第ニ話
「えっとね、実はこのお店が気になったのよ。周りは新しい建物ばかりなのに、この建物だけだいぶ古い造りじゃない?私の小さい頃を思い出しちゃってね。そしたら雨が振りだしちゃって雨宿りをさせてもらってたのよ」
こんな小さな嘘をつくなんて恥ずかしいけれど、正直に話す方がよっぽど恥ずかしかった。
千代は『ふーん。そっか』と、興味無さげに返す。
『せっかくお店に来てくれたんだから、少しお話しない?』
「ええ。もちろんいいわよ」
にこーと笑って、千代ちゃんは淹れてくれたお茶を差し出した。どうぞと出されたお茶を
――このお茶っ葉、きっと安いわねぇ……
『おばあちゃんってさ、何か悩みとかないの?』
子供にはちょうどいいだろう、薄味のお茶をちびちびと飲む彼女は、突然悩みを訊ねてきた。
この状態になってからの悩みを挙げればキリがないけど……
『ちがくて、このお店にたどり着く人は、みんな悩みごとがあったりするの。んーと、未練ってわかる?それを晴らしてあげるのがお兄ちゃんの仕事なの』
あたしはなにもできないけどね、と、千代ちゃんは後頭部を掻きながら笑っている。
それを聞いて、おかしなことをいう子だと思った。悩みごとを聞いたり、未練を晴らすとか、まるで霊能力者の真似事みたいじゃない――
『あ、お兄ちゃん帰ってきたよ』
このちょっと不思議な女の子のお兄ちゃんとは、一体どんな人物なのか、わたしのことが視える人なのか、久しぶりに好奇心を抱くと、ガタガタと引き戸が木枠から外れそうな音を鳴らし、黒スーツの男性が室内へと入ってきた。
『おや、お客様が来てましたか。お待たせしてしまい申し訳ありません。私、
「御丁寧にどうも。わたくしは神崎忍と申します」
店内の私の存在に気がつくと、大きい体をわたしにあわせるようにその体を小さくさせ、丁寧に挨拶をすると名刺を手渡してきた。
そこには確かに葬儀屋店長と書かれている。
物腰の柔らかさと、仏像を彷彿とさせる微笑に、年甲斐もなく心が高鳴る。
――あら、イケメンねぇ。長身だし……目はキリリとして、声は低いけど張りがあって、まるで歌舞伎役者みたいな男じゃない。
今は亡き旦那のことを忘れ、しばし見つめてしまった。
わたしをしげしげと眺めていた深山さんは、目を鋭くさせ話を続けた。
『失礼ですが……神崎さまは、ご自分が今現在お亡くなりになっていることをご存知ですよね?』
「……え?わかるんですか?」
『このような職業に携わってますと、目は鍛えられますので』
理屈が通ってるような通ってないような理論で、わたしは納得してしまった。
――葬儀屋には必要な能力なのかしらねぇ。
「……なるほど。やはり死んでいるんですよね」
できれば理解したくなかった――薄々気づいてはいたけれど、もしかしたら夢かもしれないと淡い期待をしていたのだが、どうやら、千代ちゃんも深山さんも一目でわたしがこの世の存在ではないことに気づいていたらしい。
深山さん
どんなに説明を尽くしても、やはり死んでいるという事実は受け入れがたく、すぐに受け入れられる幽霊はなかなか遭遇しないとのこと。
そういえば、昔から諦めだけは早かった気がする。
それと、このお店に訪れる幽霊にはある共通点があるといっていた。
それは、未練を抱えたまま亡くなっているということ――
未練とは、生前に晴らさなくては死にきれないと思うほどの後悔を指すらしいけど、その未練を晴らさない限りはどうやら成仏ができないらしい。
もし未練を晴らさないとどうなるのかと訊ねたところ、『生前に体験したすべての記憶を失うだけでなく、中味が空っぽの魂のまま、未来永劫この世をさ迷い続けることになります』と、とても悲しそうな表情で語っていた。
あくまで想像だけど、この人はもしかしたら、そういった救えなかったヒト達を何人も見てきたのかもしれない――あくまで想像だけれど。
『だからこそ、ヒトはヒトとして成仏しなくてはなりません』と、わたしに強く訴えかけた彼の顔が印象的だった。
目の前のお茶が冷めた頃、深山さんはわたしが相談した頭のなかの鍵について説明を始めた。
『神埼さまの説明通りだとしますと……。既に自力で記憶を甦らせるのは困難だと思われます』そこまでいうと、どこから取り出したのか、知恵の輪が握られていた。『その鍵という比喩はあながち間違いではありません。恐らく、よほど思い出したくない記憶なのか、ご自身で無意識のうちに封をしてしまったのでしょう』手元の知恵の輪をかちゃかちゃ外そうと試みるものの、上手くはいかなかったようだ。
『この鍵というのがなかなかに手強く、このままですと、いずれ未練を晴らすことは叶わなくなってしまうでしょう』
「そ、そんな……。どうしたらいいんですか?」
『本来なら認められてはいないのですが、私が直接記憶に介入致します』
そういうと、久しく他人に触られていなかった顔に細長い指が添えられ、顔がぶつかりそうな距離でじっと両目を見つめられた。
『イキますよ』
――嫌だ……恥ずかしいわ、なんて恥じらう暇もなく、一瞬にして意識が暗闇へと落ちていった――真っ暗な底へと――
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