第14話 物語のスペシャリスト

 『やあ、最上もがみ君。新作の漫画が出来上がったと聞いたのだが、僕に一冊売ってはくれないか?』


 『あぁ、皇月こうづき君。いつもありがとう。今回の作品はなかなかの自信作なんだよ』


 最上はカバンからお手製の漫画本を取り出すと、それを僕に手渡した。


 『ほう、それは楽しみだ。支払いは、これでいいかな?』


 普段お金を持ち歩かない僕は、最上の漫画の最新作が出た時だけ、ポケットに100円玉を突っ込んで登校する。


 その100円玉を最上に渡すと、


 『お買い上げありがとうございます。確かに受領致しました。今後とも宜しくお願い致します』


 彼は、これまたお手製の領収書を僕に手渡す。


 最上もがみしるし



 僕のクラスメイトにして若き天才漫画家。


 世界はまだ彼の存在に気が付いていないけれど、もう3〜4年もすれば、間違いなく彼は日本を代表する漫画家になるであろう。


 日本のマンガは今や世界中で愛好される、国を代表する主要産業だ。


 スポーツやエンターテイメントの分野で、世界に羽ばたく日本人も最近は増えたけれども、やはりスポーツはアメリカや欧州には敵わないし、エンターテイメントでは、国を挙げて物凄いスピードで成長を続ける韓国に遠く及ばない。


 やはり、日本が世界で天下を取れるとすれば、クールジャパン戦略の中核を為す漫画をおいて他にないだろう。


 もう5〜6年もすれば、最上は漫画で世界の頂点に立ちうる。


 彼の漫画には偽物じゃない、確かな本物の【力】が宿っている。


 【力】の宿る物語は、望んで創ろうと思っても創れるものではないのだ。


 そんな彼の漫画を、たった100円で購入出来るなんて、それだけでも僕は、この学校に進学して良かったと、心の底からそう思う。


 僕はエンターテイメントが大好きだ。


 六千年生きても、人の創り出すエンターテイメントに飽きるという事は決してない。


 僕は全てのエンターテイメントと、日夜それを創り出す全てのクリエイターを愛してやまない。


 エンターテイメントは、一見すると、人間が生命を維持する上で、別に無くても困らない様に思われる。


 食べ物は無くては生きていけないし、極寒の地では、寒さをしのぐ為の頑丈な家と暖房設備が無ければ、たちまち凍死してしまうだろう。


 それに引き替えエンターテイメントはどうだ?


 別に無くても餓死する事は無いし、南極大陸に素っ裸でエンターテイメントだけを持って降り立ったなら、あっという間に凍死してしまう。


 では、エンターテイメントはこの世界に必要の無いものなのであろうか?


 答えは否。


 エンターテイメントは、人が生きていく上で、なくてはならないものなのだ。


 人間と畜生どうぶつを分けるもの、それは【想像力】であり、【創造力】なのである。


 想像力があるから、人は他者を思いやる事が出来る。


 創造力があるから、人は芸術を創り出し、他者に想像力を与える事が出来る。


 【想像力】と【創造力】が失われてしまったならば、忽ち人間は、命のサイクルを回す為の小さな歯車に成り下がってしまう。


 人を人たらしめるもの、それがエンターテイメントなのである。


 なればこそ、クリエイターは命懸けでそれを生み出すし、消費者はそれに熱狂し、新たな想像力を手に入れるのだ。


 未来を創ると言ったら、やはり科学であるというイメージが先行する。


 確かに、科学は未来を創る技術の一つである事は間違いない。


 だが、科学だけでは決して未来は創れないのだ。


 科学とは、物語に描かれた【夢】や【理想】を現実の世界に実装する為のツールにすぎない。


 クリエイターが新しい世界を創造しなければ、未来はいつまでたってもやって来ないのである。


 最上から受け取った領収書をポケットにしまい、自分の席へ戻ろうとした所で、


 『皇月こうづき君。実は、君に話しておきたい事があるんだ』


 と、最上が話しを切り出した。


 『話しとは、なんだい?』


 最上から話し掛けてくるなんて、珍しい事もあるものだ。


 僕と彼はあくまで、クリエイターと消費者という関係だ。


 それ以上でもそれ以下でもない。


 だから必然、これまでに日常会話など交わした事は無いのである。


 『実は僕、この作品で漫画家を引退しようと思ってるんだ』


 『あぁ、そうか……。へぇぇぇ〜!!今、なんて?』


 待て待て待て。


 今こいつは何と言った。


 インタイ。


 インタイとは引退の事か?


 漫画家を引退。


 まだ何も始まっていないのに、お前はこれから始まって、そして世界の頂点へと上り詰めるはずなのに、なぜ今、このタイミングで引退するのだ?


