第34話 ドラゴンインフルエンザ

 朝早くに出勤し、コカトリス舎へ向かう。

 昨日のコカトリス騒動の後、家に帰り着替えていたらジャンボミルワームが一匹服からニョロっと出てきて床に落ち、そのままスタコラと逃げられ行方不明になったのだ。夜、寝ている間に体を這い回れたらと考えればおちおち寝れず、お陰で睡眠不足だ。今も部屋のどこかに潜伏しているに違いない。

 全ての元凶はコカトリスを放り投げた子供だが、迷子中の彼を探していた親にこっぴどく怒られていたのでよしとする。だがコカトリス、お前は許さん。盛大にクチバシで突かれた場所がハゲになったらどう落とし前をつけてもらおうか。という気分も半々、どうもコカトリスを朝から見に行きたい気分でもあった。そんなにコカトリスファンというわけではないが、何かに背中を押されているような感じが近い。まぁミルワームの潜む部屋から離れたいのもあって早めに事務所に行き、着替えてコカトリス舎へと急ぐ。


 昨日はコカトリスで賑わっていた広場は足跡を残すのみで他には何もおらず静かだ。広場を突っ切って進み、コカトリス小屋に近づいてもあまり音はしない。まだ寝ているのかと目を合わせないように小屋の中をのぞくと、中にいたコカトリスたちが「グェッグェッ」と鳴き出した。

 可愛くない鳴き声だと思って眺めていれば、奥に一羽、うずくまっているのが見えた。ねぼすけなのもいるんだな、もしや昨日脱走したコカトリスかなと見続け、しばらくして違和感を感じた。動きがまったくない。

「おい、コカトリス……?」

 鍵を開け中に入る。

 うつ伏せのコカトリスをゆさぶってもされるがままだ。仰向けにして目があった。まずい、石化する、と目をとっさに閉じたが何もない。恐る恐る目を開ければ、コカトリスの目に光がなかった。それどころか呼吸さえしていない。サァっと血の気がひく。頭が真っ白になる。コカトリスが死んでいた。

 

「コカトリス翼帯右白個体、死亡を確認」

 横たわるコカトリスの体を触診し、女性獣医の相澤さんが無線で伝える。震える手で事務所に連絡して真っ先に飛んできたのが彼女だった。

「どうして……昨日は元気だったのに……」

「すぐには分からないわ。動物病院に運んで解剖しなければ」

「解剖? 解剖ってお腹の中を開いて調べたりすることですか?」

「ええ、ドラゴンパークで死んだドラゴンはすべて解剖をして死因を調べるの」

「すぐに、ですか? 弔いをしてあげたりとかしないのですか?」

「こうしている間にも遺体はどんどん腐敗していくの。半日も過ぎれば膵臓なんて溶けてドロドロになってしまうわ。そうしたらどうして死んだのか分からないままよ。だから死んだらなるべく早くやらなくてはならない」

 でも……といいかけ、言いたい言葉が言葉にならずに口をつぐんだ。昨日まで動き回っていたのだ。それを死んだからといってすぐに解剖するなんて、理屈は分かるけれどあまりに非情ではないのだろうか。けれどコカトリスを見れば生きていたことをまるで感じさせず、ただ物のように転がっていた。

 死。死というのはもっと深淵の別の世界のものだと思っていた。けれど目の前の死はそんなことを感じさせてくれない。どこまでも乾いた、何かだった。俺も死んだらああなるのかと思うとゾクっとした。

「でもすべてはドラフル検査の結果のあとよ」

「どらふる……? それってなんですか?」

「ドラゴンインフルエンザ、略してドラフル。A型インフルエンザによるドラゴンの病気よ。あと5分ほどで結果が出るはず」

「そのどらふるが死んでしまった原因かもしれないのですか?」

「そうではないと祈っているわ」

「なぜですか?」

「ドラフルはドラゴンに対して致死率七割と非常に高い上に感染力も高い。もしこのコカトリスがドラフルだったらここにいるコカトリス全頭が感染していてもおかしくないほどよ。しかもどこから病原体が来るかは不明。ドラゴン飼育施設で巡り合いたくない病気の一つね」

 他のコカトリスたちを見渡す。そういう目で見れば、元気がないように思える。もしかしたら明日にでも死ぬかもしれないと想像して恐ろしくなり目を背けた。

「昨日まで元気だったのに突然死したことを考えれば可能性はある。でもドラフルの発生例は極めて少なくて、日本では過去に数例ある程度。念のために検査をしているけれど、滅多に見つかるものではないわ。ちなみにこの検査キットに一本線しか出てなければ陰性、二本線が出れば陽性よ」

 相澤さんが床に置いた検査キットを示す。どこかで見たことあるなと思っていたら、ヒト用のインフルエンザ検査キットと似ていた。

「これ、病院で見たことあります」

「原理は一緒だからね。検査方法も人と同じ。さっきコカトリスの口に綿棒で触れていたでしょう?」

 そういえば病院で医者に鼻の奥に綿棒を突っ込まれて検査された覚えがあるなと思って検査キットを見ていると、青い線が少しずつじわじわ浮かび上がって来た。二本だった。色濃く二本の線が検査キットに刻まれた。

「相澤さん、これって……」

 顔をあげ相澤さんの顔を見ると、青ざめていた。

「ドラフル陽性。最悪の状況だわ」

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