第8話 相合い傘

 里田ちゃんと出会ってお勉強会を始める事、一か月。ついに梅雨が始まった。


「あー……憂鬱だねぇ」

「あ、雨、嫌いですか?」

「そうじゃないけど、こうも続くとねぇ」


 里田ちゃんとの関係は順調だ。平日と土曜日を含めて週に三日、毎週お勉強会を開いている。里田ちゃんはとても真面目で、塾の課題も完璧に仕上げた上で私にまで課題を欲しがるほどだ。

 真面目すぎる性格によって、早くも中学の一学期の範囲は終わろうとしている。最初はすごく戸惑っていたものの、途中からコツとでもいうべき何かをつかんだかのように、ぐっと理解度があがったのだ。

 私もそういう経験はある。小学生の時、分数がどうにも理解できなかったのに、ある日急にパズルのピースがはまるように理解ができ、そこからそれまで何に悩んでいたのかわからないくらいあっさり解けるようになったのだ。これが一度でもあると、気持ちよくてもっと勉強したくなるんだよね。里田ちゃんもそんな感じなのだろう。微笑ましい。


 そして順調だからこそ、ちょっぴり天気のだるさに引きずられている今日この頃だったりする。だってさすがに毎日雨だし。雨の中里田ちゃんと待ち合わせするのもちょっとめんどくさかったし。


「あ、そうだ。里田ちゃん。明後日の土曜日あるじゃん?」

「あ、は、はい。土曜日、変更、とかですか?」

「うんそう。あれ、私の家でしない? 車で迎えに行くし。あ、うちの家は実家だし家族いるから変な心配いらないんだけど、家知られたくないなら、最寄り駅とかでもいいけど」


 もう普通に友達なので気にせず誘ったけど、言ってもまだ一か月の付き合い。かつ向こうは未成年。大学と言う半ば公の施設ではなく、個人宅の密室に二人きりだと警戒されるかな、と慌ててフォローする。


「や、山下さんの、お家に? え、い、いいんですか?」

「うん。ごめん、思いつきなんだけど、気を使わせるとかならやめよっか」

「いえ! あの、ぜ、是非、是非! い、行きたい、です」


 戸惑ったようにペンを持った手を浮かせている里田ちゃんに思わず引っ込めようかと思ったけど、どうやら乗り気だったらしい。しかし、是非、とは。え、変に期待されてるかも?

 そうだ、これが里田ちゃんの初めてのお友達のお家訪問なんだ。これは、はりきらねば!


「うん。じゃあ、そうしよっか。家か駅か、指定してくれたら行くし」

「く、車、運転されるんですね」

「ペーパーじゃないから、安心して命預けてね」


 実のところ他人を乗せる機会はなかったけれど、家族は普通に乗せているし、運転は週に一回程度はしているのでそこそこ自信はある。なのでどんと任せてほしい。

 私の自信満々な態度に、里田ちゃんは特に不安そうな顔をすることはなく頷いてくれた。


「は、はい。あ、えと、場所は、じゃあ、家で、いいですか? マンションなので、駐車場に止めてもらえますし、駅前は、その、とめるところ、ない、と、思いますし」

「おっけおっけ。住所文字で知りたいからここに書いてくれる?」

「あ、はい」


 書いてもらった住所を早速検索する。ふむふむ。あー、この大通りからね。ふんふん。住宅街だからちょっとわかりにくいけど、結構大きいマンションだし、来客用駐車場スペースはわかりやすい感じだから大丈夫そうかも。


「わからなくなったら連絡するから、時間前くらいからスマホ気にかけておいてね」

「わ、わかりました」

「よし。じゃ、途中なとこ邪魔してごめんね。あとちょっとだけがんばろっか」


 今日は平日なので、最初からおやつの時間も抜きでのぶっ通しと言っても、四時前からのほんの2時間ほどだ。

 里田ちゃんの通う塾は曜日選択ができるらしく、五時間目までで早く終わる日に塾を避けて私と勉強する日を平日に二日つくってくれている。ちょうど私の方も午後が空いている日だったのでよかった。もうフルで入っている日はなく半分以上空いているとはいえ、最後のコマに入っている日もあるからね。