 お前の前には世界の頂点へと続く道が開けているんだぞ。


 それは誰もが歩める道では無い。


 お前には、その道を歩んでいく義務があるんだ。


 なぜせっかく人間クリエイターに生まれたのに、自ら畜生消費者になる道を選ぶのだ?


 お前には畜生消費者として企業に就職し、経営者ブタを肥えさせる為の意味の無い思考停止作業に明け暮れるだけの畜生消費者としての人生は向いていない。


 『いやっ何言ってんの?普通にダメだぞ!やめんなよ』


 『ダメって、それを決めるのは僕だろ?確かに君は僕の漫画をずっと愛読してくれた、僕の大切なファンだけれど、でも、僕の人生を決めるのは僕だ。もう漫画を描く事は無理なんだよ』


 『いやっ無理無理無理。僕が無理だから。それに君の人生は君一人で決めて良いものじゃない。君が漫画家の道を歩まなければ、それによってこの世界が受ける損失は、あまりにも大き過ぎる。君が君だという理由で君が君の生き方を決めて良い道理など、この世界には存在しないのだよ』


 当たり前だろ?


 最上もがみしるしの人生は、もはや彼一人のものではないのだ。


 彼の選ぶ道一つで、人類の未来が大きく左右される。


 『そもそも、なぜ漫画家を辞める等という愚かな選択に至ったんだ?君には才能があるし、何より、君は漫画を描く事が生き甲斐という男じゃないか?』


 好きな事と得意な事が一致する人間は稀有なのだ。


 更にそれをマネタイズ出来る人間のとなると、ほぼゼロに等しいと言っても過言ではないだろう。


 せっかく好きを仕事に出来るのに、君はこの世界で何も妥協せずに生きていけるのに。


 なぜ自らそれを捨てる。


 あまりにも愚かに過ぎるではないか?


 『物語じゃ世界は変えられない。僕がどれだけ素晴らしい漫画を描いた所で、世界には生きるので精一杯で漫画を目にする事も無く短い命を終える子供達がいる。この世界に溢れる悲しみは、僕の漫画じゃ消し去れない』


 『ならばどうする?お前に何が出来ると言うんだ?』


 『えっ?』


 『漫画を描く事をやめて、お前はこの世界からどうやって悲しみを消し去るって言うんだ?何か具体的な案があるのか?』


 『それは、まだ分からないけど』


 『無理だね』


 想いだけでどうにかなる程、この世界は甘く無い。


 『君には、この世界の悲しみを消し去る事等出来ないよ』


 『そんなのやってみないと分からないじゃないか?』


 『わかるさ』


 もう何回もやってみたさ。そして、今だってやっている。


 『自分の物語せかいを信じられない奴が、現実なんて変えられる訳もない』


 なぜこんなにも美しいお前の物語せかいを信じる事が出来ないのだ?


 『君の物語には世界を変える力がある。確かに、今すぐに世界を変える事は出来ないし、きっと、君が生きている内に世界から悲しみが消える事はないだろう』


 残念だが、それは事実だ。


 『でも、いつか君の創る物語が多くの人の心を動かし、また新たな物語が生まれ、そうやって脈々と受け継がれた意志が、遥か遠い未来で必ず花開く』


 人はみな焦り過ぎている。


 自分が自分がと我を通して、人生での成功や幸せを求めてしまう。


 でも、それは無理も無い事だ。


 なぜなら、人生は驚く程あっという間に終わってしまうのだから。


 だけれど、焦っていたら、本当に大切なものを見逃してしまう。


 幸福の青い鳥のように、本当に大切なものは、自分のすぐそばにあるものなのだ。


 『そしていつかこの世界から悲しみが消えさり、全ての人が幸せに生きられる世界がやってくる。必ずだ。賭けてもいい。だから君は漫画を描き続けろよ。それが、君の生まれた意味なんだから』


 『僕の、生まれた意味?』


 『そうさ』


 最上標は、僕の目を真っ直ぐ見つめて、


 『うん、そうだね。僕の物語を僕が信じてやれないなんて嘘だよな?わかったよ。信じてみる事にする。それにやっぱり、僕が命の全部を懸けられるのは漫画しかないからさ』


 そう言うと、最高にハッピーな笑顔を浮かべた。


 君は、そんな顔が出来たのか?

 

 うん。やはり、間違いない。


 悲しみの無い世界は必ず来るよ。


 それは、君が命を懸ける価値のある、素晴らしい世界だ。


 『そうか、それは良かった。この漫画、楽しく読ませて頂くよ。じゃあ、またな』


 僕は最上に背を向けると、自分の席へ向かいゆっくりと歩き出した。


 今日も僕の愛する物語は、世界を未来へ繋いでいく。


 


 

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