第3話 お兄ちゃんだから問題ないよね
あれから、私はずっとお兄ちゃんと一緒だった。
ご飯を食べるときも一緒。
買い物に行くときも一緒。
寝るときも一緒。
トイレは恥ずかしいからマイクを塞いでドアの外で待ってもらったけど。
「なあ、理抄……さっきから真っ暗なんだけど」
不満そうな兄の声がスピーカーから聞こえる。
「いま服を脱いでいるから我慢して……それとも妹の裸が見たいの?お兄ちゃんのえっち」
「なんで脱いでるんだよ」
お兄ちゃんは変なことを言う。ここはお風呂場の脱衣所で、いまからお風呂に入るんだから服を脱ぐのは当たり前じゃない。
着ていたものをぜんぶ脱いだわたしは兄を抱えて風呂場に移動した。
身体を洗ってお兄ちゃんと一緒に湯船に浸かる。
お兄ちゃんとお風呂に入るのは小学生の時以来かも。
「お兄ちゃんと一緒にお風呂入るの久しぶり」
「いや、一緒に入ってたら問題だろ」
「防水だから大丈夫だよ」
わたしだって一緒に入るのは恥ずかしい。
水色の玉子に付いているカメラはテープで塞がれているから大丈夫……ちゃんと塞がれてるよね?
もちろんカメラを切れば確実なのだけど、それはしたくない。
「湯加減どう?」
湯船に浮かぶ兄に聞く。
「何も感じないんだけど」
「そうだった。お風呂上がったら温度センサを付けてあげる」
わたしは話しながらカメラの画角と鏡の位置や水面の反射を大雑把に計算していた。
(うん。この向きなら大丈夫)
「理抄?」
端末を湯船から出して、カメラを塞いでいたテープを剥がす。
「ずっと真っ暗じゃ可愛そうだと思って。あ、でも変なこと考えちゃ駄目だよ?」
「妹に変な気は起こさないから安心しろ」
「そんなこと言って大丈夫?お兄ちゃんがどう感じたかなんて、データを解析すればわかっちゃうよ?」
「俺のプライバシーはどうなってるんだよ」
わたしはお兄ちゃんを挑発するようにギリギリまでカメラの視界に入る。
「どう?ドキドキする?」
わたしはちょっとドキドキしている……癖になったら困るかも。
「さっきの話だけど、データから俺の記憶を見れたりするのか?」
「うーんと、何万種類ものジグソーパズルをバラバラにしてばら撒く様子から、地面に落ちるまでに目的の一枚の絵を想像する感じかな」
「それは難しそうだな」
本当はやろうと思えばできるのだけど。もちろんそんなことは絶対しない。お兄ちゃんの全てを知りたい欲求はあるけど……我慢している。
「でも最近の技術の進歩はすごいな。記憶から人間を生き返らせるようなことができるんだろ?」
「記憶にはその人のこれまでが蓄積されてるし、これからのことも記憶に基づいて判断するからね」
本当は、記憶データだけでは十分ではなく、こっそりお兄ちゃんの行動を記録した秘蔵のコレクションを使った。人は自分のことを意外と客観視できていないからだ。でもお兄ちゃんコレクションのことはお兄ちゃんには秘密だ。
「そろそろ風呂から出ないと、のぼせるんじゃないか?」
確かに少し頭がぼうっとしてきている。
「うん、もう上がるね」
湯船から出ようとして、カメラと目が合った気がした。
(……この位置はだめ!)
ざぶんっ、と音を立てて急いでお湯の中に戻る。
油断しすぎていた。
「見た?」
「何をだ?」
「裸。見たでしょ?」
「湯気で何も見えなかった」
カメラのレンズを見ると確かに湯気で曇っている。
でも、何も見えなかったとも思えない。
(どうしよう。お兄ちゃんに見られちゃったかも)
慎重に風呂から出て、すぐにまたカメラのレンズをテープで念入りにふさぐ。
パジャマに着替えた後、わたしの部屋に移動した。
「今日も一緒に寝るのか?」
「だめ?」
「いいけど。俺一人だと何もできないしな」
お兄ちゃんは布団の上で私に抱かれている。
さっきのお風呂での出来事でまだドキドキしている心臓の音が聞こえてしまいそうだけど、構わず抱きしめる。
「お兄ちゃん、寒くない?」
「なんだか変な感じだ」
温度センサーを取り付けてみたが、実際の身体ではないし、解像度もまったく足りていないのだろう。
「でも、なんだか暖かくて悪くないかもな」
今の兄の本体はここにある球体ではなく隣の部屋にあるコンピュータだ。
兄の身体もどうにかしたいけど、もう少し時間がかかりそうだ。
「寝るまで、お話、しよ」
「そういえば、身体がなくても眠くなるもんなんだな」
「ちゃんと脳の生理的な機能もエミュレートしてるから。睡眠は脳の機能を維持するためにも重要だし」
実際には、兄の思考は人間の脳とは全く別の仕組みで動いている。人間の脳を神経細胞単位でリアルタイムにエミュレートする技術はまだない。量子コンピュータとかを使えばできるかもしれないけど、手法の確立にもう少しかかるだろう。それに今の量子コンピュータは高価すぎる。
デジタル化された兄の記憶と、私が集めた兄のデータから、もっともそれらしい振る舞いを計算しているだけに過ぎない。私はそれを誰よりも理解してしまっている。
それでも兄と同じ振る舞いをするならば、それはわたしのお兄ちゃんだ。
「どうかしたか?理抄」
「なんでもない」
それから、とりとめもなく思い出話をした。
全てストレージ上のデータから再生されたものだけど、それでもそれは確かに私達の思い出だ。
「お兄ちゃん、おやすみ」
「ああ、おやすみ」
こうなったのはわたしのせいなので言ったら怒られるだろうけど、一日中お兄ちゃんと一緒にいられる今は幸せだ。
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