第2話 一号

「……失礼しまーす」


 昨日は雨が降っていたし、普通に里田ちゃんが座っていたからナチュラルに奥に座っていたけれど、冷静に考えると本殿のすぐ隣に勝手に座るのはいいのだろうか。

 と思い、誰にともなく挨拶しながらもすれ違いたくないので昨日と同じ場所に腰かけた。


 昨日が確か16時前だったので、時間はかなり早い。お昼を食べてそのままやってきたので早すぎるくらいだろう。わかっている。でも図書室で本を借りたので、そのまま読んでいるなら場所はどこでも同じだ。

 今日は一日予定もないので、このままだらだらしてしまおう。とはいえ、ラノベとかだと里田ちゃんの前で大学生の威厳がなくなってしまうので、一応受講科目に関係のあるものだ。著名な研究者の自著伝だ。理論を覚えるのに一役買うし、個人的にも楽しめるので一石二鳥である。


「……ふぅ」


 と思って読書をすること、2時間。時間は14時過ぎ。まだまだ時間はあると言うのに読み終わってしまった。周りが静かで程よくスペースもあって姿勢を変えながら自由に読めるのもあって、ついつい読み進めてしまった。もちろんそれ自体はいいことなのだけど、時間が余ってしまった。


「……」


 本を置いて後ろ手をつき、ぼーっとしてみる。今日は実にいい天気だ。本を読むとつい熱中してしまうけど、空を見るのも嫌いではない。むしろ好き。雲の流れを見ると心地よい。

 つい一面的にみてしまいがちなのだけど、雲によって流れの速さが違うのとか、形状だけではなく種類が違うのとか、奥行き、ひいては世界の大きさを感じて好きだ。


 今はそうでもないけれど、高校時代までは興味のない授業中はつい窓の外を見てしまっていた。クラス替え後は、山下なのでほぼ百パーセント窓際の最後列だったので。


 そのまま足元をぶらつかせる。長くいたことで、この空間にも慣れてきた。母方の実家の縁側にいるかのような安心感である。ほどよく街の音と、すぐ近くの木々の音が混じり合って耳を優しく撫でるようだ。

 手をつくのをやめて、そのまま後ろに倒れこんだ。屋根の裏側、特徴的な造り。木造独特の、少しかび臭い匂いがすぐ後ろからしてくる。


 目を閉じる。昨日とはうってかわってぽかぽかとした日差しが膝下を照らして濃紺色のズボンを温めるの。かすかな風が額をくすぐる。鞄を頭の下にひいて、アラームをセットする。一時間くらいならゆっくりしても平気だろう。


「……」

「……」

「……はっ」

「わきゃっ」


 ちょっと休憩。と目を閉じて、寝ているのかいないのか自分でもよくわからない程度じっとしていたのだが、不意に体がびくついて目が覚めた。

 う。鞄が高かったのもあり、微妙に肩がこった。ただゆっくりしている分には心地いいかと思ったけれど、やっぱりこんなところで寝るのは無理があったか。


 飛び起きた勢いで肩を動かして背中まで筋をのばしながら、そう言えば今なんか声がしたような? と思って左を振り向く。


「あ、あわ、あ、お、おはようございます……」

「あ、あー、おはようございまーす。里田ちゃん早いねー」


 里田ちゃんが来ていた。おかしい。アラームに気付かなかった? とちらりとスマホを確認するが、まだ30分ほどで15時にもなっていない。いや、本当に早くない?


「あ、は、はい。今日は、五時間目までだったので」

「そっかそっかー」


 と相槌をうちながらさり気なく身支度を整える。いきなり大学生としての威厳が0になってしまった。失敗したなぁ。

 と言うか、高校って五時間目で終わることあったっけ? 基本六時間で週一で七時間だったような。まあ、友達のところで八時間のところもあったし、高校は義務教育じゃないからばらばらなのかな。


「えと、お、お隣、失礼してもいいでしょうか?」

「どうぞどうぞ。いやー、カッコ悪いとこ見せちゃったね。はずかしー」

「い、いえ。その……か、可愛らしかったと思います」


 う。胸がいたい。子供にものすごい気を使わせてしまった。

 里田ちゃんは昨日の、まるで雨にぬれた捨てられた子犬のような力ない様子とは違い、年頃の少女らしい遠慮がちながらも距離感の近い感じですっと隣にすわってきた。ごく普通の隣。普通にすっと肩を叩けそうな距離だ。


「ありがと。里田ちゃん」

「い、いえ。えと。あの、これ、ありがとうございました」

「わざわざありがとね」


 そそくさと取り出されたタオルを受け取る。と言っても、昨日の透明なナイロン袋に入れていたのと違い、紙袋に入っているので見えないけど。すごく丁寧にしてくれている。どこにでもあるタオルなので申し訳ないくらいだ。

 できるだけ丁寧に鞄に入れる。あ。鞄の中身見られてしまった。でも今日はゴミはいってないし。大丈夫だよね?


