第21話 可憐な魔女のリンゴ飴
「ヨハン、助けてよ」
自分で言っておいて、タルトは不思議な気分だった。
何故、今の今まで自分よりも魔法に詳しいヨハンに、新たな魔法を編み出して貰おうと考えなかったのか。
君だけが頼りだとか、君以外には出来ないことだとか、そんなことを言った奴のせいだと思い、
「あの、なんで私に新たな魔法を編み出して貰おうと思ったんですか?」
とそれを言った張本人に聞くと、「君以外にいないからだ」と同じようなことを言われ、
「いや、そうじゃなくて。そうなんですけど。待って、ちょっと待ってください!」
とタルトはノスレックに手のひらを向け、頭の中で思ったことを一度整理する。
「天使様は、ヨハンのお友達なんですよね?」
「少なくとも、私はそう思っている」
タルトは、その言い方に何か引っ掛かるものを感じた。
が、今はそういう時ではなく、
「それでですね。ヨハンが私なんかよりずっと魔法に詳しいことは、ご存知ですよね?」
と話しを進める。
「詳しい、ね。ヨハンは魔法に詳しい訳ではなく、記されていることを知っているに過ぎない」
タルトは眉根を寄せる。
ヨハンが記されていることしか知らないのなら、それではまるで本のようではないか。
いや本ではあるが、ヨハンはそういうのではない。目でそう訴えかけるようにノスレックを見ていると、
「君の目には、ヨハンが感情豊かな一つの生命に見えるのかも知れないが、ヨハンはそのようなものを持ち合わせてはいない。ただの魔導書だ。著者に記して貰ったことだけを知り、記してもらった通りに動き、記された言葉だけを使い話す。生まれたての天使に近いが、そう言っても君には分からんだろう。そうだね。何か新しいものを作り出すことなど出来ない生き物だと考えればいい。君はそうではないだろう?」
かなり難しい話をされ、タルトは頭が痛くなるのを感じた。
しかし、言いたいことは何となく分かり、手を離し、
「ヨハンは、新しい魔法を編み出せないの?」
と聞くと、ヨハンはペンを握ることなく、ただその尻尾を振るばかり。
記されておらず、言葉の意味が理解出来なかったのだろうか。
確かにこれでは、記されていない新しい魔法を編み出すなんて不可能であり、あとがっかりした。
今の今まで、ヨハンのことをどちらかと言えば猫だと思っていたから。
「――いや、待ちたまえ。私は今のヨハンを知らない」
「今の、ヨハンですか? 昔のヨハンと今のヨハンは違うんですか?」
「口止めなどされて、驚いていたのだよ。ヨハン、私は君の頼みを一つ聞いたな。君も私の頼みを一つ聞きたまえ。意味は分かるね?」
それが筋というものだが、記されていなければ意味など分からず、ヨハンは応じてはくれないだろう。
「脅しかよ……」とメイルが言っている理由は不明。
ちょっと気になり、「どういう意味?」と彼に小声で尋ねてみれば、
「応じなきゃ、口止めされたことを全部ばらすぞって脅してんのさ」
意味が分かり、タルトは納得した。
解釈を間違えていたようだ。
ノスレックという男、本当に小難しい。もっと分かりやすく言えという気分だった。
「ヨハン、もう少し分かりやすく言おうか。脅しているのだよ」
言ったよこの人と、もう何が何だか分からなくなっていると、ヨハンがペンを握って文字を書き出した。出来上がった言葉はこう。
『返答がまだだったな。助けてやる』
タルトは驚き、「本当に?」とヨハンに確認したが、その返事が来る前に、
「出来るのなら、この状況をどうにかしろと頼むつもりだったのだが、手間が省けたな。貸しはそのままにしておこう」
とそんなことをノスレックが言ったせいか、ヨハンは『ふざけんな』と慌てて書いて、勢いよく飛んでいってしまった。
タルトは、くつくつ笑う。
可笑しくて、希望が見えた感じがして、ヨハンならきっと、この状況を何とかしてくれそうで、明るい声で名前を呼び、戻ってきた相棒にタルトはこう聞いた。
「どんな風に助けてくれるの? 私は何をしたらいい?」
ヨハンの返答は、『さっきの魔法に改良を加えてやる。持ってもう一度使え』
「ヨハン、そんなこと出来るんだ。残り五点、全部いけそう?」
『大船ではない、ノアの箱舟だ』
意味の分からない返答を貰ったが、ヨハンはどこか自信あり気で、
