第4話 自習室

「あ、里田ちゃーん」

「! お、おは、おはよう、ございます」


 いつもの神社よりは大学の入り口側、だけどその少し手前のバス停にやや近く、大学に用事があるのかバスを待っているのか判断が付かないような、そんな曖昧な地点で里田ちゃんはそわそわしていた。

 今日は先を越されてしまった、と思いながらきょろきょろしている里田ちゃんに手をあげて声をかけると、里田ちゃんは駆け寄りながら元気に挨拶してくれた。


「おはよ。今日も制服なんだ」

「あ、は、はい。その、き、気合が、あの、は、入るかと、思って、お、おかしいですか?」

「いやいや、全然大丈夫だよ」


 休日なので私服が見れるのかなー? 里田ちゃんのお母さんのセンスはどんなのかなー? とちょっぴり想像していたけれど、制服は高校生にとっての正装なのだ。もちろん問題はない。

 いつもの鞄を背負った里田ちゃんは背を丸くして伺ってくるので、軽く鞄ごと背中を叩いて元気づける。


「いつも通り可愛いよ。じゃ、行こうか」

「あ、は、はい」


 里田ちゃんをつれて大学に入る。守衛のおじさんは顔をあげたけど、軽く会釈すれば里田ちゃんを呼び止めることもなかった。

 やっぱり制服で身元がはっきりしてるしとめないらしい。びくびくしながらおじさんを見ていた里田ちゃんは、まるで警官に声をかけられなかった不審者のようにあからさまにほっとしている。


 図書館は入ってすぐ左手側の建物だ。外部の人も利用しやすいよう、逆に奥の立ち入り禁止の研究施設に入れないよう、そのあたりは区域がわけられている。

 右手側の一階が食堂で、二階にカフェテラス、上階は一般授業の教室群となっている。さらに奥に生協の販売所と野外ステージにもなる中庭を挟んで体育館や講堂、その他研究棟などがあり、手前の建物のみが一般人立ち入り可能区域だ。と言っても、明確に各建物を見張っている人なんていないし、テープや門で区切られている訳でもないのだけど。

 自転車通学者は駐輪場の関係上、裏口から入らないといけないので、一般教室棟から少し遠いのが難点だ。


「こ、ここが大学図書館ですか。す、すごいですね。学校の図書室と全然違います。なんていうか、えっと、ふ、普通の図書館、みたいですね」


 入り口すぐの飲食可能な休憩所をこえて、持ち出しを阻む金属ゲートをこわごわくぐった里田ちゃんは、普通に右手側にしっかりした受付があって奥に本棚が並ぶ図書館を見てそう言った。

 そりゃあ、高校までのはあくまで図書室と言う名前にふさわしい、一室なのが大半だ。受付だって図書委員がしているし持ち出し禁止も厳しいものではないので、全然違うだろう。


「まあ、そうだね。規模が違うね。ここはあくまで一般開放しているから、普通に利用する分には入れるけど、もし本を借りるとかしたいなら、学生証だせばカード作れるよ。どうする?」

「あ、つ、あ、あ、後で、後でお願いします」

「そっか。まずは席について落ち着こうか」

「は、はい」


 なれない場所にまだまだ緊張している里田ちゃんを落ち着ける為、奥の自習室に移動する。いくつかあるけれど、テスト前でもなんでもないさらに休日、パソコンのない自習室は大半が空いていた。

 一人静かに作業をしている人がいると教えるとはいえ話しにくいので、数部屋単位で誰もいないのはありがたい。


「一番奥の部屋にしようか」

「は、はい」


 トイレとかで席を外したとき、里田ちゃんはどの部屋かわからなくなっても他の部屋を覗くのは勇気がいるだろうから、わかりやすい奥の部屋にした。少し遠くて本を取りに行くのが面倒だから普段は使わないけど、静かでよさそうだ。

 部屋に入って荷物を机に置く。端に返却用本棚がある以外は机と椅子があるだけのシンプルな六畳ほどの部屋だ。しっかりブラインドが閉まっているので少し薄暗い。電気をつけてから換気の為窓を少し開ける。