「えっと、里田ちゃん。飴、よかったら食べる?」

「あ、は、はい。その、み、ミカン味でお願いします」


 どうやら里田ちゃんはミカンが好きらしい。いいよね、ミカン。私も好きだよ。昨日に引き続いて飴をあげる。里田ちゃんは昨日よりずっとリラックスした表情で受け取ってくれた。


「あ、ありがとうございます」

「いいんだよー。そんな大げさにお礼言われることじゃないしね。喜んでくれるだけで十分」

「は、はい。……えと、山下さん、はそこの大学部の方なんですよね」

「そそ。てか、見たことある制服だし、里田ちゃんもそこの学生だよね?」

「あ、は、はい。そうです」

「だよね。いいとこのお嬢さんって感じだもんね」

「そ、そそ、そんなことは……」


 否定しているけど、私立の高校に通っているのだからお嬢さんだろう。私が通っているのは偏差値高めの私立大学で、幼稚園からある歴史ある学園だ。とはいえ大学に無条件でエスカレータと言う訳でもないし、大学からでも十分間に合う学校なのだ。

 高等部までは偏差値も普通だったはずなので、あえて高校から入るのは十分お嬢さんだろう。なんなら幼稚舎から入ってる可能性もある。まあ本人が否定しているのだし、ここはそっとしておこう。


 わたわたと手を振って否定する里田ちゃんだけど、気になるのが前髪が長いことだ。もちろん昨日もながかったけど、てっきり普段流したり留めたりしているのだと思っていたので、普通に乾いている状態で目を隠すほどの前髪は長すぎる。

 でももしかして眼鏡するほどではないけど目が光に弱くて、とかかもしれない。単にファッションだとしたら余計なお世話が過ぎるだろう。ちょっと気になるので聞いてみよう


「里田ちゃんて可愛いよね。なにかファッションにこだわりとかあるの?」

「ふぇ!? か、かわ、え? わ、私に言いましたか?」

「いやー、里田ちゃんしかいないと思うのですが。スタイルもいいし、美少女って感じだし、そんなびっくりしなくても」


 かるーく聞きながら、私服について聞くのはセクハラって思われないよね? とびくびくしていた私だけど、まさかの里田ちゃんの方が倍以上びくびくしてきた。

 飛び上がるほど驚いた里田ちゃんは周りを見渡すと言う小ボケまでしてくれたけど、まあまあとなだめるように手を振りながら言うとさすがにこっちが普通に本気で言っているとわかったみたいだ。


「わ、私が、び、びしょ、うじょ? えぇ……あの、山下さん。褒めてくれるの、嬉しいですけど。そんなありえないこと言われると、ちょっと、困る、です」

「え? いや、えー? 自己評価低すぎでしょ。絶対可愛いって。あー、まあ前髪長いしちょっと見えにくいけど、普通に雰囲気だけでも可愛いでしょ。だから私服どんな系なのかなーってちょっと聞いただけだよ? 嫌なら全然、答えなくていいんだけどね?」

「……そ、え、と、あの、私服、は、別に、ふつーです。自分では、あんまり買わないので」

「あ、そうなんだ。可愛いのに興味ないの勿体ないけど、でも私も昔はそうだったし、そんなものかな」


 高校生にもなって親に買ってもらっているのは、正直に言えばかなり興味のない子なんだな、とは思うけど。でも悪いことではない。私もそんな熱心ではない方で、中学までほぼ親に言われるままで、今もシンプルなのばかりだし。

 むしろ、こんな抜群のスタイルもっててもそんなファッションに興味ないことあるのか、と親近感すら持ってしまった。でもそうなると、前髪が長いのはファッションではないのか。

 まあ、それこそよく見えないしパッと見はくりっとしたいい感じの目にみえるけど、一重なのがコンプレックスとかかもしれないし、聞かないでおこう。


「そ、そうですか……あの、大学って、大変ですか?」

「え、まあ、多少はね。もしかしてお勉強苦手な感じ?」

「えっと。と、得意ではないです、一応、大学は同じところに行くように、お父さんは言ってますけど。えっと、母校だから、って」

「そうなんだ。里田ちゃん的にはそこでいいの? 他に行きたい大学とか」

「か、考えたことないです」


 ふむ。考えたことない、と言うことはまだ受検目前ではないと言うことだ。二年生でもそろそろ気に掛けるはずだから、本人がまだ呑気そうな感じの表情で言っているので、これは一年生だろう。