「任せたよ」
とタルトは一言告げ、ヨハンを右手で持って意識を集中、左手の手のひらを上に向け、今度は全部揃えて完璧に唱えた。
「斬られた魂をくっつけろ〈魂の飴〉」
同じ手順で一塊の魂が作られ、林檎の形に形成された。
そして、それを灯属性の魔力が包み込むと、手のひらの上にポンとその林檎が出てきて、ガバっと口を開ける。
その口は、ギザギザしていて恐ろしく、タルトは思わず顔を引きつらせ、
「――なんか、凄いね。これ、飴?」
と聞くと、手からヨハンが離れていき、直ぐにこう書いた。
『溶ける。さっさと爺の魔力をどけろ』
一瞬意味が分からずきょとん、直ぐに林檎を包む魔力が毒になるからだと気付き、タルトは慌てて駆け寄り、アルバークの魔力を操り外に出し始める。
かなり危うい状態であるせいか、彼の体内にはそれほど魔力がなく、作業が手早く終わったのは良かったが、キャンドルの泡も魔力で構成されているはずであり、何故大丈夫なのだろうかとの疑問もその時湧き、終えた直後、唐突にヨハンに手を挟まれて、
「痛い痛い! ちょっとヨハン!」
と悲鳴を上げた瞬間。
左手の林檎が勝手に離れていき、アルバークの体内に侵入すると、彼の魂に齧り付く。
同時、凄まじい叫び声が上がって、タルトは驚きのあまり腰を抜かしてしまい、トテンとその場に尻餅をつく。
その眼前では、林檎が、何度も何度も、執拗に魂に噛み付いていて、その度に絶叫が上がって、アルバークを揺するレイラも喉が張り裂けんばかりの叫び声を上げていて、意図せず惨事を引き起こしてしまったタルトは、音を立てそうなほど緩慢な動きで首を動かし、ヨハンを見る。
こんな魔法を編み出し、あまつさえ使ったヨハンを責めたい気持ちがあってのことだ。
しかし、今はそんなことをしている場合ではなく、早くアルバークを助けなくてはいけない状況であり、それを分かってはいるのだが、タルトは何も出来ずにいた。
頭が真っ白だったから。
それはこの場にいるほとんどの者がそうで、しかしただ一人、冷静に成り行きを見守っていた男が、静かにこう言った。
「ふむ。これは凄い。随分手荒だが、溶け混ざり、治っているように見える」
彼の言葉で、一番に立ち直ったのはメイル。
「本当かよ。これでか?」
「ああ。ただ魂を傷付けられるというのは痛みを伴うものでな。あの歯で何度もやられては、堪ったものではないだろう。強烈な痛みで気を失った瞬間に、また同じ痛みを与えられて叩き起こされ、気を失い、そして起こされる。想像を絶する痛みに苛まれ続け、魂が修復される前に心が先に死を迎え入れてしまい、そのまま、ということもあり得るが、まぁ治ってはいるね」
「――いや、これ、どう考えてもそのまま逝っちまう可能性の方が高いだろっ! 爺さん、爺さんしっかりしろ! 死ぬんじゃねぇ!」
とメイルもアルバークを揺すり始めたが、彼の隣で揺するレイラは、既に半狂乱のようになっていて、そんな彼女の傍にノスレックが行き、耳元に顔を近付けて、力強い声を掛けていた。
「治ってはいる。もう一度言うぞ。治ってはいる。分かるかね?」
それでレイラはピタと動きを止め、少し震えながら、ゆっくりと首を動かし、涙で赤くなった瞳をノスレックに向け、何か言おうとしていたが、その震える唇の奥からは声は出てこず、
「ここからは君しだいだ。祖父の手を握り、声を掛け続けなさい」
浅く頷き、向きを戻してレイラは言われた通りのことをし始める。
ノスレックが離れていき、代わりにメエムが駆け寄っていた。
パチン、と唐突に指を弾く音が聞こえ、見れば、長椅子に座っていたノスレックが火のついた葉巻を咥えており、部屋に紫煙が漂い始め、甘い匂いがしてくる。
それはどこか落ち着く香りであり、少し頭が働くようになってきて、タルトはヨハンを、責めるように指でつついた。
不満か。
書かれた言葉に頷くと、ヨハンはまた書き始め、それを見たタルトは何か納得してしまった。
ヨハンは元々誰のものだったか。
可憐な魔女のものではない。おどろおどろしい魔女の魔導書だ。
書かれた言葉は、こうだった。
『これが魔女の魔法だ』
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます