんね、あんな母で。じゃ、食べよっか」

「は、はい。あの……す、素敵なお母さん、ですね」

「え、ああ、ありがとう」


 なんというか、ちょっと無理にお世辞言わせてしまった感はあるけど、とりあえず受け入れておく。

 席について昼食を食べられるように並べ、お代わりのお茶を注ぐ。


「じゃ、食べよっか。いただきます」

「い、いただきます」


 里田ちゃんはおずおずとしながらも一緒に手を合わせて食事を始めた。ケチャップで味付けしたナポリタンはシンプルだけで美味しい。


「お、美味しい、です」

「よかった。そう言えば里田ちゃんの好物はなに? 好きな食べ物。私はエビフライかな」

「ん。えっと。そう、ですね。カレー、ですかね」

「お。いいね、カレー。どういうのが好き?」

「え? どういう、えっと、あ、甘口です」

「ん? そっか」


 カレーが好き、と言うならてっきり、具材とかチキンカレーだのスパイシーカレーだのインドカレーだのとこだわりがあったりするのかと思ったけど、よく考えたら私もエビフライにどのエビとか油とかこだわりないからそんなものか。


「あと私、外食で言うならラーメンも好きなんだけど、里田ちゃんは?」

「あ、ラーメンもいいですね。あんまり、外食では食べないですけど、カップラーメンは、たまに食べます」

「あー、いいよね。お店のラーメンもいいけど、カップラーメンもそれはそれでたまに食べたくなるんだよね」


 駄目だな。こんな話してると、ナポリタン食べてるのに。ラーメン食べたくなってきた。ラーメンの魔力えげつないな。

 そんな話をしながらも食べ終わったのでお茶を飲み、しばし休憩だ。漫画どうだったー? なんて話をして、まだ途中ですけど面白いです。と言ってもらえて嬉しくなって他の漫画のプレゼンもしたところで、尿意が襲ってきたのでトイレも兼ねて食器を下げることにした。


「あ、わ、私も手伝います」

「あー、んじゃそうだね。さっきお茶のお盆下げてもらうの忘れたし、そっち持ってもらおっか」

「は、はい。お任せください」


 気合をいれる里田ちゃんにちょっと笑ってしまいながらお願いした。お盆を持ってなんとかドアを開けて部屋を出る。里田ちゃんがいなければ足で開閉してもいいのだけど、さすがにそこは自重する。


「ごちそうさま」

「ご、ご馳走様です。あの、お、美味しかったです」

「やーだ。ふふ。お粗末様です。置いて置いて。洗っておくから。あと三時のおやつもあるから、また持っていくわね」

「あ、す、雀さん、ありがとうございます」

「いいのよいいのよ」


 母はずいぶんご機嫌だ。よほど、おばさんや千鶴のお母さん、ではなく名前で呼ばれたのが琴線に触れたらしい。確かにあんまり呼ばれないか。母はパートで働いているけど、職場ではそうそう下の名前で呼び合わないのかな。私もバイト先で仲良くなった同世代ならともかく、社員の人とか年上の親しくない人は名字だしね。

 お盆ごと渡してお願いしてからキッチンを出る。


「里田ちゃん、私トイレ寄ってから戻るから、部屋にもどってて」

「あ、わ、私も一緒に、いいですか?」

「え、い、いいけど」


 まさかの個人宅で連れしょん? えぇ。普通に、ちょっと抵抗があるんだけど、一緒には入れないし、出てすぐ里田ちゃんに入られるとか。大ではないけど。うーん。でも里田ちゃん午前にトイレ一回も行ってないし、一人で行きにくくて我慢してたかもしれない。一回聞いてみたけど断られたし、普通に大丈夫なだけかと思ってたけど。


「えっと、先に入る?」

「あ、は、はい」


 戸惑いつつも先に入ってくれた。よし。少し離れておいて待っておく。そして出てきてから交代する。部屋に戻るつもりはなさそうなので待っててもらうことにする。


「ちょ、ちょっと離れててね」


 さすがに目の前に立たれると音がするので、二メートルほど離れてもらい、換気扇をまわす。里田ちゃん、このあたりは無頓着なのか。

 とりあえず中に入る。……ちょっと緊張して出にくいな。でも里田ちゃんに大と思われたくないし、早くしなきゃ。


「……」

「……お? トイレ順番待ち?」

「え? あ、あの、すみません」

「いや謝らなくてもいいけど、あ、てか急に声かけてごめんな。俺は千鶴の兄の、山下翼な、よろしく」


 ぬわー! 何を勝手に話しかけてるの!? あの兄! 女子高生に勝手に声かけるとかキモイんですけど!

 私は外から聞こえた会話に慌ててトイレをするけど、なかなか終わってくれない。く。タバスコかけすぎていっぱいお茶飲んだせいだ。力んで勢いつけながらトイレットペーパーも準備する。


「あ、は、初めまして、さ、里田、です」

「ん? 里田、何ちゃん?」

「あ、あの、その……」

「おい不審者やめろ!」


 終わったのでトイレを流してズボンをはきながら外に声をかけ、急いで手を洗ってから出る。

 勢いよすぎて戻ってきた扉をさらにはじき返し、兄を押しのけるようにして里田ちゃんをかばう。


「全く! 不審者が兄なんて恥ずかしいわ」

「はあ? 名前聞いただけだろ。家の中で顔合わせて無視する方が不自然だろうが」

「うっさい。戸惑ってるのがわかんないの? トイレ? なら早くして」

「わ、わーったよ」


 不満げな顔をしている兄を追い払う。言っていた通り、格好はまともだし、トイレで出会ってしまうのも仕方ないとして、そんなぐいぐい話しかける必要ないでしょ!


「いこ、里田ちゃん」

「は、はい」


 里田ちゃんの手を引いて早足に自室にもどった。

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