 里田ちゃんはまだ緊張しているようで、落ち着かない様子で鞄から勉強用具をだしてからもそわそわしている。苦笑しながら隣に座り私も荷物を並べる。


 すでに里田ちゃんには今塾で習っているテキストを見せてもらっている。里田ちゃんのレベルにあったものと言うそれは、教科によって若干の差はあるけど普通に中学生入学レベルだった。塾に行くだけ行っているけどついていけてないわけではないのはいいけど、どうしてそんなにやる気があるのにこんなになるまで塾に行かずに放置したのかが謎だ。

 塾でちゃんと一から習いなおしているなら、私の授業はいるのかな? と思わなくもないけど、塾はあくまで複数人対応だしね。個人対応の方が分からないことを聞きやすいし利点はあるでしょ。

 本人が教えてくれと言っている以上、そこは気にしても仕方ない。


「じゃあさっそく、問題解いていこっか。わからないところは都度教えるから、言ってね」

「は、はい」


 最初に渡した中学復習用ではなく、中学生の時に使っていた参考書を持ってきたのでそれをしてもらう。

 緊張をほぐすのに少し会話をしてからでもよかったけど、やる気はあるみたいだし実際に勉強を始めた方が、慣れない場所に対する緊張はなくなるだろうし、まず始めてもらうことにした。


 かりかり、と真面目に解き始める里田ちゃん。さすがに中学一年一学期分は習っている部分になるのでスムーズにペンを進めている。

 その真面目な様子を見ていると、とても勉強落ちこぼれには見えない。むしろ問題を解く様も手慣れていて、勉強嫌いにはとても見えない。もしかすると、勉強できなかった理由などがあるのかもしれない。そのあたりは突っ込まないように、普通に聞かれたところだけ教えてあげれば十分だろう。


 ただじーっと見ているだけでは暇だし、里田ちゃんもそれに気づいたら気まずいだろう。私は私で適当に作業をしよう。

 まずは今受けている授業のレジュメの整理をして、ルーズリーフも見やすく書き直そう。見直して忘れている部分は調べて追記すればいいだろう。


 元来はそれほどマメに励む方ではないんだけど、こうも真面目にしている里田ちゃんを前にすると、私もと言う気になるのだ。少なくとも、一緒にいる間は情けないところは見せられないしね。

 調べもの用のミニノートPCはネットにつなげて里田ちゃんの気を散らせないよう反対側の窓際に待機させておく。とりあえず今日のところは授業の見直しだけで終わるだろうけど、以降のことも考えるとやっぱりネットにつなげられ、かつ専門資料がある図書館の自習室が一番いいね。


「……」

「ん? 里田ちゃん、手とまってるけど、大丈夫? わからないとこあったら言ってね? あ、強制じゃなくて、もちろん自力で考えたいなら別だけど」

「あ、お、あの、お願いします。こ、この問題なんですけど」

「あ、これね。はいはい」


 里田ちゃんに教えるのもいい気晴らしになって、私もいつもより集中して作業をすることができた。里田ちゃんの集中力につられる様に真面目にお勉強していると、きりのいいところで不意に空腹を自覚した。時間を確認するとお昼をまわっていた。


「里田ちゃん」

「はっ、はい、な、なんでしょう」

「ごめんね、びっくりさせちゃって」


 軽く声をかけると、よほど集中していたのか大げさな程びくりと肩を震わせながら返事をされた。そのこっちがびっくりしそうな力のはいった返事に、ちょっと笑ってしまった。

 里田ちゃんは私の笑いながらの謝罪に、慌てたように小刻みに左手を振る。


「い、いえ。だ、大丈夫です。あの、むしろ、すみません。変にびっくりして。私、集中すると、びっくりしちゃうっていうか、その」

「大丈夫。落ち着いて。そろそろお昼にしない? ってだけだよ」

「あ。えと。ほんとですね。もうお昼だったんですね」

「そうそう。お腹はへらない?」

「えと……へ、へりました」

「ふふ。じゃあお昼にしよう」


 恥ずかしそうにお腹に手を当てて申告する里田ちゃんに、くすっと笑いながら立ち上がり、手を出した。おずおずと出される里田ちゃんの手をつかみ立ち上がらせ、勉強道具はそのままに軽くなった鞄だけ持って食堂に向かった。