 はー、一年生で、このスタイルだったのか。なりたてだから15歳。5歳差か……。世の諸行無常を感じるわねぇ。


「や、山下さん?」

「あ。はい」


 思わず里田ちゃんのスタイルと自分を比べてしまった。今までそう気にしていなかったけれど、うん。80点で満足していても、目の前で120点をちらつかされると、ちょっとはやっぱり気になってくるね。


「よかったらだけど、私が受験で使った参考書あげようか? 使いさしって思うかもしれないけど、ポイントとかチェックしてるから、新品より価値あると思うけど。それで受かったわけだし」


 私の高校時代の後輩たちにあげる機会がなく、大学の後輩は当然必要なく、何となくもったいなくて捨てずに持っている。慌てて捨てるほどではないけど、欲しいと言ってくれるならいくらでもあげたい。


「え、えと……じゃあ、お願いします」

「ん。おけ。じゃあまたここで。次はいつ大丈夫?」


 若干押しつけがましかったかな? とは思ったけど、最終的には里田ちゃんも頷いたし、何より実際役に立つしね。結構高いものだからこそ、後輩になるだろう里田ちゃんに使ってもらえるなら未練もないし。


「わ、私はいつでも大丈夫です」

「ほんとに? 友達とか、習い事とかはないの?」

「ろ、六時から塾があるだけです。と、友達は、いないので」

「あ、うん」


 い、言いにくいことを言わせてしまった。めちゃくちゃひきつったような笑みになっている。しまった。もしかして前髪が長いのは視線を合わせないようにするため!?


「まあ、あれだよね。じゃあ私が里田ちゃんの友達一号なのかな? 光栄だな」

「えっ」

「あ、あ、ごめんね、なれなれしかったね。一号は厳選したいんだよね?」


 とりあえず勢いで空気を軽くしたかったのだけど、ぎょっとしたかのように前髪越しでもわかるくらい目を見開かれてしまったので慌てて謝る。

 勝手に友達いない=寂しいよね。立候補します! ってしてしまったけど、単に友達のハードル高くしてるだけかもしれないのに失礼だったよね! 好んで一人なのだとしても全然いいもんね! 私も一人でぼーっとするの好きだしね!


「い、いえ! あ、う……と、とも、友達って、な、なれたら、うれしい、です」

「え、あ、ほんと?」

「は、はい!」


 今までで一番勢いこんで返事をしてくれたので、嘘ではないのだろう。きっと純粋に驚いただけなのだろう。よかった。

 ほっと胸をなでおろし、それから、恥ずかしくなってしまう。軽い調子だから言えたけど、言葉に出して真剣に友達宣言するのは、なんだか恥ずかしい。それに里田ちゃんが真剣だからこそ、なんだか申し訳なくもなる。

 だけどもちろん、嫌なわけではない。会ったばかりだけど、普通に学校で今日から同じクラスだねよろしく、でも普通に友達だと思ってるしね。あえて口に出すから抵抗あるだけで、全然これからも里田ちゃんとちょくちょく会おっかってのはありである。


「じゃあ改めてよろしくね」

「は、はい。……えへへ、嬉しい、です」


 里田ちゃんはそうはにかんで微笑んだ。

 きゅん。としてしまった。現役美少女女子高生、つよい。可愛さが強い。えー、これ私が女子高生のときもこんな感じだったのかなー? いやまあもちろん、美少女度は違うけども。


 成り行きなのは否めないけど、可愛い子と友達になれたのは嬉しい。そもそも大学生になって高校生と出会うなんてなかなかないしね。後輩はいても、それよりさらに年下の女の子なので、それだけで可愛らしいと言うものだ。

 友達一号と言うので喜んでくれているみたいなのも嬉しいし、うんうん。できるだけ可愛がってあげたいと言うものだ。


「じゃあ、よかったら参考書だけじゃなくて勉強も教えようか? 高校一年生なら、まだ受験までまだまだだろうし、そんな気にはならないかもだけど、苦手なところだけテスト前とかでもいいから気軽にいってね」

「あ、は、はい……えと、はい。お願いします」


 里田ちゃんは私のお節介な提案に戸惑ったようで微妙な表情をしたけど、そう頷いてくれた。

 あ、あれ、ちょっと早まったかな? と思いつつも、とりあえず帰ったら参考書を引っ張り出さないと。どこにしまったかな? と記憶を探った。

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