 と言う訳で今日はもう半分を過ぎている。あと少しだ。私の方はこの一か月で、ある程度は今後の予習までできているので、過去の勉強をし直したりしている。

 今は中学レベルなので普通にわかるけど、高校生レベルになっていくと公式とかでもつかわないのはわすれていっているだろうし、里田ちゃんに教えれるよう今から備えているのだ。改めて自主的に勉強するとまた新しい発見もあったりするし、趣味も兼ねている。


 そんな訳なので、里田ちゃんに教えている傍ら、私は私で勉強をする。ちなみに高校のがひと段落ついたら、今度はTOEICとか資格系に挑戦してみようかとも考えている。真面目に勉強している里田ちゃんを見ていると、私も勉強したくなるんだよね。


 そうして勉強をしながら、時々里田ちゃんに教えることしばらく。里田ちゃんがきりのいいところまでやったので、今日はおしまいと言うことにする。里田ちゃんは私があげたヘアピンを勉強するときは毎回律儀につけてくれていて、それをそそくさと筆箱に入れている。

 いつもその脱着時、ついつい見てしまうのだけど、毎回少しだけ口元が微笑んでいるのは私の気のせいだろうか。なんにせよ、可愛い。プレゼントのかいがあるし、なんならもう何種類かあげたくなる。さすがに遠慮されそうだし、何かきっかけもなしにはあげられないけど。


「まだ雨ふってるねぇ」

「えっと、一日降る、みたいですしね」


 片付けが終わったので部屋をでる。図書館の入り口の傘立てから傘をだしつつも、玄関外の雨を見てやっぱりちょっとげんなりしてしまう。


「里田ちゃんの傘、さっきも思ったけど可愛いよね」


 里田ちゃんが使っている傘はその大きな体に見合う、大き目のやつだけど、全体的に薄い水色で中から見ると濃い青の花がたくさん咲いていて、明るい気持ちになる可愛さだ。

 女子高生らしいキラキラした感じはないけど、上品な可愛さだ。まあ大きさ的にそうなってるのかもしれないけど、センスがいいなぁって感じる。


「そ、そう、ですか? お、お父さんから、もらったんです」

「へー、いいじゃん。いいお父さんだね」


 そうですか? と聞き返してはいるけど本人も気に入っているのだろう。嬉しそうに笑みを返してくれる。

 家族仲はいいのかな。よかったよかった。と思いながら私は、どこにでもあるビニール傘を開く。


「げ。うっそでしょ」


 さっき里田ちゃんを迎えに行ったときは何ともなかった傘が、傘立てに入れている間に折れていたし、穴まであいていた。ってこれ絶対だれか交換しただろ! ふざけんなよマジで!


「うぅ。購買で、いやー、でも、残ってるかなぁ」


 今日は午後から降り出しているので、売り切れている可能性も否めない。梅雨なんだから毎日もってこいっつーの。あー、しんどいわ。


「あ、あの、え、駅なら買えると思いますし、その、よ、よかったら、そこまで、一緒に、ど、どうですか」

「え、いいの?」


 駅なら確かに、最悪でも乗り換え駅は地下街ともつながっているし、傘を調達できないなんてことはありえないだろう。とても助かる。

 正直ちょっぴり期待しないでもなかったけど、この雨では濡れる可能性もあるし、図々しいよね、と諦めていたのに。


「は、はい。その、よければ、ですけど」

「ありがとう里田ちゃん! 大好き」

「っ、は、は、はい。その、ど、どうぞ」


 里田ちゃんはそっと傘を私の方に差し出してくれた。傘を受け取り、里田ちゃんに寄り添って頭上にかざす。ちゃんと里田ちゃんの肩まで入るよう傾けるけど、中に入ってみると思ったより大きいので私もちゃんと肩まで入れた。