「何が食べたい? 奢るからね」

「あ、あ、いえ、お、お金持ってます」


 移動しながらかるーい気持ちでそう、お金は心配ないからね、と言うと里田ちゃんは目を見開いてぶんぶん首も手もふった。


「いいからいいから、お小遣いは大事に残しておきなよ」

「い、いえ。あの、その、ち、父から、あの、と、図書館で勉強するって、言って、千円、もらったので。だ、だから大丈夫です」

「いいお父さんだね。でも学食は500円しないくらいだし、今日頑張る分のご褒美だと思って置いておきなよ」

「あ、あ、ああ、で、でも、あ、あの、えと、わ、私がだします!」

「うーん。じゃあ、うん。それぞれ払うと言うことで」

「は、はい……」


 なんだかこのままでは逆におごられそうだったので、ここは素直に諦めて引いておく。梯子をはずすと里田ちゃんも勢いをなくして頷いた。

 本当に大した金額じゃないし、高校生よりは財力の自信があるのでちょっとした親切心だったんだけど、まさかそこまで抵抗されるとは。里田ちゃんは真面目だなぁ、ほんとに。

 くすりと苦笑しながら、いつになく強い口調だったのを自責しているのかまた妙に縮こまっている里田ちゃんを急かすように手を引き寄せる。


「ま、これからも休日にこうして勉強するなら、どっちかの負担になるのはよくないもんね」

「あ、は、はいっ」


 こちらが全然気にしてないと弾むように声をかけると里田ちゃんは笑顔で頷いてくれた。うんうん。段々馴染んでくれたらいいよね。


 食堂は平日とは比べ物にならないくらい空いていたので、余裕で席を確保することができた。

 里田ちゃんは少し悩んだようだけど、そう時間をかけずにオムライスを選んでいた。卵料理はどこで食べてもそう失敗はないだろうから、無難なチョイスと言えよう。やるな、里田ちゃん。


 里田ちゃんはどちらかと言えば守りに入るタイプなんだなー。まあほぼ見たままか。と思いながら私は日替わりランチを注文した。

 私くらいになるとね、すべてのメニューを食べているし、気に入ったのをリピートしたり味変も一通りしているからね。とりあえず新作や日替わりばっかりしてしまうんだよね。


 今日の日替わりはフライ定食。メンチカツとアジフライとコロッケで、小鉢がついている。見た目に派手さはないけど、いいんだよ。こういうので。欲しかったらエビフライ定食とかにするもん。日替わりはこういう、余ったやつにしました、みたいなのがいいんだよ。


 と心の中で総評しながら食べる。ちゃんと注文の度に揚げなおしてくれているので、サクサクでソースがしみ込んでじゅわってなるのが美味しい。あー、たまらん。やっぱ揚げ物は元気が出るなぁ。

 にしても、里田ちゃん、食べ方まで可愛いな。なんていうか、スプーンですくうのにも半分くらいしかのってないって言うか、私はつい全体に山のようにすくって頬張るので、あー、女子―って感じがする。私より体は大きいのに小動物感あるよね。


「ねぇ里田ちゃん」

「あ、は、はい。なんでしょう」


 午後にも勉強を再開し、ずいぶん里田ちゃんも慣れてきたようだ。合間合間に教えたり、お互い自分のタイミングで離席したりして、なんとなく空間になれてきたというか、少なくとも呼びかけてもびっくりしすぎていない感じだ。


「ちょっと休憩しない? ちょうどおやつの時間だし」

「あ、は、はい。そうですね」

「ん。おけ。いこいこ」


 里田ちゃんを連れて購買に移動する。生協が運営するコンビニみたいな感じであるので、そこそこの規模だ。


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