「じゃ、行こうか」

「は、はい」

「あ、ちょっと里田ちゃん。距離とらないで。ちゃっと窮屈なのはごめんだけど、濡れちゃうから」

「す、すみません。つい」


 一歩歩き出したところ、里田ちゃんが普段歩いているくらいの距離感で後についてきたので立ち止まる。確かにいつもはそうだけど、ちゃんと距離をつめたのでその距離にいてくれないと。

 里田ちゃんは私の言葉に慌てたように身を寄せてきた。そしてなんだか恥ずかしそうにもじもじしている。友達と寄り添って歩くっていう体験がないから、距離感をはかりかねているのかな? 確かに息が合わないとぶつかったりするもんね。


「うん。よかったら腕掴んでくれたら距離感とりやすいと思うよ」

「こ、こうですか?」

「うんそう」


 里田ちゃんは私の右腕をそっと両手でつかんで脇をしめるようにした。何とも可愛らしいものだ。

 そして改めて出発する。ざざざと傘にあたる雨粒の音が、どこか心を落ち着かせる。


「ねぇ、里田ちゃん」

「は、はい」

「歩きにくかったり、濡れたら言ってね」

「わ、わかりました。けど、えと、今は、大丈夫です」

「ふふ。この距離だと、声、よく聞こえて不思議だね」


 雨音がうるさいくらいだけど、肩をぶつけあうほどの距離で30センチも離れていないと逆に反響するようによく声が聞こえる。

 それにやっぱり里田ちゃんは背が高い。座って並んでいるとそれほど意識しないけど、身を寄せ合って立つと明らかに目をあわせようとすると顎を軽くあげてしまうくらいだ。頭一つはないけど、半分以上ある。

 今も傘の中だからか、空間的には私は腕をあげて高く傘をさしているのに、やや首を曲げているのに私の耳元に口があるくらいだ。その位置関係のお蔭で、若干囁かれているような感じさえするので、何だか里田ちゃんがしゃべると背筋がくすぐったいくらいだ。


「そ、そうですね。……あの、山下さん」

「なに?」

「その……いつも、ありがとうございます」


 囁くような声音なのに、どこかまっすぐ投げられたように聞こえた。微笑まれたその顔はいつもより距離が近くて、幼げな輪郭の丸みが愛らしく、それでいてすっと通った鼻筋や丸く人を魅了する瞳が美しさを強調する。前髪がおりていても、その下をよく知っている私には素顔と変わらないほど透けて見える。

 なんて可愛らしい顔立ちなのだろう。改めてそう感じて、何だか無性に恥ずかしくなってしまう。


 いかに私より高身長で大人みたいな体つきでも、年下にはかわらない。友達でもあり、美少女ではあってもそれ以上に妹分のような可愛い子だった。

 だけどなんだか今、そんなことは何もかも関係なく、純粋に、美しいと感じた。それが何故か、とても卑しい感情のように思えてしまった。

 美しいものを美しいと思うのは、何もおかしなことではないはずなのに。


「そ、そんな、改まることないって。全然、その、私も、里田ちゃんと一緒に過ごして楽しんでるし」


 まるで里田ちゃんみたいにどもりながら答えてしまった。そんな私に、里田ちゃんは少しだけ首を傾げた。

 そして無意識だろう。私の二の腕を握る手に力を込めた。里田ちゃんの胸元に押し付けられるように。見た目以上に柔らかい感覚に、何とも言えないむずがゆさを感じてしまう。


「さ、里田ちゃん」

「あ、は、はい。なんでしょう」

「うん、あの、この相合傘も、他の人とはしないようにね」

「え、あ、はい。わ、わかってます。山下さんは、えへへ、特別、ですから」

「う、うん。そうだね。ありがとう」


 なんだか、とても悪いことをしているような、そんな気になってしまった。

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